時刻表復刻版 1982年11月号を購入

2022年11月5日

JTBパブリッシングが発行する『時刻表復刻版』に、第8弾となる 1982年11月号が発売されました。

時刻表復刻版 第8弾

第1弾「1964年10月号」(昭和39年)
第2弾「1964年9月号」
第3弾「1988年3月号」(昭和63年)
第4弾「1968年10月号」(昭和43年)
第5弾「1967年10月号」(昭和42年)
第6弾「1978年10月号」(昭和53年)
第7弾「1925年4月号」(大正14年)

と続いて、今回が第8弾。

その第8弾は「1982年11月号」。昭和57年11月です。上越新幹線が大宮~新潟で開通した全国ダイヤ改正号ですね。

東日本を中心に、大きな変革のあったダイヤ改正です。

第6弾の昭和53年10月号から4年後。その昭和53年には、東京以北に新幹線の姿は無かったわけですから、東北新幹線・上越新幹線が大宮発着の暫定ながら開通したこのダイヤ改正が与えたインパクトは大きなものだったと思います。

個人的には、子供の頃、時刻表に興味を持ってから迎えた初めての大きなダイヤ改正だったと思います。1980(昭和55)年にも全国規模の改正がありましたが、このときの記憶はあまりないので、初めて買った時刻表は1980年の改正以降だったのかもしれません。

ちなみに、1980年10月の改正では、千歳空港(現・南千歳)駅の開業、関西~九州の定期夜行急行の全廃、寝台特急「富士」の宮崎打ち切りなどがありました。

いや、でも千歳空港駅開業で登場した「ライラック」の前身、「いしかり」は憶えてますから、それ以前の時刻表にも触れてはいた、ということでしょうかね。

今回も、復刻版の表紙カバーの下からは、当時の表紙が現れます。

当時の表紙に書かれた価格は650円。4年前の500円から150円上がってます。

国鉄の初乗り運賃(1~3km)が80円から120円に、A寝台下段の寝台料金が7,000円から8,000円に上がってますが、時刻表の価格も上がっている、ということは世の中の物価が全体的に上がっていたということですね。国鉄だけが一人値上げをしていたわけでは無い、と。

国鉄時代の運賃・料金については、いつか触れたいと思ってます。

で、話を時刻表に戻します。

実は購入前、この越後湯沢駅付近を上越新幹線が走る表紙を見て、「あ、この号、持ってる」、と思い出しました。旧宅で昔の書籍類を整理していた時に見かけたはずです。

第3弾「1988年3月号」は、手元にホンモノがあるので復刻版は購入しなかったんですが、この第8弾は、復刻版を購入。というのも、子供の頃に手荒に扱っていたため、テープで補修したりしてたんですね。なので、閲覧用として手元に置いておきたい、と。

というわけで、さっそく中を見ていきましょう。

今回も、関西人の視点から触れてみたいと思います。

ポイント①:「明星」の削減と「金星」の廃止

「明星」も「金星」も同じ天体の星ですが、そんな話ではなく、関西ブルトレの縮小のお話です。

1978年の復刻版の記事には、夜行列車の隆盛として書いてました。

関西圏と九州とを結ぶ寝台特急は、毎日走る定期列車だけで「明星1号」「彗星1号」「明星3号」「あかつき1号」「彗星3号」「あかつき3号」「なは」「明星7号」「彗星5号」(大阪駅発車時刻順)の9本。

他に東京からの「さくら」「はやぶさ」「みずほ」と名古屋からの「金星」が大阪駅に停車しましたから、九州方面には、毎日13本もの寝台特急に乗車できるチャンスがあったというわけです。

https://try-widely.com/timetable-1978-10/

それが、1980年改正での削減もあって、1982年改正後は、定期列車に限定すると大阪駅発車時刻順で「彗星1号」「明星」「あかつき1号」「彗星3号」「なは」「あかつき3号」の6本に。東京発の3本は健在でしたが、この改正で「金星」が廃止となって、大阪駅から九州方面に乗車できる寝台特急は9本になっていました。

先述の通り、1980年改正で急行「阿蘇・くにさき」、急行「雲仙・西海」が廃止となっていますので、この4年間で大きく数を減らしていることになります。

1978年時点では「明星1号」「彗星1号」「なは」「明星7号」「金星」が583(581)系の電車寝台特急でしたが、1982年の改正では「彗星1号」と「なは」だけに。

この頃から余剰となった583系の近郊型電車への改造が始まったようですね。

ポイント②:「日本海」の2段ハネ化

寝台特急「日本海」の3号・2号も、B寝台車が3段式から2段式寝台となっています。

時刻表からだけでは判らないのですが、3号・2号が、青森の24系(24形)から宮原の24系25形に移ったようですね。なので、1~4号ともに、同じ編成となっています。

それまでA寝台車を連結していた3号・2号も、B寝台のモノクラスに。

この4年後に、3号・2号は再び青森持ちになるんですが、24系25形のB寝台モノクラスのまま。さらに2年後の1988年(青函トンネル開通で1号・4号が函館延長になる改正で)、3号・2号にはA寝台が復活しています。

その北陸本線。

昼行の急行「立山」2往復がL特急「雷鳥」に格上げされて、雷鳥は16往復から18往復になっています。

昼行の、と断りを入れたのは、夜行の「立山5号」は季節列車として残ります。しかも、車両は12両編成の583系になるのでB寝台連結の列車としてグレードアップ。もっとも、この背景には、ポイント①の減便が影響してるんですけどね。

それと、北陸本線で忘れてはならないのが、急行「きたぐに」の新潟打ち切りと14系化。

ダイヤの方は、新潟までの区間はそれまでの10系寝台車+12系座席車のときとほぼ同じ。新潟から先は、L特急「いなほ3号」へと置き換わりました。もちろん、急行から特急に格上げですから青森到着は1時間以上早い15:50になっています。

参考までに、時刻を記載してみます。

43年10月53年10月58年11月同左
5015015012013M
急行きたぐに急行きたぐに急行きたぐにL特急いなほ3号
大阪204522102210
新大阪22152215
22162216
京都212522512251
212822562256
大津213923082308
彦根23522352
米原223823592359
2252010010
田村2304022
長浜2309026026
敦賀2342059059
2346102102
武生022135134
福井040151150
045156155
小松137241235
金沢206306300
214320312
津幡
227
高岡254356348
256359351
富山314416408
324430415
魚津451437
347452438
512458
糸魚川443538525
457541527
直江津552613559
602622605
柿崎639622
柏崎641657640
642659641
長岡725733715
734741733
見附747753744
東三条805756
801806800
加茂810
新津829829828
832838835
新潟848855850
907908905
新発田937934928
940935928
中条956948939
坂町1008958947
10111000949
村上
10271013959
温海/あつみ温泉
112711071047
羽前大山
鶴岡11361110
120111361111
余目11501124
11511124
酒田123012031135
124012071137
象潟12411208
羽後本荘134513051230
134613061231
秋田142913461306
143913561309
八郎潟14231336
森岳14391350
東能代154414501400
154614511401
二ツ井15061414
鷹ノ巣161915181425
大館164115351441
164615381443
碇ケ関17281603
大鰐16131508
弘前175116261518
175316291519
浪岡1647
青森183217101550

こうして並べてみると、43年から10年後の速度改善はすさまじいものがありますね。

それもそのはず。昭和43年10月時点では、電気機関車での牽引は糸魚川まで。そこから先はDD51での牽引でした。昭和53年10月は、富山から先はEF81とED75のリレーですから、2時間以上の短縮も納得です。

もうひとつの着目点は、昭和58年改正での田村駅通過でしょうか。米原~田村間の交直切替区間をDE10が担っていましたが、米原からEF81が牽いていた、ということでしょうね(いつから切り替わったのか、情報を探しきれなかったんですが…)。

2022/11/5 追記

気になって、牽引機の情報を探していると、ディアゴスティーニから発行されていた「鉄道 ザ・ラストラン 第61号(夜行急行 能登・きたぐに)」に、答えが見つかりました。

昭和57(1982)年11月19日
「きたぐに」を14系に置換え
オロネ付きの12連

改正前と同じ牽引機だったが、昭和59(1984)年2月からは大阪~米原間の牽引機がEF65 1000に。米原~新潟間はEF81の通し牽引となった。

急行「きたぐに」編成の変遷 より

ということは、ダイヤ改正から1年3ヶ月ほどは、田村でEF70への付け替えのため、運転停車をしていた、ということなんでしょうね。

それにしても、特急いなほの停車駅が、急行とほぼ同じ、というのがすごいですね。

特急「白鳥3号」の新潟~青森の停車駅が、新発田・坂町・村上・あつみ温泉・鶴岡・酒田・羽後本荘・秋田・東能代・鷹ノ巣・大館・弘前ですから、特急として生まれた列車と、急行からの格上げ特急とでは格が違う、ということですね。

ポイント③:やっぱり「だいせん」は急行だった

昭和53年10月改正で、夜行「だいせん5号・6号」が、「寝台急行」と記載されていた話を書きましたが、やっぱり「急行」だったようですね。

昭和55年の改正なのか、57年の改正なのか定かではないですが、急行「だいせん5号」は、米子から出雲市まで快速となっていました。

大社直通(出雲市~大社間は普通)は、変わらずです。米子~出雲市間は、停車駅が一つ増加(直江にも停車)しているのに、しかも急行から快速になっているのに、所要時間はほぼ変わらず。

これは、だいせん5号の1本前を走る普通列車(米子4:58発、出雲市6:35着)を削減するための措置だったんでしょうね。上りだいせん6号は、出雲市から急行ですし。

ポイント④:上越新幹線開業

そんな感じで、関西視線にこだわって、上越新幹線には触れず記事を終えようと思ったんですが、1つだけ。

ポイント②で触れたL特急「いなほ3号」。

大宮7:05発の「あさひ101号」(新潟8:50着)の接続列車でもあります。東京方面から出る真新しい上越新幹線からの乗り換えで、大阪から一晩走り通した12系客車のボックスシートに座りたくない、ですよね。。(しかも、「きたぐに」は指定席車が1両のみ)

「きたぐに」の新潟打ち切りは、上越新幹線開業とセット、というのが必然だったのかもしれません。

それと、鉄道模型ネタで紹介した急行「鳥海」が寝台特急「出羽」として格上げされ、「鳥海」の名前が上野~青森を走る昼行特急に引き継がれたのも、この昭和57年11月の改正でしたね。

というわけで、実は西日本にはあまり大きな変革が無かった全国ダイヤ改正についてのお話でした。