寝台特急「あけぼの」の思い出(前編)

2024年最初の記事は、今年の大河ドラマ『光る君へ』関連で。

ファーストサマーウイカさん演じる清少納言が記した『枕草子』。枕草子と言えば「春はあけぼの」ですよね。なので今回のテーマは「あけぼの」です。

というか、ドラマの主人公は清少納言ではなくて、吉高由里子さんの紫式部ですけどね。

寝台特急「あけぼの」

というのはこじ付けとして、実際のところは2013年の年末12月28日に、その2ヶ月半後の2014年3月14日に廃止される寝台特急「あけぼの」に乗車したんですが、それからちょうど10年が経ったということもあり、思い出を振り返る内容を今年最初の記事にしたいと思います。

寝台特急「あけぼの」といえば、1970(昭和45)年10月に奥羽本線経由で上野-青森間を走り始めた寝台特急。1980(昭和55)年10月までの10年間を20系車両で運行していたことでも有名ですよね。鉄道模型では、20系車両で走らせていました。

この記事の中でも触れていますが、1990(平成2)年9月から、山形新幹線による改軌工事に伴い、山形駅を通る「あけぼの」はなくなり、1往復は陸羽東線経由に。もう1往復は上越線経由になり寝台特急「鳥海」と名称を変えています。1997(平成9)年3月の改正で、その「鳥海」は同じ経路のまま「あけぼの」へと名を変えました。この姿が廃止となる2014(平成26)年3月までの17年間続く訳ですから、米沢・山形経由で走っていた20年間と、それほど変わらないんですよね。

EF64が牽引する上越線経由の寝台特急としてすっかりと定着していましたからね。

「あけぼの」に乗る

私の勤めている会社が、毎年12月29日に仕事納めというスケジュールなので年末に旅行という発想が無かったんですが、2013年は12月29日が日曜日。なので仕事納めの日が繰り上がって12月27日の金曜日に。つまりは28日から年末休暇に入ったということです。

それもあって、28日出発、31日帰着という青森への旅行を計画したんです。

28日の夜に上野を出る「あけぼの」に乗車。青森を旅した後、31日に東北新幹線・東海道新幹線を乗り継いで帰阪するという計画なんですが…。

みなさんご承知のように、廃止の報道があった後の年末年始休暇初日。簡単に取れるはずが無いんですよね。

1ヶ月前の11月28日。10時打ちの結果は惨敗。

ですが、当時お世話になっていたとある旅行会社のスタッフの方が頑張って頂いたおかげで(不正では無いですよ。キャンセルが入りそうな時間帯を狙って猛烈に空席を確認して頂いたようです)、無事に2号車、上下並びの開放B寝台券を入手できました。

斜めに写った写真を補正しているため、縦横比が実際とは異なっている可能性があります

希望はA個室(シングルデラックス)・B個室(ソロ)でしたが、そんなことを言っていられない状況でしたからね。

上野駅へ

大阪の人間にとって、「あけぼの」の始発駅上野へ向かうのも立派な旅行です。

というわけで、これに合わせてちょっとした東京観光もしてみようと、夜行列車に乗るのには早すぎる11時過ぎの「のぞみ」に乗って東京へ。

天気が良かったので左手の車窓には雪を冠した見事な富士山を眺めることが出来ました。

13時43分に到着した「のぞみ330号」から降り立ったのは前年の2012年に復元工事が完了したばかりの東京駅。歴史を感じる雰囲気がありますね。

東京駅を後にして、向かったのは東京スカイツリー。こちらも、前年2012年に開業したばかりの頃ですね。

15:50頃
17:10頃

青空の下で聳え立つスカイツリーから、夜空にライトアップされた姿を見上げるまで、長い時間滞在したような感じを受けますが1時間ほどでこの変化。さすがに冬至から1週間ほどしか経っていない年末ならでは、ですね。

東京駅に戻って夕食をとった後、いよいよ上野駅へ。

着いたのは、発車から1時間以上前の20時過ぎ。

上野駅地上ホームと言えばこれ。

関西に住む者が見る東京と、東北の方が見る東京とでは想いが違うのかもしれませんが、上野駅には東北からの玄関としての雰囲気があったんでしょうね。

この歌碑自体、世代交代しているのかも判りませんが、私がこの歌碑を見てみたい、と最初に思ったのが、子供の頃に読んだ西村京太郎氏の小説だったはず。『終着駅殺人事件』だったような気がするのですが、違ったかも。

発車の30分ほど前になると、13番線には旅立ちの装いの旅行客が増えて来ます。

さらに15分ほど。

さらに多くなって来ましたね。カメラを構えた人の数も増えて来ました。いよいよ入線です。

上野駅発車まで

21時頃、尾久車両センターから「あけぼの」が推進運転で入線。

最後尾(推進運転では先頭)は オハネフ24。金帯でした。

トレインマークが見えるホーム終端側は、この人だかりです。でも、この混雑がここだけでなく、各所で発生してるんですね。

なんとかトレインマークが撮影できました。

乗車する車両は2号車なので、ベッドに荷物を放り込んで身軽になってホームの先端側(大宮側)へと移動します。

人混みを縫うように歩いてEF64のもとへ。

ヘッドマークのアップを。

EF64-1000の側面は、こちらの写真の方が判りやすいでしょうか。

EF64-1030ですね。

もはや、人が写り込まない写真を撮るのは不可能。とはいえ、列車発車後は運転停車の長岡でEF81へと交換されますので、EF64の写真を撮れるのはこれが最後になります。

上野駅発車~上越線内

2号車の車内に戻り、通路の椅子を引き出してカメラを窓の縁に置きました。

発車時の揺れで、窓の縁に置いたカメラが大きく揺れるのは客車ならではでしょうか。しかも、機関車から8両も離れてますから揺れが増幅されるのかもしれません。

途中、映像は16倍速にしていますが、ホーム上、機関車が停車していた付近は等速に戻しています。かなり多くの鉄道ファンがカメラを構えてますね。というか、こんなにも「乗らずに撮るだけ」の人が多かったとは。。

上野出発早々に車内放送が始まります。映像付きだとかなりのファイルサイズになるので(というのと、基本、窓の外は暗いので…)音声だけでお楽しみください。

乗車したのは、2号車の3番上下段。2号車の青森寄りの端から2ブロック目、ですね。

通路のクランクを行くと、車両端、洗面所とトイレがあります。

右がトイレ、左が洗面所ですね。奥に見えるすりガラスにB寝台とあるドアは、3号車のものになります。

しばらく下段で横に並んで座っていたんですが、22時に開放B寝台車両は消灯となりましたので、それを契機にベッドへと移動します。

21:54頃
21:57頃

寝台のブロック内の天井にある大きな照明が消灯されました。

カメラの問題なんでしょうが、消灯後の方が明るく見えてしまいますが…。

23時過ぎの寝台内です。通路側に頭(枕)があって、足元側を見上げるように写真を撮ってます。23時18分頃ですので、沼田の手前を走っていた頃でしょうか。

カーテンのフックにかけているのは、GPSレコーダー。

この記事に書いている「2代目」なので、緑色のM-241ですね。これが後に騒動を引き起こすんですが…。

少しうとうとしてたでしょうか。

窓の外を見ると線路際に雪が積もってます。時計を見ると0時15分頃でしたから、上越国境越えを終えたということでしょう。越後湯沢駅付近を走行中です。

さらに時間が経過し、目を開けると駅に停車中でした。

長岡ですね。後にGPSの情報を見ると、1:10頃に到着し、1:45頃に発車したようですから、35分ほど停車していたようですね。その間、先頭車両ではEF64からEF81への機関車交換が行われていたことでしょう。

動画・写真の多い記事なりますから、このページはここまで。長岡駅の発車からはこちらをご覧ください。