アキの夜長に… 20系&24系25形 寝台特急「安芸」

2024年1月21日

20系寝台特急

元々は急行「ちくま」を走らせたくて購入した20系車両。

KATO 10-366 20系 寝台客車 7両セットをユーズドで購入したものの、12系座席車併結の急行「ちくま」「さんべ」に使用する車両は、7両のうちナハネフ22と2両のナハネ20、3両のみ。

せっかくのカニ21やナロネ21、ナシ20を未使用のままなのはもったいない、と思っていたものの、セットの7両だけで完結するブルートレインは無かったので、不足するナハネ21を追加購入して走らせたのがこちら。

寝台特急「あけぼの」です。20系時代は上野-青森間を奥羽本線経由で走る列車でしたが、秋田駅で付属編成の4両を切り離した状態(カニ21・ナロネ21・ナシ20・ナハネフ23が各1両に、ナハネ20が5両の計9両)を走らせていました。

でも、これで欲が出ちゃったんでしょうね。

ナハネ20が5両あれば、あと少しの追加で別の列車も走らせられる、と。

そこで白羽の矢を立てたのが、この列車です。

「安芸」

不遇の寝台特急「安芸」。新大阪駅と下関駅間を呉線経由で走っていた寝台特急です。

1975(昭和50)年3月改正で誕生したものの利用者数の減少から、わずか3年半後の1978(昭和53)年10月改正で廃止されています。

ちょうど同じ期間だけ存在した14系14形使用の寝台特急「いなば」(東京-米子)は、1978年10月改正で走行区間を出雲市に延長した上で「出雲3・2号」に改称されるという発展的な解消でしたが、「安芸」の方は後に何も残らない、完全な廃止でした。

「安芸」の前身となる急行「音戸」は、1961(昭和36)年10月改正で大阪-広島間(呉線経由)の列車として誕生し、翌年10月改正から大阪-下関間(呉線経由)となっています。

1968(昭和43)年10月の、いわゆるヨンサントオ改正では、「音戸」誕生の11年前、終戦間もない1950(昭和25)年10月に、大阪-広島・宇和島・須崎を結んで走り始めた準急列車に起源を持つ急行「ななうら」を統合して、急行「音戸」は2往復に。

そして、山陽新幹線が博多まで開業した1975(昭和50)年3月の改正で、急行「音戸」の下り2号・上り1号(広島発着の「ななうら」からの流れの方)は廃止されたものの、下り1号・上り2号が20系化され寝台特急「安芸」として生まれ変わりました。

ちなみに、名称としての「安芸」は、広島の旧国名だけに、広島にまつわる多くの列車に受け継がれています。

1950(昭和25)年10月に東京-広島・宇野を結ぶ急行「安芸」として誕生し、翌年には宇野編成は別列車となるものの、寝台車・食堂車を組み込む列車へと成長しています。この食堂車付き全車寝台の編成が良くも悪くも寝台特急「あさかぜ」へのシフトにつながったのか、1970(昭和45)年10月改正で「あさかぜ」3往復目となる東京-下関間の「あさかぜ」にスライドしています。

当時はまだ新幹線が新大阪までの時代でしたから、「安芸」の名前は大阪-呉間の165系電車を使用した急行にシフトしたようです。

山陽新幹線岡山開業の1972(昭和47)年3月改正で、新幹線接続の列車として岡山-呉・広島(呉線経由)間の急行となっています。この昼行急行時代に「安芸」=「呉線経由」というイメージが定着したんでしょうか、前述のように、1975(昭和50)年3月改正で20系寝台特急「安芸」として生まれ変わっています。

とはいえ、山陽新幹線博多開業と同時に誕生した寝台特急「安芸」。肝心の呉線内を、使い勝手が良くない時間帯に走ることもあって利用客数は低迷。関西-山口県なら新幹線の時代になったわけですからね。夜行列車に乗る意味も薄れていたんでしょう。

そのテコ入れに、というわけではないんでしょうが下関「あさかぜ」と「瀬戸」の24系25形化に合わせて、「安芸」も同型に変更されています。「あさかぜ」「瀬戸」は、基本編成カニ24込みの8両(下関運転所・広セキ)、付属編成6両(広島運転所・広ヒロ)だったのに対して、「安芸」はカニ24を含む10両(広セキ)。

なぜ、別編成だったのかは判りません。利用客数からは「あさかぜ」「瀬戸」基本編成と共通運用で良かったような気もするんですけどね。(20系時代も別編成だったようです)

20系 寝台特急「安芸」

今回の主目的は、20系寝台特急「安芸」を走らせること。

というわけで、編成の確認です。

20系 寝台特急「安芸」の編成

寝台特急「安芸」

← 1001レ 下関

1002レ 新大阪 →

荷物123456789
カニ21ナロネ21ナハネ20ナハネ20ナハネ20ナハネ20ナハネ20ナハネ20ナハネ20ナハネフ22

1975(昭和50)年10月~1977(昭和52)年8月頃の寝台特急「安芸」

カニ21、ナロネ21、ナハネフ22の各1両と、ナハネ20の2両はセットから賄います。「あけぼの」のために追加で購入したナハネ20が3両ありますので、今回の追加は2両です。

いずれの車両もKATOカプラーNが標準で装着されていますので、特に手を加える必要もありません。

バックサインの交換

左のカニ21は前回の「あけぼの」、右のナハネフ22は「ちくま」「さんべ」の時の「急行」のままです。

これを、「KATO 11-320 バックサイン 20系客車用セット」に入っている「安芸」に取り替えます。

前回、取り付け時に押し込んでしまったのか、すんなりと抜けてくれず、ボディを外して裏側から押し出しました。これがバックサインもボディも傷つけずに取り外す近道かもしれませんね。

今回は、カニ21も取り替えましたが、走らせるのはナハネフ22を最後尾とする下り列車だけのつもりです。

「安芸」の牽引機関車

新大阪-下関間を呉線経由で走った寝台特急「安芸」。呉線内も含めて、全区間EF58での牽引だったようですね。

宮原(新大阪駅のすぐそば)や下関にもEF58が配備されていましたが、「安芸」の牽引を担ったのは広島運転所のEF58だったそうです。

「広島らしさ」が何か判らないので、手持ちのEF58(KATO 3049-2「EF58-150 宮原機関区 ブルー」)で牽引することにします。

20系 寝台特急「安芸」を撮る

まずは、駅を発車するシーンと、通過するシーン。

最近のモーターは低速での発車時も安定してますよね。

続いては、カーブでの走行の様子。

以前の記事で、20系ブルートレインにあんまり興味が無い、とか書いてましたが、ナハネフ22を手に入れてからは一転ですね。「あさかぜ」の最後尾ナハフ20時代よりは身近に(残念ながらリアルタイムには知らないんですが)感じられるようになったからでしょうか。

続いては、写真を何枚か。

EF58の顔ではなく側面にピントがあってますが、ブルー一色の側面が無骨さというか、ブルートレイン牽引機としての気取りのなさが好きなところです。

ホームの端にある水飲み場が、昭和な感じですよね。

客車がボケてますが、カニ21の丸みを帯びた姿は20系を感じることができます。

NゲージのEF58は、カーブを走ると先台車とボディの向きが大きくズレるので違和感ありありだったんですが、大半径カーブだと違和感は無いですね。

半径280mmのカーブを走るEF58

最後の1枚は、ナハネフ22。

20系の貫禄、でしょうか。山陽本線を走る寝台特急の多くが14系や24系に置き換えが進み、20系寝台特急としては新参でしたが、歴史を感じる風貌です。

24系25形 寝台特急「安芸」

今回、もう一つのテーマが24系25形化された寝台特急「安芸」。

廃止へのカウントダウンが始まったラスト1年間の姿です。

24系25形 寝台特急「安芸」の編成

寝台特急「安芸」

← 1001レ 下関

1002レ 新大阪 →

荷物123456789
カニ24オハネフ25オハネ25オハネ25オハネ25オハネフ25オハネ25オハネ25オハネ25オハネフ25

1977(昭和52)年9月~1978(昭和53)年9月頃の寝台特急「安芸」

オハネフ25、オハネ25は、TOMIX 98802「国鉄 24系25-100形特急寝台客車(はやぶさ)セット」と、 98803「国鉄 24系25-100形特急寝台客車増結セット」を使用します。

広セキ・広ヒロの「瀬戸」と同じ広セキ所属ですし。

なぜ「広セキ」を強調したのかというと、カニ24は100番台になる、ということです。

今回、「安芸」を走らせたい、と思いたったものの、今後も頻繁に走らせたいかと聞かれるとNOなので、カニ24-100(今は「瀬戸」)やオハネフ25(今は「はやぶさ」)のトレインマークを「安芸」に貼り替える気はありません。

中間車となるオハネフ25の数はそこそこあるんですが、ジャンパ栓が無いので最後尾に出したくない、というのもありますね。

トレインマーク取り付けとカプラー交換

そこで、カニ21と同時に購入したのがユーズドのカニ24-100。

見栄えにこだわったダミーカプラーも付属品として入っていましたし、トレインマーク・テールランプが点灯することもあって、本体価格1,000円ほどだったので思わず購入してしまったんですが、トレインマークそのものは入っていません。

かなり前に購入した単品「オハネフ25-0」に付属していたトレインマークです。「出雲」「瀬戸」を使用した後のものですね。

見ての通り、「安芸」は文字です。イラスト入りのトレインマークが復活したのが1979(昭和54)年7月からですので、それ以前に廃止された「安芸」は漢字と「AKI」の文字だけ。

貼り付けのためボディこそ外したものの、面倒なので前面窓ガラスは外さずにピンセットで裏から貼り、微調整で済ませました。

ジャンパ栓の取り付けと台車枠の交換も特に問題はありません。

中間車側のカプラーは、アーノルドカプラーから手持ち備品のTNカプラーへと交換しました。

牽引機関車は、20系時代から引き続きEF58です。

…が、EF58-150は急行「きたぐに」など、KATOの車両しか牽いてなかったので、TNカプラーの対応はできておらず、対応加工済みの、150号機導入前に使用していた旧製品を引っ張り出してきました。

24系25形 寝台特急「安芸」を撮る

まずは、駅通過のシーンから。

カニ24が最後尾ですので、新大阪行の上り「安芸」です。

前半は山陽本線の山側から、後半は海側から撮っていることになります。前半はベッド側の狭い窓、後半は通路側の広い窓で統一されているのが広セキの特徴でしょうか。全車100番台で組成されている「らしさ」が出ています。

オハネフ25が編成中に3両ありますが、いずれも車掌室はカニ24から遠い側。ですので、1号車(最後尾の1両手前)も、車掌室は編成中央側を向いてます。これで、通路側が揃うんですね。

「富士」や「出雲」は編成途中のオハネフ25は逆向き可能な200番台。ですので、窓の高さにバラつきが生じます。

続いてはカーブの通過シーン。

24系25形の方がスマートに感じるのは、ブルートレインブームの頃に子供だった世代だからなんでしょうかね。

鉄道に興味を持ち始めた子供の頃、関西圏では既にEF58が牽引するブルートレインは無くなっていて、急行「きたぐに」の大阪-米原間や紀勢本線を走る夜行列車「はやたま」などに見られるだけでした。

こうしてEF58が牽くブルートレインを見ると、過去に実在したものではありながらも新鮮な感じがします。

最後に写真をいくつか。

テールランプ点灯を確認して購入した、と書いたんですが、ムギ球とは思ってなかったので、赤っぽく光る様子に「え?」と思ってしまったんですが、それはそれで味がありますし、ひとまずはこれで置いておきます。LEDを使用したカニ24-100は「瀬戸」用にありますし。

さすがはダミーカプラーですね。ジャンパ栓とが相俟って、いい見栄えになってます。

製造時期の違いから、カニ24だけ、若干色合いが明るい感じがしますが、許容範囲、ですね。

最後の1枚は、新旧の「安芸」。「安芸」としてすれ違うことは無かったんですが、山陽本線では1979(昭和54)年まで、関西-九州間のブルートレインはEF58が牽引してましたし、こういうシーンはあったのかな、と思います。

というわけで、秋の夜長に新旧の安芸を走らせたお話でした。

【参考】寝台特急「安芸」時刻表

24系25形編成が走行していた1978年の時刻表(1978年2月号より引用)を挙げておきます。

【下り】

1001
寝台特急「安芸」
新大阪2258
大阪 (1番線)2305
2309
三ノ宮2333
姫路029
031
三原
428
438
439
広島511
515
宮島口535
岩国553
554
柳井623
徳山652
654
防府719
小郡734
735
宇部757
758
下関838

【上り】

1002
寝台特急「安芸」
下関2005
宇部2042
2042
小郡2104
2105
防府2121
徳山2145
2147
柳井2218
岩国2245
2246
宮島口2304
広島2325
2329
2358
2359
009
竹原048
三原
姫路407
409
三ノ宮501
大阪 (9番線)529
531
新大阪536
列車種別は「寝台特急」