暗越奈良街道を歩く(大阪編 その2)

2021年5月7日

大阪と奈良とを最短で結ぶ街道として古くから人々が行き交った暗越くらがりごえ奈良街道。その大阪府内の区間を歩いてみました。

今回は、深江から始まる続編です。

深江~高井田

国道308号線を東へと歩きます。

平野川分水路を今里大橋で渡り、地下鉄新深江駅を過ぎます。

昭和から続く中小の企業が多いですが、特に街道を意識させるものは無いですね。

昭和11年に移転してきたコクヨ本社の前を歩きます。1936年ですから、85年もこの地で本社を構えているんですね。とはいえ、天平時代から続く暗越奈良街道の歴史からすると、つい最近のことにも思えます。

内環状線を越えて少し行くと、道標が見えてきます。

横には、深江の菅笠が名産品として伊勢参りの旅人に親しまれた記録が記されています。

メインの道路は、ここからやや北寄りへと斜めに進路を替えますが、旧街道は、まっすぐ進みます。

暗越奈良街道は歩道の延長線上、まっすぐに伸びる

この小道は、左手が大阪市東成区、右手が東大阪市と境界にあたります。大阪市中央区の高麗橋を出発し、隣の東大阪市へと入りました。

少し行くと、「ブランドーリふせ」という近鉄布施駅そばまで続くアーケードのある商店街にあたりますが、少しだけ行き過ぎて、次の筋を北へと上がるのが旧街道のようです。

ここで再び国道308号線(長堀通)から続く府道702号線へと戻ります。

布施柳通の交差点までは府道702号線を歩きます。高麗橋を11時過ぎに出発し、およそ2時間。昼1時を過ぎたこともあって、腹ごしらえをして、午後へとつなげます。

その布施柳通の十字路の交差点に、北東側へと5本目に延びる道が暗越奈良街道です。その分岐点にあるのがこの碑。

ここからはおよそ3kmにわたり、(ごく一部区間を除いて)街道を歩くことが出来ます。とはいえ、歴史を感じる建物は無いですけどね。区画整理されていないと思わせる、弧を描いた道が当時を忍ばせるくらいでしょうか。

JRおおさか東線の高架をくぐり、川幅がわずかな淀川水系の長瀬川を渡る辺りまでが高井田地区になります。

高井田~御厨

長瀬川が狭すぎてこのスケールの地図には見えていません。

長瀬川を越えてすぐ左手の民家の脇に、道標があります。

枚岡 一里三十三丁の文字

東へ歩いていると正面に「枚岡 一里三十三丁」と記載されています。36丁(町)=1里ですので、枚岡までが 7.7kmといったところでしょうか。側面(北を向いて正面)には、「放出停車場 三十丁」ですので現在のJR放出駅まで3.3kmほどのところになります。枚岡の裏側は、「大阪高麗橋元標二里」との記載がありました。ですので、今日の目標、枚岡までは、ようやく半分を過ぎたあたり、ということになります。

府道702号線に合流し、200mほど、交通量の多い道路を歩きます。

ドコモショップ小阪店を過ぎて、再び街道へ。

しばらく府道702号線の南を歩きますが、直行するように御厨西交差点で府道の北側に出ます。

基本的には昭和から平成の住宅地の中を歩くのですが、北向きから東向きに曲がる交差点に、趣のある建物がありました。


第二寝屋川を渡り、さらに住宅地の中を歩くと、再び府道702号線と合流。ここからはしばらく車通りの多い道を歩きます。

御厨~菱江~吉田

南北に走る中央環状線(近畿自動車道)を越えてしばらく歩き、スズキ自販を過ぎたあたりで再び街道に出ます。

枚方と八尾とを結ぶ河内街道との交差点に道標がありました。

「左 住道 四条畷」「すぐ 石切 瓢箪山 奈良」。

おいおい、奈良はすぐじゃないだろ、と思ってしまったんですが、この「すぐ」は「真っ直ぐ」のすぐですね。裏を見ると「明治四十五年三月建 大阪府」とありました。

東に向いて右手にある八剱神社の脇に、暗越奈良街道と河内街道と案内板がありました。

かつて流れていたという菱江川にかかる「八剱橋」跡を越え、街道は再び府道の南側から北側へ。

住宅地の中を貫く狭い街道を歩いていると、現れたのが「もちの木地蔵尊」。そのすぐ横にあるのが「おかげ灯籠」です。

その名の由来が書かれていました。

江戸時代の終り頃になると、幕府の政治に対して、全国各地で百姓一揆や打ちこわしなどの事件が多くおこります。慶応3年(1867)には、一揆や打ちこわしにかわって、「ええじゃないか」が秋から冬にかけて広がりました。
菱江の村も例外でなく同年11月にこの事件が発生します。11月下旬にお札がふったということで、12月1日から6日ごろまで、「おかげおどり」がつづけられました。そのおどりには、のぼりが準備され、三味線・笛・太鼓が使われました。そして「ええじゃないか、ええじゃないか」とはやしておどりました。

おかげ灯籠と菱江村

歴史の教科書にある騒動が、こんなに身近で起こっていたんですね。

ほどなく、街道は再び府道702号線に合流します。ここからはまた1kmほど、この車道を歩きます。

河内郵便局を過ぎ、かつてのイトーヨーカドー東大阪店(現在は佐川急便の配送センターを建設中)のあたりを過ぎると、吉田になります。個人的な話ですが、このあたりが子供の頃から30代半ばまで過ごした地区にもっとも近く、通り沿いではありませんが、中学校もちらっと眼に入り、懐かしさを感じながら歩きました。

暗越奈良街道を歩く(大阪編 その3)に続きます。

今回は、「屋外での運動や散歩等、健康の維持に必要な外出」と、やや拡大解釈気味ではありますが、感染対策をしたうえで、他者との距離を十分に取って実施しました。