12系時代の急行「津軽」と ED75-700番台

いつかは欲しいなぁと思っていたED75-700番台が、最近よく利用させて頂いている某ユーズドショップで販売されており、思わず購入。

ED75-700番台

それが、TOMIXの2175「国鉄 ED75 700形 電気機関車(前期型)」です。

発売月は2009年1月ですから14年も前の商品ですが、付属品のパーツは全て未使用。届いた商品の見た目も申し分なし。いわゆる新古品だったのかもしれませんね。

実車のED75の700番台はというと、奥羽本線・羽越本線用として1971(昭和46)年から1976(昭和51)年にかけて91両が製造されたもので、基本番台と比べるとパンタグラフが下枠交差式になっているのが外見上の大きな違いでしょうか。

耐雪・耐塩害対策が施されたものであるため、屋根上の機器が室内に設置されるなどして、基本番台に比べて屋根上がスッキリしていることも外見上の特長ですね。

700番台(TOMIX 2175)
1000番台(KATO 3009-1)

話を模型に戻すと、2021年秋にはTOMIXから700番台がM-13モーターを採用した新製品として販売されていましたが、これはJRのロゴ入り。なので、見送っていたわけです。

なぜ欲しかったのに見送ったのかというと、牽引したかったのが、急行「きたぐに」だから。

羽越本線内はEF81での牽引でしたが、アンカーの秋田-青森間は、ED75-700番台。さすがに、昭和57年11月のダイヤ改正で新潟止めになる前、12系時代の急行「きたぐに」を牽くのがJR東日本の機関車はなぁ、と見送っていたので、今回の国鉄型に飛びついたんです。

「きたぐに」ではなく…

1973(昭和48)年10月改正で座席車が旧客から12系に置き換わって以降の編成は、保有しています。というか、これがあるから、ED75-700が欲しかったわけですから。

で、その700番台を手にして、「久々にきたぐにを…」と思った瞬間、大きな思い違いをしていることに気付いたんです。

「あれ?秋田-青森間って、12系6連にオユ10(時代によってスロ54の追加)だけだよな」と。

寝台車も無く、あまり見映えしないというか、なんというか。。

そんなときに頭に浮かんだのが急行「津軽」でした。(もちろん、「きたぐに」も牽きますよ)

急行「津軽」

急行「津軽」は、その起源を、今から101年前の1922(大正11)年3月に設定された、上野-青森間を東北本線・奥羽本線経由で走る急行に持つといわれる、非常に歴史のある列車です。

奥羽本線を走る「津軽」は、戦後の1956(昭和31)年11月に上野-青森間で走り始めました。マロネ29、ナハネ10が各1両、2等車(ロ)が2両、その他は3等車(ハ)と荷物車(もちろん全車旧型客車)という編成だったようです。

編成が小変更されるなどした後、大きく変わったのは1965(昭和40)年10月のダイヤ改正。2往復に増発されています。編成に大きな違いは無いですね。下り第二津軽と上り第一津軽が一等寝台(ロネ)を含む寝台車の一部を、秋田-青森間で切り離すのが目立った違いでしょうか。

KATOから製品化されている 10系寝台急行「津軽」はこの頃の編成です。

その後、大きな変化を迎えるのが1978(昭和53)年10月改正の座席車12系化、ですね。これについては、後で詳しく。

12系を使用していたのは4年だけで、1982(昭和57)年11月の改正で、1往復に削減とともに20系化されています。この改正で急行「十和田」から20系の運用が外れていますので、この編成が転用されたのでしょうか。

とはいえ、1年も経ない1983(昭和58)年7月からは14系座席車のみの編成に。1984(昭和59)年2月から1985(昭和60)年3月の1年間限定で上野方にスハネフ14が1両、連結されていましたが、寝台が利用できたのはここまでのようです。

1990(平成)2年9月の改正で仙石線経由の上に583系電車化されましたが、全車座席車扱い。

2年後の1992(平成4)年7月には485系電車に置換えられたものの、翌年1993(平成5)年12月の改正で伝統の急行「津軽」が定期列車としての運転を終えています。

12系急行「津軽」の編成

4年に終わった12系時代の「津軽」ですが、前半2年と後半2年とで編成が変わっています。

急行「津軽」

1978(昭和53)年10月~1980(昭和55)年10月

←404ㇾ 上野

401ㇾ 青森→

34567891011
マニ37スロフ62オロネ10オハネフ12スハフ12オハ12オハ12オハ12オハ12スハフ12

←402ㇾ 上野

403ㇾ 青森→

1234567891011
オハネフ12オハネフ12スロフ62オロネ10オハネフ12スハフ12オハ12オハ12オハ12オハ12スハフ12
1・2号車は、上野-秋田間


1980(昭和55)年10月~1982(昭和57)年11月

←404ㇾ 上野

401ㇾ 青森→

34567891011
マニ37オハネフ12オロネ10スハフ12オハ12オハ12オハ12オハ12オハ12スハフ12

←402ㇾ 上野

403ㇾ 青森→

1234567891011
オハネフ12スハネ16オハネフ12オロネ10スハフ12オハ12オハ12オハ12オハ12オハ12スハフ12
1・2号車は、上野-秋田間

1980(昭和55)年にグリーン車が外れています。その分、オハ12が1両増えてますね。

先述のKATOの津軽編成を持っていれば、いずれの時代を再現するか悩んだかもしれませんが、スロフ62が手元に無いので、後半2年の「1号・4号」姿を再現したいと思います。

マニ37、オハネフ12、オロネ10は、もちろん、急行「きたぐに」の編成から。

残る12系は急行「きたぐに」用の6両に、オハ12を追加します。

というわけで、珍しく代用無しで再現出来そうです。

牽引機関車はもちろんED75-700番台。山形-青森間ですね。

とはいいつつ、マニ37ではなく、スハフ12を最後尾にしたいこともあって、走らせるのは「津軽4号」ということになりました。

2175「国鉄 ED75 700形 電気機関車(前期型)」

見ての通り、ユーズドですが全てのパーツが未使用で揃っています。

ヘッドマークは「日本海」「あけぼの」「ゆうづる」。両面テープで留めるタイプです。

選択できるナンバープレートは、

ED 75 702
ED 75 705
ED 75 710

です。いずれも1971年に落成して秋田機関区に配属されています。1980~82年も秋田機関区に在籍中ですので、山形-青森間を牽かせるにはどのナンバーでも問題はなさそうです。おまけに、この3両とも、1984年には揃って福島機関区に転属になっているようですから、どれがいいとも決められず。なんとなく705に。

ナンバープレートの次は、各パーツの取り付け。

今回もまた、パーツ取り付けの大部分の時間を費やしたのが、信号炎管。

ホイッスル(写真では2個取り付け済み)は、写真左側の治具を使うことで比較的簡単に取り付けられたんですが、信号炎管は鬼門ですね。

写真左側にある治具の穴に信号炎管の上側を挿して、機関車の所定の位置に取り付けます。逆さにすると信号炎管が落ちますし、機関車を逆さにして取り付けようとすると穴が見えず。。

治具もED75も45度くらいに傾けて、信号炎管が落ちない程度、ED75の取付穴が見える程度の絶妙な位置で取付完了。手元を照らす照明はあった方がいいかもですね。歳なのか…。

ボディを外した後、スカート部分を前面にずらせて取り外し。TNカプラーへの取替は特に問題なく完了です。

最後に手すりを取り付けてすべて完了。

苦労して取り付けた信号炎管

実は、もう1つ、付属品があるんですね。

それが、この転写シート。

ナンバープレートに用意されていない車番でも、自由に設定できます。

そのため、無地のナンバープレートも用意されているんですね。

JRマークも用意されていますので、いろいろな時代に対応できそうです。

忘れていたマニ37のTNカプラー対応

では、ED75-700番台の準備が整ったところで走らせてみよう、と思ったんですが、マニ37を見て目が点に。

てっきり、TNカプラーへの対応(ナックルカプラーへの穴開け)を済ませているものと思っていたんですが、素のナックルカプラーでした。

急行「きたぐに」でTOMIXのEF81(TNカプラー)に牽かせていたので、あれ?と思ったものの、「きたぐに」にマニ37が連結されるのは下りの大阪~金沢のみ。つまりは、最後尾になるのでEF81と直接連結してなかったんですね。

上りはマニ37が連結されないので、EF81のTNカプラー対応をしたのはオユ10だけでした。

「あー、今から走らせようと思ってるときに、またピンバイスの用意からかぁ」と思ったんですが、何を思ったのか、そのまま強引に連結させてみました。互いのカプラーとも、あらぬ方向を向いているという感じではなく、マニ37を手で牽くとED75がついてくる、という感じで、意外と嚙み合ってます。

写真を撮らなかったのは、どのみち、途中で勝手に開放されて手直し(TNカプラー対応)をしないといけないだろう、と思ったからなのですが…。

走行シーンを撮影

まずは、駅の通過から。

ここまで、C280やC317、C541のカーブ区間を走り抜けて来たんですが、一向にカプラーが開放される様子もなく、TNカプラーとナックルカプラーの相性が、実はかなり良いのかと思っているところです。

今回はポイントや高架区間は無いので、そのあたりでどうなるかは判りませんが、基本は、加工してあげた方が安心かな、とは思います。

で、「津軽」の話に。

各車両の向きは正直、判りません。スハフ12以外、逆の可能性があります。

旧客時代の編成(KATOの津軽編成の説明書)を見ると、スハネ16、オロネ10とも、ドア位置が上野寄りなので、逆かもしれないですね。雰囲気を味わう、ということで。。

機関車を含む11両のうち、12系座席車が7両を占めていますから、A寝台・B寝台各1両の存在感が若干薄いんですが、この車両があるからこそ、12系ハザのみの列車ではなく「津軽」らしさを生み出してるんですよね。津軽3号・2号の上野-秋田間は荷物車は無いですがA寝台1両、B寝台3両ですから、また雰囲気が変わると思います。

スハネ16は保有していませんが、スハネ16は見た目がオハネフ12と近いですし、今度は3号・2号として走らせてみたいですね。

最後に、写真をいくつか。

寝台車が短いからこそ、機関車・荷物車・B寝台車・A寝台車・座席車が一度に見える、というのがいいところでもありますね。

ホームに停車する「津軽」。12系座席車と10系寝台車。昭和後期の夜行列車の雰囲気が好きですね。

たまたまなのですが、70mmの直線レールの代わりにトラフガーター橋を挟んでみたら、結構いい感じになりました。

というわけで、ED75-700番台を手にして、12系時代の急行「津軽」を走らせてみたお話でした。

最後に、参考として1978(昭和53)年10月改正の急行「津軽」の時刻表と編成表を挙げておきたいと思います。

走らせた編成の頃ではなく、12系前半2年のグリーン車があった頃のダイヤです。

【参考】急行「津軽」時刻表

【下り・津軽1号/3号】

401403
急行津軽1号急行津軽3号
上野19312241
大宮19582306
19592306
小山20422345
20442345
宇都宮2107008
2113010
西那須野2145043
黒磯2156054
2203103
黒田原2212
白河2229
2229
郡山2300158
2303202
二本松2324
福島2345242
2353258
米沢043348
054356
赤湯412
412
上ノ山432
山形145445
153454
天童508
東根519
新庄252600
255605
真室川623
院内342
横堀659
湯沢400713
十文字409722
横手421735
428739
飯詰752
大曲447800
450800
秋田540853
549908
大久保607
八郎潟618934
森岳950
東能代6481006
6501007
二ツ井7071023
鷹ノ巣7221035
大館7401052
7421054
碇ヶ関8041115
大鰐8131123
弘前8241135
8271136
青森9101210

【上り・津軽2号/4号】

402404
急行津軽2号急行津軽4号
青森15502035
弘前16272108
16292110
大鰐16412122
碇ヶ関16502131
大館17122156
17142158
鷹ノ巣17302214
二ツ井17422226
東能代17582244
18032248
森岳1815
八郎潟18342314
大久保2323
秋田19022342
19212350
大曲2012040
2013040
飯詰2021
横手2039100
2043102
十文字2054
湯沢2103
横堀2116
真室川2152
新庄2208221
2217231
東根2254
神町2301
天童2309
山形2324341
2336351
上ノ山2352
赤湯016
017
米沢034438
044452
福島132549
155558
二本松620
郡山237641
239643
白河716
716
黒磯336739
344746
西那須野756
宇都宮428830
430832
小山454856
456857
大宮538939
538940
赤羽552954
上野6051006

【参考】急行「津軽」編成表

急行[津軽4号]
← 上野

急行[津軽1号]
青森 →

34567891011
A寝B寝
B寝は客車三段式

急行[津軽2号]
← 上野

急行[津軽3号]
青森 →

1234567891011
B寝B寝A寝B寝
1・2号車は、上野-秋田間
B寝は客車三段式