24系24形 寝台特急「あけぼの」

2024年7月にTOMIXから発売された、98845「国鉄 24系24形特急寝台客車(ゆうづる)基本セット」と98846「国鉄 24系24形特急寝台客車(ゆうづる)増結セット」。

8月のお盆休みに、ようやく走らせたときの話がこちら。

寝台特急「ゆうづる」はもちろん好きなんですが、この編成を購入したら、ぜひやってみたい、と思っていたのが、同一編成を使用した寝台特急「あけぼの」です。

寝台特急「あけぼの」

大阪に住む者には馴染みの薄い列車でした。秋田・青森には寝台特急「日本海」が走っていましたし、わざわざ東京に出て寝台特急に乗る、という選択肢は無かったと思います。

それが一転してしまったのが、「日本海」の廃止。2012(平成24)年3月のダイヤ改正です。

東北本線を走った「はくつる」「ゆうづる」ともに廃止となって久しい頃ですので、青森へ行く唯一の寝台特急となったのが「あけぼの」。それだけでは無く、いわゆる「昔ながらのブルートレイン」としても、唯一の列車となっていました。

2014(平成26)年3月の改正で廃止になるということで、駆け込みで乗車した時の話がこちらです。

そんなこともあって、廃止後も気になる列車ではあり続けたんですが、乗車した時の編成は、「ソロ」や「ゴロンとシート」があって、外見的にも特徴のあるもの。

鉄道模型の趣味を再開する前の2020年に再生産されたもののよう(初回のロットは2010年?)ですから、手元には無いんですが、いずれ再生産があったら購入してしまうかも、というところですね。

「あけぼの」のちょっとした歴史は、

にも紹介しています。

この記事が象徴するように、最後まで20系車両を使用した寝台特急としても有名です。

1970(昭和45)年10月改正で、夜行急行「おが」(上野-大館)を格上げする形で寝台特急「あけぼの」(上野-青森)が定期列車として走り始めました。

そのデビュー当時から、上野-黒磯間はEF65形1000番台が牽引しています。

3年後の1973(昭和48)年10月改正で上野-秋田間に1往復の増発。2往復に。

1975(昭和50)年11月に奥羽本線が全線電化されるのに伴って、山形-秋田間の牽引機関車がDD51からED75形700番台へと変わっています。

1980(昭和55)年10月改正で、20系から24系24形に置き換え。20系時代のA寝台2両を守り続け、オロネ24を2両連結しています。当時のブルートレインとしては唯一だったはずです。もっとも、このオロネ24確保のため、「ゆうづる7・8号」「日本海3・2号」からA寝台が外される、という裏側もあったようですけどね。

2年後の1982(昭和57)年11月。東北・上越新幹線開業による東日本エリアの大改正で、「ゆうづる」は削減されますが、奥羽本線経由の「あけぼの」は、急行「津軽」の1往復を格上げする形で上野-青森間に1往復増発。計3往復に。増発分は24系25形でA寝台車なしの編成でした。

同時に、24系24形の既存編成からもオロネ24が1両ずつオハネ24へと置換えられ、A寝台車2両の編成は無くなります。これに伴って、「ゆうづる9・4号」にもオロネ24が復活します。(一方で、オロネ24を抜き取られた「日本海」は、宮原のモノクラス24系25形に置き換えられて、A寝台なしのままとなりました。。)

この24系24形のB寝台車は、同年12月から2段化改造が始まり、翌1983(昭和58)年5月までに全車両の2段化が完了したそうですが、この頃の編成が、まさにTOMIXから発売された編成となります。

しばらく大きな変化が無いんですが、1986(昭和61)年11月の国鉄最後のダイヤ改正で、3往復とも基本編成からB寝台車2両が減車。電源車込みの10両編成となっています。

JR移行後の1988(昭和63)年3月。青函トンネル開業による大きな変化がありましたが、この改正で24系25形の1往復が廃止となり、上野-青森、上野-秋田の各1往復による運転となっています。

1989(平成元)年には、夜行バスへの対抗として14系座席車を1両連結する、ということがあったようですが、秋田方に車掌室付きの車両が1両、連結されて走る姿の写真を見つけることができました。恐らく発電のできるスハフ14でしょうね。突発的に組み込まれるので、電源系統は14系で独立していたでしょうし。

「あけぼの」に大きな変化が現れるのが、1990(平成2)年のこと。山形新幹線開業に向けての改軌工事のため、1往復が東北本線・陸羽東線・奥羽本線経由に、もう1往復が、上越線・羽越本線経由に変更となり、名前を「鳥海」とされました。ここで「あけぼの」が20系時代以来の1往復に戻ったわけです。

陸羽東線ではDE10が重連で牽引する、という姿が1997(平成9)年3月に陸羽東線経由の「あけぼの」が廃止されるまで続きました。「あけぼの」の名は、旧「鳥海」のルートをそのままに引き継がれています。このときに感じた(「あけぼの」が上越線を走るということに対する)違和感は次第に無くなりましたが、「あけぼの」が廃止となるまでの17年間、この経路を走り続けたわけで、福島から奥羽本線に入るルートを走った期間(1970年から1990年)と大差ないことに驚きを感じます。

ちなみに、陸羽東線経由時代の1993(平成5)年12月から、黒磯での機関車交換は無くなり、上野-小牛田間をEF81によるスルー運転となったそうです。

車両の方は、1991(平成3)年12月の改正からスロネ24-550のシングルDX、オハネ24-550のソロが2両組み込まれ、シンプルなロネ+ハネの編成からの脱却となっています。模型の編成が使用できるのは、JRマークを貼付してもここまで、ということですね。

2013年12月撮影

上越線経由になってからは2002(平成14)年に「ゴロンとシート」が設定されたり、当初上野口ではEF81牽引だったのが2009(平成21)年3月からは上野-長岡間でEF64による牽引に変わったりと小さな変化があり、2014(平成26)年3月の改正で定期運転の終了を迎えました。当時は、臨時列車に格下げ、という風にも扱われていましたが、結局のところ、臨時列車での運転も2015(平成27)年1月の運転を最後になくなり、「あけぼの」としての運転が終了したことになります。

24系24形「あけぼの」として

なんだか、いろいろと書いてしまいました。やっぱり、好きなんでしょうね(笑)

というわけで、TOMIXの24系24形「ゆうづる」の編成を「あけぼの」として走らせてみたいと思います。

1985(昭和60)年3月当時、秋田運転区の24系24形を使用していた「ゆうづる5・4号」は、「あけぼの5・2号」との共通運用で、秋田を「あけぼの2号」として上野へ、尾久で整備をして同夜に「ゆうづる5号」として青森へ、同夜に「ゆうづる4号」で上野に戻った後、再び尾久で整備の後、「あけぼの5号」で秋田へ戻る、という運用(秋104)でした。

同じ編成を使用していた「あけぼの1・6号」は、「出羽」で上野に、「あけぼの1号」で青森、「あけぼの6号」で上野、「出羽」で秋田に戻る、という運用(秋105)だったようです。

用意したのは、オハネフ24用の前面窓ガラス(上の方)と、トレインマークのシール。

シールの色が変わる部分でカットして、前面窓ガラスが裏側(車内側)から貼り付けます。必ず微修正が発生しますので、いきなりしっかりと貼り付けないように。。

表に返して、いい感じのところでしっかりと貼り付けます。

オハネフ24は、テールライトと反対側からボディを外します。

前面窓ガラスは側面ガラスからしっかりと押さえられていますので、全てばらす必要があります。

もとに戻して完成です。

シールの成分が影響するのか、ちょっと写真ではムラが見えますね。

この写真は、手前がTOMIXのオハネフ24、奥がKATOのオハネフ25-117(金帯)です。

KATOの方は、標準で「日本海」と「あけぼの」が変換装置で用意されています(ほかに「団体」と「臨時」も)。

今回の準備はこれだけです。

牽引機関車は、ユーズドで購入していたED75形700番台。

付属のヘッドマークを貼り付けたんですが。。

これ、間違ってますので参考にされませんように。

何が間違っているのかは、後ほど。

ED75形700番台+24系24形「あけぼの」

オハネフ24のトレインマークを「あけぼの」に変更したので、カニ24が進行方向。つまりは上野行「あけぼの2号」ということになります。

まずは、駅を通過する様子と、駅に停車するところ。

TOMIXの2175なので15年も前の製品(ひょっとしたら再生産のかも)ですが、低速減速時の挙動がかなりスムーズです。

続いては、カーブでの走行。

着ていた服がよくなかったのか、改めて撮影した動画を確認すると、すごく綿埃が散ってますね。車両にもついてました。照明の加減もあるでしょうが。。

ところで、この2つの動画。

間違いに気付いて撮り直したものです。

正しくは、こちら。

NGの写真がこれ。

ヘッドマークが下過ぎます。

ED75の貫通ドアにある窓ガラスのすぐ下にヘッドマークの取り付け部があります。

銀色の帯とヘッドマークの径が一直線になるくらいが正しい姿のようですね。

EF81とかはこれくらいの位置になるので、取り付け時に間違えてました。両面テープなので、どこにでも付いてしまいます。。

というわけで、撮り直した写真をいくつか。

白帯24系の「あけぼの」、懐かしさを感じます。

EF65形1000番台+24系24形「あけぼの」

秋田をED75-700に牽かれて出発した「あけぼの2号」は、山形駅で峠越えのためにEF71+ED78の重連に交換します。

福島駅に到着すると、黒磯までの交流区間をED75での牽引となります。1980年から、秋田機関区の700番台が福島機関区へ移り、「あけぼの」の黒磯-福島間での牽引にもあたっています。

黒磯から上野までは、EF65形1000番台。

このときにも書きましたが、EF65形1000番台は東海道・山陽を走るブルートレインよりも先に、「あけぼの」の上野-黒磯間で使用されました。寒冷地での重連運用を考慮しての貫通扉設置となった1000番台ですから、順当と言えば順当な運用ですね。

所有しているEF65形1000番台は、KATOの3061-1「EF65 1000 後期形」。「あけぼの」はパンタグラフが菱形の前期形の方が相応しいんでしょうが、そこは目をつぶります。

KATOの機関車なので、ヘッドマークは、3075-4「ED75 1000 前期形」の付属品、マグネット式のものを使用しました。

でも、まぁ、子供の頃の印象が強いのか、東海道・山陽を走るブルートレインに見えてしまいますね。

前期形・後期形の違いだけでは無いと思います。

オロネ24以降の白帯がいいですね。

というわけで、24系24形車両を「あけぼの」として走らせたお話でした。

最後に、当時(1985年3月改正)の「あけぼの」の時刻表を参考資料として掲載しておきたいと思います。

【参考】寝台特急「あけぼの」時刻表

【下り】

100110031005
1号3号5号
上野入線
(番線)
2023
(15)
2139
(17)
2200
(15)
205022002224
大宮211522252248
211522252249
宇都宮221623252354
221823262354
黒磯2258
2304
郡山2353
2354
福島032
043
山形351
359
新庄456
458
湯沢529558
十文字606
横手449548618
451550620
大曲510609639
511609640
秋田600700730
608715ーーー
八郎潟634744
森岳649
東能代701819
701822
二ツ井717
鷹ノ巣731847
大館748903
750905
碇ヶ関812
大鰐821933
弘前832944
833945
青森9061027

【上り】

100210041006
2号4号6号
青森18062015
弘前18422049
18432050
大鰐18542102
碇ヶ関
大館19252132
19272134
鷹ノ巣19452150
二ツ井2202
東能代20102218
20112219
森岳2231
八郎潟20362247
秋田21042316
205021132326
大曲21372203017
21382204018
横手21572223037
22002225039
十文字2212
湯沢22202243
新庄2332
2334
山形022
030
福島
郡山
黒磯659
705
宇都宮442454746
444456748
大宮546607849
547608849
上野
(番線)
612
(7)
633
(6)
915
(14)