時刻表復刻版 1970年8月号を購入

JTBパブリッシングが発行する『時刻表復刻版』に、第13弾となる 1970年8月号が発売されました。
時刻表復刻版 第13弾
第1弾「1964年10月号」(昭和39年)
第2弾「1964年9月号」
第3弾「1988年3月号」(昭和63年)
第4弾「1968年10月号」(昭和43年)
第5弾「1967年10月号」(昭和42年)
第6弾「1978年10月号」(昭和53年)
第7弾「1925年4月号」(大正14年)
第8弾「1982年11月号」(昭和57年)
第9弾「1985年3月号」(昭和60年)
第10弾「1972年3月号」(昭和47年)
第11弾「1982年6月号」(昭和57年)
第12弾「1986年11月号」(昭和61年)
と続いての、第13弾。(リンクは、それぞれの紹介ページです)

今回の第13弾は「1970年8月号」。昭和45年8月です。
本日、2025年4月13日に「大阪・関西万博」が開幕しましたが、55年前の1970年にも大阪で万博が開催されていました。
万博そのものはリアルには体感できていない世代なんですが、大阪に住む人間としては吹田市にある万博記念公園や太陽の塔は子供の頃から馴染みのあるものですし、鉄道ファンとしても、当時、地下鉄御堂筋線・北大阪急行電鉄の万国博中央口駅が開設されていたことなど、気になる存在ではありました。
その頃の万博輸送のダイヤが掲載された1970(昭和45)年8月号。
ダイヤ改正号では無い時刻表復刻版は少数派ですが、大阪・関西万博の開幕前日(開会式当日)に発売された、1970年の大阪万博開幕当時の時刻表。面白くないはずがありません。
というわけで、今回も、関西人の私が個人的に気になった部分について、見ていきたいと思います。
ポイント①:やっぱり万博輸送(会場周辺)
巻頭の黄色いページに4ページにわたって、「万国博観覧ご案内」の特設ページが設けられています。
「万国博の会期も残り少なくなりました。」から始まる一文に、「おっ」と思ったんですが、8月号ですからね。70年万博は、3月15日から9月13日までと、確かに終盤です。2025年の万博は4月13日から10月13日までですので、ちょうど1ヶ月、開始と終了が早かったんですね。
それはともかく、鉄道による輸送が充実していたことが伺えます。
最初のページに、ルートが5つ、紹介されています。
メインとなる大阪市内からのルートは、大阪駅・新大阪駅から、地下鉄御堂筋線に乗車し、北大阪急行直通の万国博中央口駅へと向かうルート。このページには北大阪急行という名前が出てこず、地下鉄御堂筋線という紹介のされ方ですね。後半の、バス・私鉄線のページでは、大阪市営地下鉄御堂筋線の駅として、
キロ数 | 賃 | 駅名 |
9.0 | 70 | 万国博中央口 |
0.0 | 円 | 江坂 |
2.9 | 30 | 新大阪 |
6.4 | 40 | 梅田 |
7.7 | 50 | 淀屋橋 |
8.6 | 50 | 本町 |
9.6 | 50 | 心斎橋 |
10.5 | 50 | 難波 |
(以下略) |
このように案内されていて、ページの欄外に「江坂-万国博中央口は北大阪急行線 万国博中央口・新大阪間 100円 万国博中央口・梅田間 110円」との記載があります。
ちなみに、当時の100円は国鉄で21~25kmの運賃に相当し、現在のJR本州3社の幹線では420円に当たります。
今回の会場最寄り駅、夢洲駅まで、大阪メトロ梅田駅からは430円ですから、その近似性が面白いですね。
続いてのルートは、阪急千里線万国博西口駅。
「阪急千里線(阪急梅田駅)に乗り換え、万国博西口駅で下車。(阪急梅田から直通約29分)」とありますので、特に万博輸送用の急行などの運転は行っていなかった、ということですかね。
こちらも、後半の時刻表ページには、
キロ数 | 円 | 天神橋筋六 |
3.5 | 20 | 淡路 |
6.0 | 35 | 吹田 |
8.6 | 35 | 千里山 |
10.2 | 50 | 南千里 |
12.4 | 70 | 万国博西口 |
13.6 | 70 | 北千里 |
とあります。現在の山田駅は、この表に換算すると「11.6(km)」となりますので、万国博西口駅は山田駅よりも800mほど北側にあった、ということですね。いまでも、そのあたりに「万博記念公園西口」という名前は残っています。
もう一つのルートは、国鉄の万博東口駅を利用するもの。これは、万博開催期間中、茨木駅に付けられた愛称で、他の2駅と違って正式名称ではありません。
といっても、茨木から実際の東口には2kmほどあり、ピストンバスに5分ほど乗車する、となっています。
東海道本線・山陽本線のページには、欄外に「◎万国博開催期間中は万博東口駅(茨木)に快速電車がとまります。」とありますので、それまでは、京都ー神戸間の快速の停車駅は、京都・高槻・新大阪・大阪・芦屋・三ノ宮・元町・神戸だったということですね。この頃の快速電車にはグリーン車が連結されていた、というのも興味深いところです。
紹介されている最後のルートが、名古屋駅からの国鉄ハイウェイバス。万国博中央口へ直行していたようですね。後半のバスのページを見ると、午前10時までに万国博会場へと到着する名古屋発のバスが、13本も設定されています(うち3本は8月31日まで)。
当時の運賃で、名古屋駅から780円。当時の国鉄の181~200kmでの運賃が800円で、現在ではその距離が3,410円。現在の名神ハイウェイバスが名古屋駅前から大阪駅まで3,100円ですので、同じような感じ、でしょうか。ちなみに、当時のバスで、名古屋-大阪間は830円だったようです。
これらのルート紹介の後に、全国各地からのアクセス手段も紹介されているのですが、その最後に「京都付近にお泊りの方は」との見出しがあり、
京都から国電を利用し、万博東口駅(茨木)からDルートによるか、または新幹線を利用して、新大阪からAのルートによるのが便利です。
とあります。京都-新大阪で新幹線!?と、新快速が当たり前の今、ちょっとした驚きを感じたんですが、その後に続く1文に納得しかけました。
(新幹線の京都・新大阪間の運賃・料金は万国博開催期間中、大人500円・小児250円でいずれも約5割引となっています。)
と。でも、先と同じ換算をすると国鉄運賃の120kmのちょっと上。現在では1,980円区間の少し上、ということですから、今の新幹線の運賃580円+自由席特急券870円の計1,450円と比べるとかなり高めです。
当時、「ひかり」は16両(うち2両がグリーン)の全席とも指定席、「こだま」は12両(うち半車が自由席グリーン)の半数強が自由席という編成でした。自由席のある「こだま」といえども指定席の100円引きでしかなかったそうです。なので、京都-新大阪の通常価格は、「こだま」自由席で運賃160円+自由席特急券600円の760円。「ひかり」指定席なら運賃160円+指定席特急券900円で1,060円となります。
当時の特別割引は「ひかり」にも乗車できたようですから、お得感はかなりあったと思います。
もっとも、現在でも指定席を利用すれば特急料金は通常期で2,290円ですから、似たようなもんですかね。
特設の3ページ目には「万国博旅行に便利なきっぷのかずかず」と題して、「万国博記念回遊券」が紹介されています。岡山・福知山・天王寺・大阪・名古屋地区を除く(って、これ、鉄道管理局のこと?)、もっと遠方の駅から大阪駅までの往復運賃で、大阪を中心に、東海道本線草津・山陰本線亀岡・福知山線宝塚・山陽本線明石・阪和線鳳と現JR奈良線・大和路線の内側にある線(大阪環状線や片町線)がフリーになるきっぷだそうです。フリーなのが何日なのかの記載はありませんが、お得感はあります。
特設の最終ページには、万博の各展示館の目安観覧時間や入場料金が紹介されています。
入場料は普通入場券で800円。国鉄ハイウェイバスのところで比較した通り、現在のJR運賃では3,410円相当。2025年の万博の普通入場券は、土日も使用できる一日券が7,500円ですから、比べてしまうと高く感じますね。物価高とかの影響を受けているんでしょう。
でも、行きますよ。楽しみにしてます。
それよりも、当時の時刻表に「万博」という表現が少ないことに驚きです。丁寧に「万国博」と言ってたんですね。
そんな感想で、このコーナーを終わりたいと思います。
ポイント②:やっぱり万博輸送(エキスポこだま他)
続いても、万博輸送について。
なにかと歴史に名を刻んだ急行「エキスポこだま」です。
大阪駅を毎夜22:58に発車し、東海道を上って、翌朝6:53に、東京駅では無く、静岡県の三島駅に到着します。そこが終点。
三島駅からは東海道新幹線の「エキスポこだま」と名付けられた「臨時こだま492号」三島駅発7:05に乗り換え、東京駅には8:10に到着となります。面白いのが、急行「エキスポこだま」と新幹線とで一体で料金を計算していたようで、700円との記載があります。
当時の「こだま」の新大阪-東京間の指定席特急券が1,500円で、三島-東京間が同700円ですから、夜行急行部分は完全におまけです。
時刻表からでは判りませんが、当時、万博輸送のために製造された12系客車では無く、各所から捻出した旧客で編成された列車だったようですから、やりくりが相当大変だったのだろうと思います。
それにしても、国鉄が仕立てた列車なのに、茨木駅(万博東口駅)を通過するのはなぜ?という気もしなくも無く。。
当時の外側線・内側線の使用を巡る確執、ですかね。
「エキスポ」と名の付く列車は他にもあって、名古屋発新大阪行の快速「エキスポ1号」(名古屋7:22 – 新大阪10:38)。上りは同名の「エキスポ1号」(新大阪18:20 – 名古屋21:22)。いずれも全車座席指定です。
こちらは茨木駅にも停車。急行とは事情が違うんでしょうかね。
他にも普通列車の「万博1号」(河瀬7:39 – 茨木9:16)、「万博3号」(茨木16:17 – 網干18:25)、「万博7号」(茨木22:45 – 西明石23:58)、「万博2号」(網干7:31 – 茨木9:42)、「万博4号」(茨木16:30 – 河瀬18:18)、「万博6号」(茨木21:21 – 河瀬22:47)なども。
「5号」が見当たらなかったんですが、8月には運転していなかったのか、不明です。というより、なぜ河瀬?です。
ポイント③:東海道夜行
東京-新大阪間で新幹線が開業して5年以上が経過しているこの年。「エキスポこだま」は別としても、東京-大阪間を夜行列車で移動できる手段はたくさんありました。
ちょっと時間帯的に厳しいものも含めて、
急行「瀬戸1号」東京19:55 – 5:25 大阪 5:32 – 宇野9:08
急行「安芸」東京20:05 – 5:30 大阪 5:35 – 広島12:15(呉線経由)
急行「瀬戸2号」東京20:45 – 6:16 大阪 6:23 – 宇野10:01
◆急行「長州」「瀬戸51号」東京20:55 – 6:22 大阪 6:31 – 下関15:35/宇野10:13
◆急行「銀河71号」東京21:35 – 7:04 大阪
急行「銀河1号」東京21:45 – 7:17 大阪
◆急行「銀河51号」東京22:00 – 7:36 大阪
急行「銀河2号」東京22:40 – 7:51 大阪 8:04 – 姫路9:29
これだけあります。臨時は全て座席車のみで、定期は全て寝台車連結です。
このうち、臨時の「銀河」はやはり、万博輸送ということでしょうね。
上りも同じように臨時の「銀河」が2本、設定されています。
ポイント④:新大阪を無視する在来線たち
さすがに、万博開催中は新大阪駅が主要な乗換駅となりますので多くの列車が停車しています。
それでも、例えば「銀河1号」は、「新大阪停車は9月13日まで」のように、万博が終われば通過する、という列車も多々。
京都発福知山線・山陰本線経由博多行の特急「まつかぜ」も、新大阪駅は通過。新幹線の下り初発が名古屋始発の「こだま271号」で、その新大阪着が8:05。「まつかぜ」の方は8:01に大阪駅を出ますので、新幹線からの乗り換えが不可なら通過する、ということのようです。
長崎・佐世保行の特急「かもめ」は、京都8:00発で、新幹線からの乗り換えも可能なはずですが、新大阪駅は通過。乗り換えは京都駅で、ということなんでしょうね。
特急だけでなく、名古屋発大阪行の急行「比叡」や、富山発大阪行の急行「立山」など、大阪着の列車は軒並み新大阪駅を通過。
山陽新幹線開通前はそんな感じだったんですね。
ポイント⑤:関西-九州夜行
定期列車では、新大阪-西鹿児島・長崎の「あかつき1号」が大阪駅を18:36に発車(新大阪発18:28 – 西鹿児島 9:35 / 長崎 7:21)するのを皮切りに、
19:19 急行「霧島」「高千穂」東京 11:10 – 西鹿児島 12:34(鹿児島本線経由・霧島) / 西鹿児島 15:24(日豊本線経由・高千穂)
19:36 寝台特急「彗星」宮崎 10:31
19:48 急行「西海」佐世保 9:54
20:06 急行「日南1号」宮崎 13:12
20:35 寝台特急「明星1号」新大阪 20:28 – 熊本 7:25
20:55 急行「天草」京都 20:09 – 熊本 10:34(筑豊本線経由)
21:07 急行「日南3号」京都 20:25 – 都城 16:02
21:36 寝台特急「あかつき3号」新大阪 21:28 – 西鹿児島 12:40 / 佐世保 9:32
22:07 急行「雲仙2号」京都 21:15 – 長崎 13:19
22:20 急行「阿蘇」名古屋 19:15 – 熊本 11:51
22:32 寝台特急「月光2号」新大阪 22:25 – 博多 7:51
22:35 寝台特急「明星2号」新大阪 22:28 – 熊本 10:13
23:08 急行「つくし」博多 10:27
0:09 寝台特急「さくら」東京 16:40 – 長崎 12:15 / 佐世保 11:48
0:29 寝台特急「みずほ」東京 17:00 – 熊本 11:15
と続きます。
この後にも、1:14に名古屋発博多行の寝台特急「金星」、1:29に東京発西鹿児島行の寝台特急「はやぶさ」、1:59に東京発日豊本線経由西鹿児島行の寝台特急「富士」、2:19に東京発博多行の寝台特急「あさかぜ1号」、2:39に同「あさかぜ3号」というように、続々と夜行列車が発車していました。
もちろん、山陽新幹線博多開業で激減しますが、それまでの大阪駅は夜も長距離列車の発車が続々とあったんですね。
ポイント⑥:その他あれこれ
この調子で時刻表を見続けると、いくら書いても書き足りないので、「へぇ」と思ったものだけをピックアップ。
新大阪を12:00に発車し、大阪 12:08 – 鳥取着 16:27 – 米子着 17:57 – 出雲市着 18:57 – 浜田着 20:22の特急「やくも」。当然、ディーゼル特急です。
似た経路の「まつかぜ」の弟分かと思ったら、「やくも」はグリーン車が2両。米子以遠では「やくも」の方が編成が長くなるんですね。皆生温泉や玉造温泉(駅は通過しますが)へ夕方~夜にかけて到着する、いい時間帯の列車だった、ってことでしょうか。
大阪駅を8:40に発車する、特急「白鳥」。列車番号は2001D。ディーゼル特急の時代ですね。
このときに、上野編成と分離し、単独となり新潟経由となったディーゼル特急「白鳥」のダイヤが判らない、と書いてましたが、これが答えになりそうですね。
(下り)大阪 8:40 - 12:22 金沢 12:25 - 14:43 直江津 14:45 - 16:43 新潟 16:49 - 20:51 秋田 20:54 - 23:40 青森
(上り)青森 4:55 - 7:42 秋田 7:45 - 11:42 新潟 11:47 - 13:48 直江津 13:50 - 16:08 金沢 16:10 - 20:03 大阪
上下ともに15時間ほど。このあたりがディーゼル特急の限界、なんでしょうかね。2年後の1972(昭和47)年10月改正で電車化されます。
最後は、同じく大阪を出て青森へと走る寝台特急「日本海」と急行「きたぐに」。
「日本海」は20系客車で、「きたぐに」は座席車も旧客の時代ですね。いずれも食堂車を連結しています。
時刻表ピンクのページに、「車内・船内でのお食事のご案内」とあり、下記のような価格が紹介されています。ほんの一例です。
カレーライス 180円
スパゲッティ 200円
サーロインステーキ 500円
朝定食(和) 300円
うなぎご飯(吸物付) 350円・400円
一覧で最も高価だったのが、特別ビーフステーキ定食の1,200円。
当時の国鉄運賃の281~300kmが1,220円でしたので、現在のJR本州3社の幹線運賃と比較してみると…。
5,170円。
さすがに、特別ビーフステーキ定食、ですね。
というわけで、私自身が全く馴染みの無い時代の時刻表でしたが、それほど離れているわけでもない時代、ということもあって、非常に面白い1冊でした。
まだまだネタは尽きませんが、紹介はこれくらいにしておきます。ぜひ、手に取ってご確認ください。