ED75-1000と12系急行「十和田」・14系寝台特急「ゆうづる」

2023年10月9日

14系座席車による急行「阿蘇」や「雲仙」を走らせたのが前回のこと。

その記事の中で14系と対比するように12系に触れたんですが、自分自身でも意外だったのが12系時代の急行「十和田」を走らせていなかったことです。

急行「十和田」と急行「八甲田」

特徴のあるスニ41を連結した12系時代の急行「八甲田」の話は、昨年8月末に書いていました。

その中で、同じく上野-青森を走る急行「十和田」にも触れてましたね。

急行「八甲田」と急行「十和田」。どっちが東北本線(福島経由)で、どっちが常磐線経由だったっけ?と。

どちらも上野-青森を走る急行だけに覚えにくかったのですが、次の2点を記憶していれば間違いないことに気付きました。それがこれ。

・急行「八甲田」は、上野駅発着時点でEF58/EF65-1000が牽いていた。
・急行「十和田」削減の理由は、寝台特急「ゆうづる」への格上げのため。

これでもう、間違いないですよね。

さて、その急行「十和田」。

古くは終戦直後、1946(昭和21)年に、「北斗星」よりもロングランとなる横浜-札幌間を直通する(名前のない)急行列車として誕生しています。登場時の4月は上野発着、7月に東京発着となり、11月から横浜発着となったようです。

もちろん青函トンネルの無い時代ですから、青森-函館間は客車を航送したようで、この頃のダイヤがどういうものだったか、気になるところです。(ネット上には資料が散見されますが、引用は控えます)

一時期は連合軍専用列車となりましたが、1954(昭和29)年10月からは東京-青森間の急行列車(連合軍専用列車ではなく一般の列車)となり、同時に「十和田」の名前が付けられたようです。急行「八甲田」の登場が1961(昭和36)年10月ですから、その7年前のことですね。

とはいえ、マイネフ38が2両、マロネ29が2両、スロ54、スロハ32が各1両、あとのハが3両と、優等客車の比重が高い、高級列車だったようです。

それ以降はダイヤ改正ごとにハネ・ハのクラスの割合が増え、「八甲田」が登場した1961(昭和36)年10月には…、あれ、スロとスシこそありますが、寝台車が無くなってますね。不定期の1往復(こちらも座席車のみ)が増えて、2往復になっています。

4年後の1965(昭和40)年10月の改正では「いわて」「おいらせ」を統合して4往復体制になり、いずれの列車にも寝台車が連結されるようになりました。

さらに3年後の1968(昭和43)年10月の改正、いわゆるヨンサントオでは、「みちのく」と「おいらせ(不定期)」を統合して、7往復になっています。この改正が急行「十和田」のピークとなりました。

1970(昭和45)年10月には1往復が寝台特急「ゆうづる」(583系)に、1972(昭和47)年3月にも1往復が「ゆうづる」に格上げされて、5往復に縮小しています。

1975(昭和50)年3月には、さらに「ゆうづる」への格上げで「十和田」は3往復になりましたが、それまで旧客(3往復は10系寝台車も連結)だった車両が、1往復のみ、12系(座席車のみの12両編成)へと置き換わっています。

これが第1次の12系「十和田」の誕生です。

ところがこの12系編成、翌年には14系(同じく座席車のみの12両編成)へと置き換わります。さらに翌年には旧客だった2往復のうちの1往復が20系(座席車はナロネ21改造のナハ21)へと置き換わりました。

その3年後となる1980(昭和55)年10月改正で、旧客座席車の「十和田5号/2号が」再度12系座席車へと置き換わるんですが、それまでの旧客時代に連結していたマニ37とオユ10を連結するという、ちょっと異色な編成となりました。12系座席車は10両での編成となっています。

2年後の1982(昭和57)年11月改正では1往復にまで縮小の上、14系が12系に置き換わったと考えるべきか、12系12連のみが生き残っています。ここまで縮小されたのは、この改正が上越新幹線開業+同年6月に開業した東北新幹線大宮-盛岡の本格ダイヤ改正となった、東日本の全面的なダイヤ改正だったからでしょうね。

「ゆうづる」の方は、同改正で削減されたとはいえ5往復を維持していますので、特急誘導なのでしょう。

それを象徴するかのように、2年半後の1985(昭和60)年3月改正で、急行「十和田」は30年の歴史に幕を下ろしました。(同改正で「ゆうづる」は3往復に削減)

急行「十和田」の編成

というわけで、12系のみ12両編成の「十和田」も悪くはないですが、荷物車・郵便車を連結した、味のある第2次の編成で走らせてみたいと思います。

急行「十和田」

← 202レ 上野

205レ 青森 →

荷物郵便12345678910
マニ37オユ10スハフ12オハ12オハ12オハ12オハフ13スハフ12オハ12オハ12オハ12オハフ13
マニ37は、下り(5号) 上野→仙台 間のみ

1980(昭和55)年~1982(昭和57)年頃の急行「八甲田5号/2号」

マニ37とオユ10は、KATOの急行「きたぐに」のセットから。12系のオハフ13は、いつものようにスハフ12で代用します。

12系はよくある6連×2ではなく、5連×2。それまでの旧客時代がグリーン車1両に普通車10両だったので、そうなったのでしょう。

スハフ(オハフ)の車掌室側が向かい合うスタイルなので、両端がナックルカプラーで問題なし。「八甲田」のときのような問題(スハフ12の車掌室がオハ12と連結される)は起こりません。

マニ37、オユ10は、ともに両端ともにナックルカプラー化しています。

せっかくのマニ37も連結したいので、走らせる列車は下りの「十和田5号」ということになりますね。

牽引機関車

牽引機関車は、上野-水戸間がEF80、水戸-青森間がED75になります。

EF80は、関西に住む者からすると馴染みが薄くて、鉄道模型の保有車両として購入しようという気がなかなか起こらないものの一つです。運用(牽引する列車)も限定的ですしね。

この興味の無さは、13年前に「碓井鉄道文化むら」を訪れた時の写真にも表れてます。EF58を写した写真は複数あるのに、EF80が写っているのは、これだけ。

2010年5月 「碓井鉄道文化むら」にて

いや、これ、写り込んだだけみたいなもんですね。。

そんなわけで、牽引機関車は水戸以北を牽いていたED75に。

もっとも、ED75が身近な存在だったかというとそれもないんですが、子供のころに本で見た、北東北を走るブルートレインと言えば…、という憧れに近いものはあります。EF80より。

それに、先月、KATOから 3075-4「ED75 1000 前期形」が再生産されたというのもあります。ちょうど(というのか)14系編成の寝台特急「ゆうづる」をユーズドで購入したED75で牽引していたので、新調したいという思いが重なったので、購入してしまいました。

KATO 3075-4 ED75 1000 前期形

すでに所有しているユーズドの製品より、かなり細部が表現されていますね。

というわけで、さっそく走行前の準備を始めます。

付属のパーツは「ゆうづる」と「あけぼの」のクイックヘッドマーク。それに、選択式のナンバープレートとメーカーズプレート、交換用のナックルカプラーと、右端にあるのがジャンパ栓です。

機関車でジャンパ栓の後付けパーツがあったのは(私自身は)初めてですね。

それとちょっと嬉しかったというのか、ホッとしたのが、ホイッスルと信号炎管が一体成型になっていたこと(笑)。あれは、鬼門です。

選択できるナンバーは、
・1004
・1008
・1011
・1014

このうち、1014だけが「東芝」で、あとは「日立」です。

1000番台は高速貨物列車や20系ブルートレイン牽引に対応した高速運転用の区分で、基本番台にブレーキ系統の変更が入っています。その他いくつかの意匠の変更もあるようですが、14系・24系は牽引機の制約も無くなって、基本番台と区別なく運用されたようです。

で、ナンバープレートをどれにしようかと思案したんですが、いずれも1968年に製造された車両で、いずれも青森機関区に配属されています。なので、決め手はなく、なんとなく下1桁が末広がりの1008に決定。

ナンバープレート、メーカーズプレートともに、プレート裏側の機体に押し込む部分が、ランナーからの切り離す箇所になるので切り跡が見えず、いい仕上がりになります。

次に、アーノルドカプラーを付属のナックルカプラーに交換。

カプラーの土台になっているスカート部分を外して、カプラーを差し替えます。

特に問題なしですね。

客車牽引側のナックルカプラーには、TOMIXのTNカプラー対応の加工を施します。

急行「十和田」だけならKATOのナックルカプラーどうしなので問題ないんですが、せっかくのED75なのでTOMIX 14系の「ゆうづる」も牽いてみたいな、と。

確認のために、TNカプラーのスハネフ14に、交換用のナックルカプラーをぶら下げてみます。

ナックルカプラー側の突起が干渉して真っすぐにはなりません。

というわけで、この出っ張りを切り落として、そこに0.5mmのピンバイスで穴を開け、0.8mmで入り口部分だけ穴を拡げます。

こんな感じですね。

これをED75に取り付けます。

がっちりと噛み合ってます。

最後に、TNカプラー対応側ではない方に、ジャンパ栓を取り付けます。

連結面に取り付けると、客車と干渉することがあるようです。

ホンモノの機関車と比べてしまうとスカートからのジャンパ栓が無いのでリアルさは落ちますが、ジャンパ栓は良い味を出していると思います。

比べると言えば、手元にあるユーズドのED75。型番が 3009-1 というものです。

左:3009-1 右:3075-4

比べると可哀そうなのですが、手すりは板状、開放てこは一体成型、テールライトもボディと一体です。

精密加工技術の進化の違いなんでしょうね。

並べて違いを感じたのがもう一つ。

上:3009-1 下:3075-4

あれ、ボディの長さが違う。。

そういうものなんですかね。

というところで、実際に走らせてみたいと思います。

ED75-1000 + 急行「十和田」

まずは、いつものように、駅の通過シーンから。

やっぱり、上野寄り2両の存在感(違和感?)がありますよね。

続いては、カーブの通過シーン。

上野を出た「十和田5号」は常磐線を走り、水戸で機関車をEF80からED75へと付け替えますが、その後、早朝の仙台で、最後尾のマニ37を切り離します。

続いては、そのマニ37を切り離した後の姿です。

12系の車両数も牽引機関車も違いますが、急行「きたぐに」も、新潟以北は12系+オユ10の編成でしたよね。

14系 寝台特急「ゆうづる」

せっかく、ED75-1000を購入したので、TOMIXの14系寝台車で「ゆうづる」として走らせてみます。

12系の急行「十和田」が走った時期(マニ37、オユ10を併結した時期)は、前述の通り、1980(昭和55)年10月改正、となっているんですが、実際にはその前年、1979(昭和54)年10月から先行して12系化されているようです。

この1年というのが大きな意味を持ってきます。

というのが、1980(昭和55)年10月改正で、14系「ゆうづる」が季節列車になってしまうんですね。

1979(昭和54)年10月~1980(昭和55)年10月であれば、定期列車としての「ゆうづる9/8号」として、12系「十和田」と共存できます。1980(昭和55)年10月~1982(昭和57)年11月であれば、季節列車の「ゆうづる9/4号」との共存となります。

まぁ、定期列車であっても季節列車であっても、「走る日には走る」わけですし、編成に違いがあるわけではないので、列車名と列車番号が変わるくらいです。鉄道模型にとっては、どっちでもいい話ですね。

マニ37/オユ10を最後尾として走る「十和田」は青森行の下り「5号」ですので、それとすれ違う「ゆうづる」は改正前なら「8号(5018ㇾ)」、改正後なら「4号(6008ㇾ)」となるわけです。

上野行となるので、A寝台のオロネ14は、先頭から2両目。前回走らせた時とは逆になります。

駅通過の撮影も、角度を変えるといつもとは違った風景が見えます。

長編成での大半径カーブ、ちょっと上から見下ろすのもいい感じですね。

写真撮影

最後は、「十和田」「ゆうづる」の静止画を。

まずは、「十和田」から。

12系の車両が急行らしさを醸し出しています。

マニ37とオユ10が、12系車両オンリーの列車とは全く違った雰囲気を出してますね。

同じ角度でもう1枚。

仙台でマニ37を切り離した後の姿です。

ED75が牽引する「ゆうづる」と。

続いては、カーブでのすれ違い。

最後の写真は、その逆側から。

というわけで、先月に再生産されたKATOの ED75-1000 前期形で、12系急行「十和田」と14系寝台特急「ゆうづる」を走らせたお話でした。