EF58 66(KATO 3040-1)と普通「はやたま」

半年近く前の5月、手持ちの客車で、普通でありながら寝台車を連結していた「はやたま」を走らせた話を書きました。
その中に、KATOから発売されるEF58-66を買いたい、ということを書いてたんですが、EF58好きとしては、やっぱり買っておきたい、と予約したんですね。
それが9月26日に届いたんですが、その週末は大阪・関西万博を訪れていたので時間が取れず、実際に開封したのが今週末となった、というわけです。
EF58 66
EF58が好きだ、と言いながら、なんですが。。
実際に66号機に接した記憶は無いんですね。前回、子供の頃に「はやたま」に乗車した、という話を書きましたが、よくある家族旅行(家族旅行で、自由席の夜行列車で旅するのか、というのは今考えると面白いところですが…)なので、列車の写真はないんですよね。
乗車したのは夜の天王寺駅で、恐らくは混雑期の自由席乗車なので先頭の機関車まで行く余裕は無かったのかな、と思います。
しかも、下車したのは新宮を越えて熊野市だったので、そのときには牽引機関車はDD51に変わってますし、その旅行では、EF58を見た記憶が無いんです。
なので、ひょっとしたら66号機だったかもしれないですが、今となっては知る由もなし。
で、自身との接点は無いんですが、66号機について少し。
何と言っても、最後まで残ったブルーの原形大窓、ですね。
しかも、シールドビーム2灯化というのも外見上の大きな特徴になるでしょうか。ツララ切りに警笛カバーも、特徴的です。
製造は、1953(昭和28)年5月だそうで、東京機関区に配属となっています。その後、下関機関区への転属を経て、竜華機関区へと移動したそうですね。
交友社発行「’75 国鉄車両配置表」に記載の1975(昭和50)年3月31日現在の「機関車配置表」によるとこの時点でEF58 66は竜華機関区所属となっていますので、実際には、その頃にはすで竜華に移っていたようです。
※同書74年版(昭和49年3月31日現在)には、EF58 66は下関運転所となっていました。
鉄道ファン1979年8月号の特集記事では、竜華機関区に8両とあり、その中の1両が66と記載されています。でも、シールドビーム2燈化はかなり否定的な表現で書かれてますね。「(2燈化が)残念である」と。
竜華機関区と「はやたま」
その鉄道ファン1979年8月号には「竜華操ー天王寺の単機回送」という表現があります。
「はやたま」は竜華操車場の客車が使用されるので、てっきりEF58が天王寺までの往復も担うのかと思っていたんですが、どうやら、客車はDE10の牽引で天王寺に到着。関西線の4番線(現14番・15番のりばの間にある中線)で停車をして、DLは任務終了(…なのか、どうか、いろいろ資料を見てみたんですが、はっきりした答えが出ず)。
別に来たEF58が東側から連結して、東向きに移動開始。大阪環状線を横切って阪和引上線に。そのまま、連絡線を、坂を押し上げる形で阪和線のホームに入線していたようです。
鉄道ファン1984年1月号に、EF58の特集記事があり、そのなかに竜華機関区のEF58についての記載もあるんですが、当時、924レ「はやたま」牽引にあたるEF58は、竜華操車場を21:11に出発し、21:21に天王寺に到着と書かれています。竜華操車場から天王寺駅までの運用が「回924」ではなく「253」なので、単機回送だった、ということでしょうね。
で、天王寺駅の東側で待機していて、DL牽引でやって来た客車を阪和線ホームまで押し上げたのかと思うのですが。。何分、情報が少なくて、正確なところが判りません。竜華操車場から天王寺まで、阪和貨物線・阪和線経由で運転されることもあったようで、なんだか情報が錯綜してます。
まぁ、いずれにしても、天王寺駅から新宮駅までは「はやたま」の前に立って牽引していたのは間違いの無い話ですけどね。
KATO 3040-1 EF58 66 竜華機関区
当然「はやたま」牽引を全て66号機が担っていたわけではありませんが、その特徴ある66号機ということで、買ってしまいました。

ヘッドライトの2灯がわかります。
まだ、開封時の状態ですので、警笛カバーなどは取り付け前です。
でも、「おっ」と思ったのが、側面。

車番は66固定ですし、それに伴ってメーカーズプレートも特定されますので、取り付け不要なのはありがたいのですが、円形のものなんですね。
付属品

左から、信号炎管(上の6本です。下にある4個のパーツは使用しません)・青いホイッスルカバー、グレーの避雷器、ニギリ棒、ヘッドマーク(「ミステリーリレー号」と「さよなら66」)、ナックルカプラーです。
ナックルカプラーへの交換
毎回、EF58を購入すると説明書の上から書かれている順に取り付けてしまうので、先台車にニギリ棒を付けてから、ナックルカプラーへの交換をしようとして後悔しているので、今回は、ナックルカプラーへの取り換えを先にします。

先台車の外し方は、3回目となる今回も悩みました(笑)
台車の軸が付いている板(スプリングを乗っけているところ)と先台車の間をこじる様な感じで外すのがやりやすいですかね。間違ってるかもしれませんけど。。
今回、もうひとつ手こずったのが、ナックルカプラーの取り付け。

あ。
カプラーの後ろに出ている突起をカプラースプリングの中に収めるのに苦労してたんですが、エンドビームって、外してカプラーを取り換えるんでしたっけ。。そりゃ苦労するはずです(笑)
説明書は、憶えている気になってもきちんと読みましょう。。

両エンドとも、取替完了です。
信号煙管・避雷器・ホイッスルカバー
TOMIXの機関車への信号炎管は、専用の治具が用意されていますが、KATOのはありません。
信号炎管は指でつまむには小さすぎ、上部が丸いので極小パーツピッカーも使用しづらく、ちょっと苦戦しました。
結局はシンプルにピンセットで挟んで取り付けたんですけどね。
避雷器は問題なしですね。
ホイッスルカバーも、特に問題なく…。
と言いたいところなんですが、なんか、浮いた感じになるんですね。

これでOKなんですかね。。
※と思って昔の雑誌などで実車の写真を探してたら、警笛カバーの前方部が「浮いている」写真がありました。実車通りということで。。
金属製ニギリ棒
ニギリ棒は、付属のものは使用せず、こちらを使用します。

3両分購入していたので、最後の1つですね。
これを購入した時は、66号機を買うことなんて考えてなかったんですが。。

やっぱり、見栄えがします。
買っておいて良かったです。これで全部使っちゃったので、紛失用に予備を買っておいた方がいいんでしょうか。。
150号機とを比較
宮原の150号機と並べてみました。


窓の大きさの違いは一目瞭然。ヒサシの有無も大きいですね。それに、ヘッドライトも。
ホイッスルも剥き出しなのとカバー付きとでは違いますし、信号炎管の色も違います。比較の写真は撮らなかったですが、メーカーズプレートも違いますよね。パンタグラフも異なります。
ただ、こうして並べてみると、2灯化されていない方がEF58っぽくは感じます。やっぱり、「残念」な変更だったのかも。。
「はやたま」の編成
前回、下のような編成で走らせました。
1982(昭和57)年2月頃
←924ㇾ 亀山
921ㇾ 天王寺 →
スユニ50 | オハフ33 | オハ47 | オハ47 | オハフ33 | オハネフ12 |
郵便・荷物車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | B寝台 |
ところが、いろいろ他の資料を見ていると、B寝台車が2両だった、というのが多いんですよね。
1984(昭和59)年2月のダイヤ改正で「はやたま」の廃止(列車そのものは存続しますが、B寝台車の連結がなくなり、無名の普通列車となります)となりましたが、その直前は、このオハネフ12が1両という編成で間違いないようです。
1982(昭和57)年2月頃も1両だった、という情報があるんですが、鉄道ファン1983(昭和58)年10月号には、
←924ㇾ 亀山
921ㇾ 天王寺 →
オユ | オハフ | オハフ | オハ | オハ | オハフ | オハネフ12 | オハネフ12 |
郵便車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | B寝台 | B寝台 |
(オユ横の)オハフは和歌山-亀山間
とあります。オユ横のオハフは、おそらく和歌山市-亀山の誤記だと思いますが、1982(昭和57)年11月号の時刻表には「寝台車2両」の表記がありますので、1両になったり、2両になったりしていたようにみえます。
スユニではなく、オユとなっているのがちょっと気になるところですが。
なので、今回は、ハネ2両のパターンで行きたいと思います。
1982(昭和57)年11月頃
←924ㇾ 亀山
スユニ50 | オハフ33 | オハフ33 | オハ47 | オハ47 | オハフ33 | オハネフ12 | オハネフ12 |
郵便・荷物車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | B寝台 | B寝台 |
(スユニ50横の)オハフ33は和歌山-亀山間
921ㇾ 天王寺 →
スユニ50 | オハフ33 | オハ47 | オハ47 | オハフ33 | オハフ33 | オハネフ12 | オハネフ12 |
郵便・荷物車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | 座席車 | B寝台 | B寝台 |
(オハネフ12横の)オハフ33は亀山-新宮間
これで行きたいと思います。
天王寺発 上り924レ「はやたま」
まずは動画から。今回は、短めです。
停止時には撮れない2灯のヘッドライトがよく判りますね。
寝台車も2両連なると、前回の1両とは少し印象が違って見えます。
でも、実際のところ、924レが天王寺23:00発で新宮着が5:07、921レが新宮22:45発で天王寺着が5時前の4:58。どれくらいB寝台のニーズがあったんでしょうね。1982年11月当時の客車3段式B寝台は上中下段ともに4,500円。天王寺から新宮までの運賃が3,600円という時代でした。
最後に写真をいくつか。
まずはやっぱりEF58 66から。



何がそう感じさせるのか、力走する力強さを感じさせます。
せっかくなので、客車の方も。


今から40年ほど前は、こうして機関車に牽かれた旧客の列車が日夜駆け巡っていたんですよね。
さすがに、この令和の時代に、4人掛けボックスシートの夜行列車を復活して欲しい、とは言わないですが、夜行バス並みに気軽に利用できる夜行列車は、あってもいいんじゃないかな、と思うんですけどね。
最後の写真は、ちょっと無理やり前照灯を点けた写真を撮ってみました。かなり無理やりです。

ヘッドライトが点くと、生きますね。
というわけで、大窓のEF58 66号機で寝台車付きの普通夜行列車「はやたま」を走らせたお話でした。
当時の時刻表は、こちらの末尾に掲載しています(主要駅だけですが)。