特急「はくたか」の思い出
2025年最初の記事は、新年らしいものを、ということで、2023年の「富士」に続く縁起物、「鷹」で行きたいと思います。
特急「はくたか」
「鷹」の付く列車名と言えば、「はくたか」。
現在、「はくたか」といえば、北陸新幹線を、停車駅が「かがやき」よりも多いタイプの列車として走っていますが、それ以前は在来線の特急列車の名前でした。
古くは1965(昭和40)年10月まで遡り、大阪-青森・上野間を走っていたディーゼル特急「白鳥」の上野編成が独立して誕生した列車となります。
独立した、とは言っても大阪-上野間では無く、金沢-上野間(正しくは、上野-金沢間)に縮小されての運転ですが、車両は同じキハ82系。信越本線を経由する特急列車でした。
4年後の1969(昭和44)年10月改正で、キハ82系から485系電車に置き換えられるんですが、このときに上越線経由(長岡経由)に変更となっています。「白鳥」から独立して4年、金沢より東を走る列車ではありますが、受け持ちは向日町運転所。「雷鳥」等と共通運用だったそうです。
1972(昭和47)年3月改正で、信越本線経由の「白山」が運転を開始するんですが、「白山」がいきなり3往復だったのに対して、「はくたか」は上越線経由の1往復のまま。首都圏-北陸地方の主力は、EF63との横軽強調運転が可能となった489系を使用する信越特急となったようです。
1978(昭和53)年には金沢運転所の489系に置き換えられ、翌年4月に「はくたか」が2往復になったものの、1982(昭和57)年11月の上越新幹線開業で上野-長岡間が廃止となり、長岡-金沢間も「北越」に統合される形で「はくたか」は消滅しています。
この時代の「はくたか」を知っている方は、それなりのご年齢ということでしょうかね。
多くの方が知っている在来線時代の「はくたか」は、1997(平成9)年3月に開業した北越急行ほくほく線を経由する特急列車でしょう。
上越新幹線の越後湯沢駅で接続する列車として、北越急行を経由して金沢方面へ行く、681系および485系電車を使用した特急列車として登場しました。
2002(平成14)年3月改正では、ほくほく線内の最高速度が160km/hに引き上げられて所要時間の短縮。2009(平成21)年には「はくたか」が13往復になるなど、成長を続けてきましたが、ご承知の通り、2015(平成27)年3月、北陸新幹線の長野-金沢間開業に伴い、在来線特急の「はくたか」は廃止。その名は北陸新幹線の列車名に引き継がれました。
在来線特急「はくたか」
もちろん、現役である北陸新幹線の「はくたか」は「思い出」ではないですので、ここに書くのは既に廃止となった在来線特急の「はくたか」です。
上野から金沢まで走っていた485系・489系での「はくたか」は、さすがに乗車経験が無く、越後湯沢と金沢とを走っていた時代の話ですので、さほど話題に稀少性はありませんけどね。
2007(平成19)年8月11日 「はくたか15号」金沢-越後湯沢
初めて乗車したのは北越急行が開通して10年が経過した2007年8月のこと。
夏季休暇での青森への旅行で、金沢-越後湯沢間を「はくたか」に乗車しました。なんでそんな回り道を?と感じるかとは思いますが、もともとの計画は、新潟まで急行「きたぐに」に乗車する予定だったんです。
確か、8月11日夜発の、B寝台パンタ下の寝台、中段・下段を旅行会社で確保してもらっていたはずなんですが、1ヶ月前の発売開始から数日後のこと、7月16日に新潟県中越沖地震が発生したんです。
約1ヶ月間で復旧するかどうか、やきもきはしたんですが、青海川駅の被害の状況を見ると「無理なんじゃない?」ということで、急遽、代替案を検討。2日後の7月18日に、
大阪 9:12 (雷鳥9号) 12:02 金沢 14:14 (はくたか15号) 16:52 越後湯沢 17:30 (Maxとき333号) 18:13 新潟
と、指定席を押さえてもらいました。
結果としては、信越本線の復旧はさらに1ヶ月を加えた9月13日となりましたから、代案の通り旅行をした、ということになります。
雷鳥9号を金沢で降りて、ゆっくりと昼食を取った後、「はくたか15号」に乗車します。
もちろん、この頃、西も東もJRです。
13:55頃に、富山方向からやって来たのは681系(おそらく当時のW11編成)、3両のみです。
到着して早々に、貫通ドアが開けられました。
それから1分も経たずに、今度は福井方向から(金沢総合車両所でしょうね)、基本編成の6両がやってきました。
当時、所持していたカメラは、Panasonic の DMC-FX01。動画は、補助的、おまけ程度に考えていたので 320×240画素で撮影していました。今思うと残念ですね。といっても、この機種は、その倍(4倍と言った方がいいのか)4:3なら640×480画素が上限。16:9なら848×480まで、というものですから、時代を感じます。
でも、今回、改めて当時の動画を見てみて、貫通ドアが開くところを撮ってたんだ…、と思いました。すっかり忘れてました。。
車両サイドのエンブレムは、
「はくたか」専用の「WHITE WING」です。
ちなみに、基本編成の方は、どの車両だったか、推測できる写真(動画)がまったくありませんでした。
14:14、定刻に金沢駅を発車。
もはや681系「はくたか」なんかどうでもいい、という動画になってます。。
くだらない会話が入っている箇所は音声カットしてます。すみません。
高岡、富山、魚津と停車し、糸魚川には15:36に到着。
赤レンガ車庫が、まだ残っている頃です。
直江津駅は、春日山方面も谷浜方面もJRです。
谷浜方面のラインカラーがJR西日本の青色に変わるのは、もっと後でしたっけ?
475系電車は16:03発の直江津始発の金沢行。いろんな意味で時代を感じる1枚です。
直江津駅を発車して6分ほどあとの写真ですので、北越急行線に入ってすぐくらいに撮ったものかと思うのですが、新潟県らしい写真だと思います。
この後は、どこだかよく判らない写真が少しあって、次がこれ。
越後湯沢に到着です。
なので、ちょっと物足りなさの残る乗車記録となりました。
ちなみに、この青森旅行、新潟で泊った後(当初の予定では急行「きたぐに」で新潟に着いた後)、「きらきらうえつ」「いなほ5号」に乗り継いで秋田へ行き、そこで宿泊。翌日に「リゾートしらかみ1号」「同3号」「同5号」と乗り継いで、途中の十二湖、ウェスパ椿山で観光と食事。翌日、翌々日と青森県内を観光した後、最終日に「日本海4号」で帰阪する予定だったんですが、当然ながら「日本海」も地震の影響で運休中。
結局、八戸から「はやて32号」で東京へ。寝台急行「銀河」で大阪へと戻って来ました。
2014(平成26)年5月5日 「はくたか20号」直江津-富山
2回目の乗車は、2014年のゴールデンウイークに新潟旅行をした帰りに直江津から富山まで乗車しました。なぜ富山で降りたのか、というと、富山始発の「サンダーバード46号」に乗車するため。翌年には北陸新幹線が金沢まで開業することが決まってましたので、富山発のサンダーバードに乗れなくなるから、という理由ですね。
なので「はくたか」は、あくまでも「つなぎ」です。。
写真の右端にちょこっと写ってますが、駅名標の谷浜方面が青色になってますね。
ちなみに、直江津までは、十日町から「越乃Shu*Kura」に乗車してます。
2014(平成26)年9月15日 「はくたか14号」糸魚川-富山
最後は、同じ年の9月。こちらは、大糸線から富山発の「サンダーバード40号」に乗るまでの、やっぱり「つなぎ」ですね。。
糸魚川駅に設置されていた真新しい案内板。新幹線開業のために新設されたものだと思うのですが、しっかりと北陸本線の案内も入っています。
同じ場所のものではありませんが、新幹線開業後(2019年11月)の写真です。
北陸本線特急は北陸新幹線に変わり、北陸本線(普通)は日本海ひすいラインに変わっています。
北陸本線特急も北陸新幹線も、先発・次発ともに「はくたか」なのはちょっとした偶然ですね。2014年は「北越」も走っていましたから。
アルプス口(南口)側のロータリーは、まだ工事中でした。
15:48に到着。
クロ681-7が金沢方先頭のW01編成でしょうか。
糸魚川を定刻に発車し、西へと走ります。
日本海と秋の空です。
特に何事も無く列車は走り続け、富山駅到着直前。
富山駅到着のアナウンスが流れます。長いので途中をカットしていますが、乗り換え案内の途中で、車窓にちょっとしたサプライズがあります。
狙って動画を撮っていたのかどうか、記憶にないのですが。。
富山駅到着。このあと、「サンダーバード40号」に乗り継いで帰りました。
番外編 2010(平成22)年5月2日 美佐島駅
北越急行ほくほく線の六日町駅と十日町駅の間に、美佐島駅という駅があります。
駅舎はあるのですが、線路がどこにも見当たりません。
線路は、この下。地下10mほどのところを走るトンネルの中に設けられています。
駅に入ると、地下ホームへと続く階段があります。
地下へと降りていくと、ドアがあります。
このドアを開けると小部屋になり、ホームとの間にある、もう一つドアが現れます。
トンネルを高速で列車が通過すると、その風圧で地上に抜ける階段に突風が吹くため、ホームと地下通路の間に2つのドアが設けられている、ということです。その2つのドアは、両方を同時に開けることは出来ないため、駅通過時の風が地下通路に及ぶことは無い、というわけです。
もちろん、ホームとを隔てるドアは、列車通過時、開くことはありません。
上り「はくたか」通過時、ホームに面したドアを撮影してみました。
列車通過後、ホーム側が陽圧から陰圧に変わるので、重いドアがホーム側に引っ張られるのが判るかと思います。
最後の番外編は通過する「はくたか」を見ただけですが、「はくたか」への乗車は、先に挙げた3回だったはずです。
ちなみに、北陸新幹線は「かがやき」ばかりで、いまだに「はくたか」には乗ってないですね。
というわけで、2025年最初の記事は、初夢の縁起物「鷹」の付く列車名「はくたか」について書いてみました。来年は「茄子」? それは無いでしょうね。。