暗越奈良街道を歩く(大阪編 その3)

大阪と奈良とを最短で結ぶ街道として古くから人々が行き交った暗越くらがりごえ奈良街道。その大阪府内の区間を歩いてみました。

今回は、吉田から始まる続編です。

吉田~松原~箱殿

吉田のエリアを東へと歩き、花園ラグビー場のある花園中央公園を目前に、その花園ラグビー場前交差点を避けるように直前で左へとわき道に入ります。これが旧街道です。

右手にラグビー場の大きなスタンドが見える

道なりに進むと、東大阪市立英田北小学校が見えてきます。その片隅にあるのが、「松原宿跡」の碑です。

碑を設置したのは松原宿景観保存会という団体で、平成24年の設置ということですからつい最近です。

幕府が街道沿いに設けた唯一の宿場だったそうで、奈良方面の暗峠越えを控えて、繁盛したんでしょうね。写真右側にある「松原宿 旅籠屋の図」でオレンジに色付けされたのが江戸時代中期~明治10年頃にかけての旅籠屋とのことですから、結構な規模の宿場町だったのだと思います。

もちろん、今は宿泊施設はありません。見たところ商店もなく、かつて宿場町として栄えた面影は残ってないですね。

自治会の建物なのか、民家なのか、道路に面して松原宿の案内板がありました。

旅籠屋が並んでいた横町通りから東町通りに右折する交差点に道標がありました。

「右 なら いせ道」と書かれています。この右側(右側から来て正面)には「左 大坂道」とあります。裏側を覗き忘れたのですが、「左」が旧字体だったので、そこそこ古いものなのかと思います。

水走みずはい橋で恩智川を渡り、歩道橋で大阪外環状線(国道170号線)を越えます。街道が歩道橋というのはありえないですが、仕方ないですね。

外環状線を越えると、徐々に上り坂になってきました。上町台地を下って以降、ほぼ平坦な道ばかりでしたが、いよいよ生駒山の裾野に近付いてきた、ということです。

街道という雰囲気ではないですが、古い建物も残り、山が近付いてきたこともあって緑が増えてきたような感じがします。

旧の大阪外環状線と合流すると、箱殿の交差点です。

箱殿~枚岡

箱殿の交差点から100mほど、国道308号線を歩くと箱殿東交差点があります。

五叉路になっていて、現在の道路名称と旧街道が一致しないのですが、国道308号線は手前から右奥へと分岐します。暗越奈良街道は手前からそのまま直進です。左からの道は、写真ではわかりにくいですが、手前右側へと続いていて、これが東高野街道となります。

ですので、街道の交差点です。

本日のゴール、枚岡まではもうすぐなのですが、最後に来て登り坂はけっこう堪えます。

大阪シティ信用金庫豊浦出張所の先を右折し、東大阪豊浦郵便局の前を通って再び国道308号線に合流すると、目の前に近鉄奈良線の高架が見えます。まもなく枚岡です。

先に見える高架が近鉄奈良線
難波方面行の区間準急が通って行った

高架の奥(進入禁止の標識のある道路)が暗越奈良街道ですが、今日はこの交差点まで。

高架をくぐって右に曲がり、枚岡駅へと向かい、電車で帰宅します。
枚岡駅に着いたのは15時30分過ぎ。休憩をはさみながらですが、4時間半ほどの行程でした。

次回はいよいよ暗峠越え。ただ、暗峠の向こうは奈良県。府県境を越える移動は自粛したいですので、早くても緊急事態宣言の解除後となりますね。

今回は、「屋外での運動や散歩等、健康の維持に必要な外出」と、やや拡大解釈気味ではありますが、感染対策をしたうえで、他者との距離を十分に取って実施しました。