三条大橋から石山詣・旧東海道を歩く(その4)

京都・三条大橋から東海道を歩いて近江国石山寺への石山詣。

逢坂の関を越えて、大津市中心部に近付いたところからとなります。

逢坂までの様子はこちら。

逢坂~京町

逢坂の碑のそばにある京阪京津線の踏切。

びわこ浜大津駅方向の急なカーブが京津線らしさを物語っています。

踏切を渡って160mほどのところにあるのが関蝉丸神社下社。下社の祭神は豊玉姫だそうです。上社同様、どちらも音曲芸道の祖神として蝉丸が祀られています。

面白いのが、旧東海道である国道1号線と神社の間に踏切があること。なので、こんな感じに見えます。

滋賀県と言えば、「飛び出し坊や」。

この踏切に設置されていたのがこれ。

蝉丸バージョンはここでしか見られないでしょうね。恐らく。さすがは関蝉丸神社前です。

ここから100mほど進んだところで、JR東海道線を越えます。

JRと直交しているのが、国道1号線と平行に走る京阪京津線。この上関寺トンネルは、既に開業していた京津線(当時は京津電気軌道)の下に新たに官設鉄道を開業させるために造られたトンネルです。先ほど見た「逢坂山トンネル」が廃線となった大正10(1921)年に、路線の切り替えで使用が開始されました。今年で103年になるんですね。

ちなみに、「上関寺隧道(トンネル)」はJRとしての名称で、上を走る京阪京津線としては「蝉丸跨線橋」の名前が付けられているそうです。

写真では見えないですが、この上関寺トンネルの向こう側に、山科の手前までつながる新逢坂山トンネルがあります。

さらに先に進むと、再び京阪京津線の線路を越えます。

越えるんですが、踏切ではなく、ここから京阪京津線は併用軌道になります。

併用軌道も珍しいですが、その上のゼブラ板付き信号機も、今では珍しいですよね。

少し行き過ぎたところで、びわこ浜大津方向から、太秦天神川行きの電車が来ました。

4両編成の電車が路面を走っている姿はかなりの違和感です。

電車は専用軌道に入るカーブの手前で一旦停車し、最徐行で姿を消していきました。

…ここまで、鉄道ネタばっかりですね。。

京町~打出浜

旧東海道は、「東横イン京都琵琶湖大津」のある京町一丁目交差点までは国道1号線沿いですが、ここから東へと進路を変えます。

この交差点のそばにあるのが、「大津市道路元標」。

大正9(1920)年に施行された旧道路法と同法の施行令に基づいて、当時の市町村に設置されたのが道路元標。市町村間の距離表示の原点になるそうですから、青色の道路標識で「大津 ○km」と書かれていたら、この場所までの距離、ということなんですね。てっきり市町村の役所までかと思ってました。でも、それだと役所の移転があれば、道路標識まで変えないといけないので、合理的とも言えますね。

京町一丁目の交差点を東へと入れば、一気に旧東海道の雰囲気が高まります。

歴史のありそうな建物の存在だけではなく、無電柱化がされていることも大きいんでしょうかね。

この筋に入って300mほどのところにあるのが、これ。

明治24(1891)年5月11日に、日本を訪問中のロシア帝国皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)が、警察官の津田三蔵に斬り付けられた暗殺未遂事件、いわゆる大津事件があった場所です。

こちらのお店は、創業が宝暦年間(1751~1764年)という、250年以上続く和菓子屋さん。立ち寄っては無いですが、こういったお店に立ち寄りながらの旅も面白そうですね。

NHK大津放送局の裏手を過ぎて右手に見えたのは、滋賀県庁。

正面に見える本館は、昭和14年竣工のようですね。登録有形文化財に指定されているそうです。

その後は、何軒か歴史を感じる建物があったものの、特に旧東海道を意識するものが無い区間がしばらく続きます。

石場一里塚があったといわれる場所にも、現在は特に何も残されていないようですので、素通りします。

京阪石山坂本線の踏切です。前に見た線路はびわこ浜大津駅までの京阪京津線でしたが、このあたりは石山寺からびわこ浜大津を通って坂本比叡山口までを結ぶ石山坂本線です。石場駅がこの左手にあります。

この踏切を過ぎると大津市打出浜、という地名になります。

都から石山詣に出かけた貴族が、この地まで歩いて訪れ、ここ打出浜から琵琶湖を行く船に乗り、瀬田川を下って石山寺へと行ったとされている、重要なポイントです。

当時の海岸線と、今の海岸線は場所が違うでしょうが、当時の方がより琵琶湖に近かったものと思います。

このあたりで三条大橋からおよそ12km強。石山寺へも2/3ほど歩いたことになります。

先に見える5階建ての建物は滋賀県大津警察署。旧東海道はこのまままっすぐですが、その左手に見える「Oh! Me」と書かれた「Oh! Me 大津テラス」でランチタイムにしようかと、警察署手前の交差点を左折。

大津に入ってすぐ、歩道橋が工事中で旧東海道の一部を歩けなかった(わざわざ完歩のために戻らなかった)ことから、東海道を離れることにためらいも無く、あっさりと左折しました。

「Oh! Me 大津テラス」は、フレンドマートを核としたショッピングモールで、ユナイテッドシネマも入る大型の商業施設です。この誕生は2018年4月ですが、前身は1996年11月に開業した大津PARCOだったそうですね。

で、何かを食べよう、とやって来たものの、フロアマップを見ても滋賀(近江)らしいものが食べられるお店は無さそうで、ランチは一旦保留に。

というわけで、ショッピングモールを出て、歩き始めました。

ちなみに、この「Oh! Me 大津テラス」も住所は大津市打出浜になります。

打出浜~膳所城~御殿浜

モールから東海道に戻るために、といっても東海道から離れたところまで戻るつもりも無く、350mほど中抜けしての再開となります。

途中、におの浜二丁目交差点にある馬場児童公園にこのような句碑がありました。

「草の戸や 日暮れて くれし菊の酒」

松尾芭蕉の晩年(『奥の細道』の旅を終えて2年ほど経った頃)、大津で過ごしていた頃の句です。

ファミリーマート大津ときめき坂店の前から、旧東海道に戻り、東へと歩きます。

300mほど行くと、それまでまっすぐだった道が、いきなり右に折れ曲がります。

そのすぐあとに同じように左へと曲がるので、クランクですね。

突然のクランクは、何かがあるもの。そこにこのような碑がありました。

なるほど。こんなところに北総門があったんですね。後で地図を見たんですが、本丸跡から直線距離で1.25kmもあります。

大阪城天守閣から1.25kmというとJR京橋駅ほどの距離がありますから、膳所城は大きな敷地だったということでしょうね。

右90度、左90度のクランクを過ぎてしばらく歩きます。

石坐いわい神社です。境内には立ち入らなかったんですが、本殿は文永3(1266)年に建立されたものだそうです。鎌倉時代ですね。

この石坐神社を過ぎると、今度は左に右にとクランクがあります。

北総門跡からここまでの地図がこちら。

これと、当時の膳所城絵図の一部とを比べてみます。

近江国膳所城絵図(国立公文書館デジタルアーカイブより部分引用)

この一致の度合いに驚くばかりです。現在の青い線(旧東海道)は、膳所城北総門を通って本丸近くまで城内を通っていた、ということなんですね。

石坐神社が造られた時期は不詳とされていますが、絵図上には「宮」として記載されています。

それにしても、現在は湖岸から500mほど離れたところにある北総門が、湖岸間近だったとこにも驚きです。

ということは、打出浜も東海道からすぐのところに船着き場があったということなんでしょうね。

絵図右端から右に伸びる東海道は、実際には南西方向になるんですが、この道が南へと向きを変える交差点から北東側に向いて撮った写真がこれ。

湖岸まで200mを切っています。今回の旅で、初めて間近に琵琶湖を見ました。

このあたりを和田の浜というのでしょうか。写真には写っていないですが、和田の浜碑というのがあるそうです。

南へと向きを変えた東海道を歩くと、すぐに右手に神社が見えてきます。

和田神社です。

樹齢600年といわれる大きな銀杏の木が有名らしいですね。

もちろんこの和田神社も膳所城絵図に「宮」として書かれています。

膳所城本丸跡へと続く道と交わる交差点近くで、思わず写真を撮ってしまったんですが、これは歴史的な建物ではなく、大津市膳所支所のようです。

今回は、膳所城跡にまつわるスポットへ立ち寄る予定は無いのですが、観光旅行なら膳所城跡公園とかにも足を運んだでしょうね。

この交差点、「膳所城跡公園前」という案内板が建てられていますが、ここは膳所城中大手門跡だそうです。

南へと進みます。

旧街道を思わせる建物をいくつか見て、京阪の中ノ庄駅近くで東海道は東へと向きを変えます。

200mほど歩くと今度は南へ。

ここから瓦ヶ浜駅までの途中で、三条大橋からの距離が15kmを超えました。このカウントは、計画段階に算出したものですので、実際には寄り道もあって、もうちょっと歩いていることになります。

東海道を横切る踏切のすぐそばにあるのが瓦ヶ浜駅。写真に写っているのはびわこ浜大津方面行のホーム。石山寺駅方面行のホームは踏切の反対側です。

2両編成の電車が走るローカル線、のように見えますが、日中でも大津方面に10分に1本、ラッシュ時間帯には1時間に9本も走る、幹線級のダイヤです。

踏切を越え、まっすぐ歩いて、突き当りの丁字路を左へ。

すぐに若宮八幡社があります。

その先には、さきほど踏切で渡ったばかりの京阪石山坂本線と再び交差。

遮断機が下りたので、いつもの京阪カラーの電車がやってくるのかと思えば、琵琶湖をイメージした青い塗装の車両でした。

踏切を渡った後、妙な角度の曲がり角があったんですが、クランクの角を削って、角度を和らげた、という感じですかね。

そこから少し歩くとまた曲がり角。

曲がり角には普通の民家が建っているんですが、その表門の前に碑が立ってます。

「膳所城勢多口総門跡」。

勢多となっていますが、今の瀬田のことですね。

ここでも、新旧の地図を見比べてみたいと思います。

赤色と紫色の線の交わる箇所近くに「膳所城勢多口総門跡」があります。

近江国膳所城絵図(国立公文書館デジタルアーカイブより部分引用)

膳所城絵図の原本の折り目で剥げてしまっていますが、ちょうど折り目のあたりが勢多口総門なんでしょうかね。

クランクも絵図にありますし、今もよく形が残されていると思います。

現在の川が絵図にある堀だとすると、東海道が南に向かっているので、総門は湖岸ぎりぎりの場所だった、ということになりますね。

この辺りは膳所藩主の別邸があったことから御殿浜の名が付いたと言われています。その「浜」がすぐそばにありますので、寄り道してみたいと思います。

総門跡のある交差点からわずかに100mほど。

琵琶湖が見えてきました。

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