EF58-150 と マイテ49

この5月下旬、予約購入していた鉄道模型の新製品がいくつか届きました。どれもが気になる存在ではあるんですが、6月はいろいろと用事が立て込んで、鉄道模型を走らせることが出来る日が1日しかなさそうなんです。

となると、やっぱり一番華があるこれかな、と取り出したのが、KATOの 10-1893「JR西日本 マイテ49+旧形客車 4両セット」と 3049-1「EF58 150 宮原運転所」です。

EF58-150号機

EF58の150号機は、既に手元にあります。

が、これは、3049-2「EF58 150 宮原機関区 ブルー」の方。

現実世界では同じ車番の車両が同一時期に存在することは基本的に無く、模型ならではですよね。同時に並ぶと違和感があるはず。そう、ミッキーマウスのように…。

と思っていたんですが、実際のところ、車番入りの模型車両は同じ車両が同一編成の中にたくさん連結されていても、ほぼ気にならないです。

米タンのタキ1000-891は、12両ともに同じ車番ですが違和感を持ったことは一度もありません。

ましてや、同じEF58-150でも、塗装が違うと全くの別物ですからね。

そのEF58-150ですが、製造は1958(昭和33)年のこと。今から66年も前になります。宮原機関区に所属して、東海道・山陽を走る優等列車を牽引し続けてきたんですが、1985(昭和60)年に運用を離脱して、翌1986(昭和61年に一旦廃車となっています。

このとき、まだ製造から28年だったんですよね。運用されていたのは27年間ですから、非常に短く感じてしまいます。

ところがその翌年、国鉄分割民営化が実施された年に車体色を茶色に変更して車籍復活。この状態でJR西日本へと継承されました。

廃車→復活の経緯はわからないですが、廃車→解体の流れにならなくて良かったと思います。

JR移管後は、臨時列車・イベント列車の牽引機として活躍しましたが、2009(平成21)年を最後に本線上を走ることも無くなり、そのまま2011(平成23)年に引退しました。

その後、車体色が国鉄時代のブルー(一般色)に戻されて、現在は京都鉄道博物館で展示されているのはご存じのとおりです。

現在、カットモデルではなく全形で保存されているEF58は、鉄道博物館の61号機、89号機、リニア・鉄道館の157号機が茶色ですので、一般色はこの150号機と碓井鉄道文化むらの172号機しかなく、ある意味貴重な車両です。

ん?これでは 3049-2「EF58 150 宮原機関区 ブルー」か、3049-9「EF58 150 京都鉄道博物館展示車両」の紹介ですね。。

3049-1「EF58 150 宮原運転所」

実際のところ、JR西日本発足の1987年から2009年までの間に、EF58-150が牽引するイベント列車に乗車したかというと、それは無く、珍しく「あまり縁のない車両の購入」となりました。

とはいえ、EF58自体は機関車の中でも好きなランキングの上位に入る車種ですし、「買いたい!」と思った気持ちを大切にしました。

付属するパーツは、写真上から、ヘッドマーク「すきやねん国鉄ご愛顧感謝号」「EF58&マイテ49」、ナックルカプラー、ホイッスル、信号炎管とニギリ棒。ヘッドマーク以外は 3049-2「EF58 150 宮原機関区 ブルー」と同じですね。

カプラー交換

というわけで、さっそく取り付け。

前回の反省(教訓)を活かして、カプラーの交換を先に行います。

カプラー交換は、先台車の取り外しから始めるのですが、2年前にも悩んだように今回も「力任せでいいんだったっけ?」と。

先台車は思う以上に柔らかく、というのか、力をかけにくいのですが、写真の通り、先台車との接合部分となる突起先端近くの溝に噛み合わせてあるだけですので、工具不要で力任せに取り外すしかないです。

ナックルカプラーの向きからお分かりの通り、カプラーを取り付けた後のエンドビームは天地逆で置いています。

このエンドビームを逆さにして、ナックルカプラーが落ちないように注意しながら先台車に取り付けます。

そのあと、裏側(台車下側)からステップを被せておしまいです。

ニギリ棒取り付け前なので、何となく締まらないですが。。

信号炎管とホイッスル

これまで何度も「鬼門」と言い続けてきた信号炎管とホイッスル。

特に信号炎管は、ちょっと目を離すと行方をくらまします。

が、前回のED76に次いで、今回も一つの行方不明者を出さずに取り付けを終えることが出来ました。

慣れ、なんですかね。

ニギリ棒とヘッドマーク

こちらは信号炎管に比べると大きなパーツではあるんですが、運用中(っていうか、遊んでるとき)に、何かに引っかかってか無くなることもあります。なので、いくらかの予備を残しておけると安心です。

折れて破損した、は無いのですが、気付けば無くなっていた、はあります。

というわけで、信号炎管、ホイッスル、ニギリ棒の取り付けが完了です。

最後にヘッドマーク。

「つばめ」デザインの「すきやねん国鉄ご愛顧感謝号」を取り付けることにします。

ヘッドマークはいずれもマグネット式のもの。なので、プラスチックよりは切り落としにくいのですが、特別な工具が必要なほど硬くもありません。

いつも、ちょっとバリが残ったように仕上がってしまうので、今回はギリギリを攻めようと思ったのが裏目に出ました。最後のカットをしたときに、表面(ヘッドマーク表面)のプリント部まで一緒に落ちてしまったんです。

これは、痛い。でも、一つしかないので仕方ないですね。

2つの150号機

せっかくなので、と、3049-2「EF58 150 宮原機関区 ブルー」を持ち出してきました。

正面から。色以外は、ほぼ同じです。

が、上から見ると、列車無線アンテナの有無がよく判りますね。茶色のは屋根が黒いので、薄いグレーの列車無線無線が目立ちます。

というわけで、EF58の整備が完了です。

展望車 マイテ49-2

続いては、展望車マイテ49。

マイテ49-2は、特急「富士」用の一等展望車として、1938(昭和13)年に鉄道省大井工場で、スイテ37041として製造されました。今から86年前のことです。EF58-150よりも20年も前なんですね。

1941(昭和16)年にスイテ49-2と改称されるものの、戦時中は使用停止に。戦後はスイテ49-1とともに進駐軍に接収され、冷房装置を搭載したことから、1953(昭和28)年にマイテ49-2と変更されています。

接収からの解除後は「はと」等に使用され、「つばめ」の予備車となりましたが、その頃はいわゆる青大将色の淡緑5号という塗装となっていたようです。

1958(昭和33)年に「つばめ」が151系電車特急となったことから1等展望車として定期運用が終了し、同時に国鉄が2等級制に移行したため、このときからマロテ49-2となりました。

その後、しばらく団体専用(外国人観光客や国賓向け)の車両として使用されたものの、1961(昭和36)年に廃車となっています。

その翌年、1962(昭和37)年に開館した交通科学館に、開館当初から展示されることとなりました。

その25年後、民営化直前の1987(昭和62)年3月に「マイテ49-2」として、車籍復活。

JR西日本の車両としてイベント列車等でしばらく使用されましたが、2009(平成21)年の「SLやまぐち号」での運転を最後に旅客営業は行われず、宮原支所に長年留置されることに。その後、2022(令和4)年7月からは京都鉄道博物館で展示されているのはご存じのとおりです。

確か、子供の頃に、大阪市にある交通科学館で展望車の写真を撮ったはず、と古いアルバムを探してみたんですが、あるにはあったものの、父親が撮影した「子供(私)」の写真なのでアップ過ぎ。丸い「つばめ」のサインの付いたベランダに立っているような写真で、屋根も写っていない(切れている)ため、加工して掲載するのもやめておきます。

10-1893「JR西日本 マイテ49+旧形客車 4両セット」

さて、そのマイテ49を含む旧型客車4両セット。

4両セットですが、車両ケースは客車がさらに2両と、機関車1両を収納するスペースがあります。

説明書にも公式サイトの製品情報ページにも記載されている編成例には、「すきやねん国鉄ご愛顧感謝号」として、この4両セットに、オハ46を加えた6両編成(+EF58)が紹介されています。

オハ46は、急行「鳥海」用に、2000番台のオハ46-2000を所有しているのですが、もちろん車体色はブルー。

この4両セットと同時に、茶色のオハ46-0を発売してもらえればいいんですが、それはなく、なぜかAssyパーツでのみの再生産。

せっかくなので、割高ではあるんですがAssyパーツで組んでみよう、と2両分を同じショップで注文していたんですが、こちらの方が販売が遅かったんですかね。走らせた日に間に合わず、でした。

到着を待ってマイテ49を走らせたら良かったんじゃないか、とも思うんですが、先に書いたように6月は走らせられるのが1日きりなので、EF58-150と、4両という特別編成で走らせることにしました。

テールライトだけでなく、バックサインも点灯するのがいいですね。

付属パーツはこの通り。

写真の上から、カプラーアダプター2個、ナックルカプラー2個とKATOカプラー1個(ナックルカプラーがばらけてます)、それに交換用のテールマーク。左から「やまぐち」「さようなら国鉄」「EF58&マイテ49」「はと」です。

これに側面表示シールがあるんですが、それは後述。

車両に関してはカプラー交換以外は特に手を入れる必要はありません。出荷時のカプラーはというと、マイテ49の展望室側がダミーカプラーという以外はすべてアーノルドカプラー。

これを、下記のように変更します。

オハフ33
-48
オハ46
-13
オハフ33
-289
マイテ49
-2
出荷時ArArArArArArArダミー
変更後ナックルKATOKATOKATOKATOナックルKATO付ダミー
Ar = アーノルドカプラー
ナックル = KATOナックルカプラー
KATO付 = KATOカプラー(セット付属品)
KATO = KATOカプラーN(別売)

カプラーの交換は、基本的にはどれも同じ。台車を外して、アーノルドカプラーを取り外し、交換するカプラーを取り付けます。

ナックルカプラーはスプリングを残し、取り付けた後にカプラーアダプターをはめ込みますが、KATOカプラーはスプリングを取っ払ってしまってKATOカプラーを取り付けるだけ。

マイテ49以外の車両間は、別売のKATOカプラーNを取り付けましたが、アーノルドカプラーからの交換用ナックルカプラーでも良いかと思います。単価が高いですけど。

マイテ49の3軸台車が珍しく、写真を撮ってみました。

この台車は、ひねって取り外すタイプですが、他の3両はねじ止めです(だったはず…)。

左がオハフ33のナックルカプラー。右がマイテ49のKATOカプラーです。当然ですが、問題なく連結できています。

最後に、衝撃を受けた付属品。行先表示シールです。

「旅立ちJR西日本」号を再現する際は、別売の12系、EF65に下記のシールを貼ってください。

と説明書にあるんですが、シールに円形の切り込みがあるわけでもなく、ヘッドマーク用の丸いプラ板も用意されているわけではありません。

これを見栄え良く作成しようと思うと、かなりハードルが高いですよね。。

ちなみに、「旅立ちJR西日本号」は、12系6連にマイテ49を連結した7両編成。これをEF65-1000後期型で牽引するものです。

機関車次位のスハフ12は「いこい」ですが、製品化されていないため通常のスハフ12での代用で案内されています。「いこい」車両は、車掌室と反対側(洗面所側)のドアが埋められ、帯の色も黄色になるという、見た目は全然違うものですが、無いものは仕方が無いです。製品化も望み薄でしょうしね。

通常のスハフ12を使用した編成なら、再現の難易度は低いので面白そうと思ったんですが、まさかのヘッドマーク自作とは…。

というわけで、今回は、「すきやねん国鉄ご愛顧感謝号」4両特別版で走らせてみたいと思います。

走行の様子

まずは、駅通過のシーンから。

EF58-150から、一貫して編成末尾のマイテ49まで茶色で統一されているのが美しいです。

茶色の客車=古い車両のはずなのに、さほど古さを感じさせないのは何なんでしょうかね。

単に模型が新しいから、というだけの理由かもしれませんが。。

続いては、カーブでの走行シーン。

今回は、マイテ49をメインと考えていたので、全て展望室が見える位置での撮影となりました。

やっぱり茶色で統一されていることで、雑多な旧型客車でありながら編成美を楽しめますね。

複線の対向側には、同じくブルーで統一したEF58-150と12系4連。4両編成としたのはメインとのバランスを取るためなので、今度は、旧客側にはオハ46を2両追加して、6両編成どうして走らせてみたいですね。

最後に写真を何枚か。

動画では撮らなかったEF58の正面です。

続いては、やっぱりメインのマイテ49-2。

やや横からと、正面から。

続いては、カーブでのEF58。

ブルーEF58とのすれ違い。

EF58どうしのすれ違いシーンは、機関車の力強さを感じる一枚になりました。

最後に、EF58の横並び。一番奥のは古い車両ですが、まだ十分に走ります。

こうしてみると、やっぱりEF58が好きなんだな、って思います(笑)