三条大橋から石山詣・旧東海道を歩く(その1)

3年前の2021年5月。まだコロナ禍で積極的な外出を控えていた時期に、暗越くらがりごえ奈良街道のうち、大阪府内を歩いてみました。

枚岡から先はどうなったんだ、という声もあるかもしれませんが、まだ、お預け状態です。続きは山越えなんで、ウォーキングじゃなくてちょっとしたハイキングですからね。。

とはいえ、旧街道を歩くのが面白かったこともあって、久々に歩いてみました。

歩くきっかけ

住友生命の「Vitality」のプランに契約変更して3ヶ月。

日々、ますます「歩きたい」という思いが強くなってきたんですが、今回、初めて、「VRWC」に参加してみました。

これは、「Vitality Run&Walk Challenge」というもので、参加前に決めた距離(ウォーキングなら5km、10km、15kmの3コース)を完歩できればデジタル完走証が発行され、これをVitalityのアプリからアップロードすることで、運動ポイントが獲得できます。これについては、いずれ、別記事に書いてみたいと思います。

健康増進のための「ウォーキング」と、観光しながらの「徒歩旅」を一緒にしていいものか微妙なところですが、所要時間はともかく、実際にそれだけの距離を歩く訳ですからね。

現代の石山詣

そんなときに見たNHKの大河ドラマ「光る君へ」の4月14日の放送(第15回『おごれる者たち』)で、まひろ(吉高由里子さん)と、さわ(野村麻純さん)が近江の石山寺に参詣するシーンがありました。

京の都を明け方に立ち、逢坂の関を越え、近江の打出浜から船に乗って、夕方に石山寺に着いたとされています。打出浜からの船は再現できませんが、そこを含めて徒歩で京都から石山寺まで歩いたらどれくらいの距離になるのか、と調べてみました。

Google Mapで「三条大橋東詰」から「石山寺本堂」を経由地なしで徒歩ルートを検索

京阪三条駅のある三条大橋東詰から石山寺まで、ほぼ最短ルートで17.5km。ほぼ、京阪京津線に沿って逢坂山を越え、そこからは国道1号線を歩くルートです。

17.5kmなら、理想の距離です。

が、何か物足りなさを感じて地図を見返してみたら、滋賀県内では東海道(旧・東海道)を外れてしまうんですね。国道沿いを歩きたいわけでは無いですから、できるだけ東海道に沿って歩くルートで調べなおしてみたのがこちら。

滋賀県内のルートが京阪石山坂本線に近くなっています。その分、距離も伸びて19.1kmに。

もはや20kmと言ってもよい距離です。が、国道1号線沿いを歩くよりも東海道を歩く方がずっと楽しかろう、と、このルートで歩くことを決めました。

三条大橋から出発

当初、スタート地点は電車を降りる京阪三条駅、と単純に考えていたんですが、東海道を歩く以上、東海道の終点、三条大橋からスタートするのが正解な気がして、駅を降りた後、一旦三条大橋の西詰へと橋を渡りました。

写真は三条大橋の西詰、北側から東の方向、これから向かう方向を撮影しています。

手前に写っているパネルは、この三条大橋西詰にあった「高札場」について書かれたものと、現在の三条大橋でも橋脚の一部に使用されている「旧三条大橋の石柱」について書かれたものです。

西詰南側には、十返舎一九が記した「東海道中膝栗毛」の弥次喜多像。

東海道はここ三条で終わりですが、これからしばし、逆方向の珍道中の始まりです。

この像の横には「三条大橋擬宝珠刀傷跡」の説明書きが。「擬宝珠」は「ぎぼし」。橋の欄干の柱の上にある飾りのことです。技術者的にはギボシ端子という名称はよく耳にしますが、これはギボシ端子のオス端子の形状が擬宝珠に似ているため、とか。

説明書きのタイトル通り、西側から二つ目の擬宝珠に刀傷があり、これが池田屋騒動の際についたのではないかと言われているそうです。後で見てみましょう。

というわけで、いよいよ出発。

このペースで写真を撮り続けていると紫式部(まひろ)より石山寺への到着が遅くなりそうなので、ウォーキングモードに切り替えます。実際には、何も変わってないですけど。。

気持ちを切り替えたのは、「Vitality Run&Walk Challenge」のためのアプリ「Runtrip」を立ち上げ、「計測」を開始するために「スタート」ボタンを押したとき。

ここから、GPSによる位置測定での歩行距離測定と、歩行時間の時間測定が開始されます。

およそ20km先の石山寺に向けて、出発です。

三条大橋~蹴上

この先、線を引いた地図が出てきますが、
 赤色線:当初の予定経路
 紫色マーカー:予定経路での京阪三条駅からの1kmごとのポイント
 紫色線:実際の徒歩経路
となります。

さぁ出発だ、と言った早々、歩き出してわずか十数歩で、立ち止まりました。

さきほど、説明書きのあった擬宝珠ぎぼしです。

どれほどの力で切りつけたのか、結構な深さで残っています。色が変わってるのは、多くの人が指で撫でたからなんでしょうかね。

先へと進みます。

京阪三条駅を通り過ぎ、三条通りの南側の方の歩道を、東山に向けて歩き出そうとした矢先に目に入ったのは「高山彦九郎 皇居望拝之像」。

上野国(現在の群馬県)出身の尊王家、高山彦九郎(1747~93)が上洛の折、ここ三条大橋から御所を伏し拝み、皇室の衰微を嘆いたという逸話から昭和3年に銅像が建設されたそうです。が、昭和19年の金属供出で撤去されるにあたり、その代わりとして写真左に写る石標が建てられた、とのこと。写真右の像は、昭和36年に再建されたものだそうです。

東に向いて進み、東大路通を越えると、三条を後にして減っていた観光客の姿が、急に増えだしました。地下鉄東山駅に近いからでしょうかね。

半数近くが外国人旅行客、という感じです。西洋系の方が多い印象です。

岡崎から南西へと流れ、鴨川へと注ぐ白川を、白川橋で渡ります。

柳が揺れる川縁は、風情があります。

三条通の南側を歩いているので、南を向いた写真ですね。

そのすぐ先には、「坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡」の碑。

今でこそ街中の一角ですが、当時は青蓮院の境内だったそうで、その青蓮院の本堂で「内祝言」を行ったのだとか。

大勢いた外国人観光客がぱったりと見えなくなったポイントが、三条神宮道の交差点。ここを過ぎると途端にいなくなりましたね。

というのも、この交差点を北に600mほど歩いたところに、平安神宮があります。その近くには国立近代美術館や京都市京セラ美術館もありますし、南に行けば知恩院、八坂神社、円山公園と観光スポットが目白押し。鉄道での最寄り駅が地下鉄東山駅になるので、観光客も多いんでしょう。

交差点から北に350mほどのところにある平安神宮の大鳥居と、その先にある平安神宮の応天門

緩やかな坂道を上り、右手に「The Westin Miyako Kyoto」を見ながら歩くと、ほどなく地下鉄「蹴上」駅に到着です。ここまで、三条大橋西詰から1.8kmほどです。まだ、全体の行程の1/10ほど。まだまだ先は長いです。

蹴上~九条山

地下鉄蹴上駅のそばからは、「ねじりまんぽ」が見えます。

「まんぽ」とは「トンネル」を意味する古語だそうで、このトンネルの上を、蹴上から南禅寺につながるインクラインが通っています。反対側を歩けば、すぐそばで見られたんですが、車道を挟んでの見学となりました。

名前に「ねじり」とあるのは、渦を巻くような形で螺旋状にれんがが積まれているためで、こちらの写真の方が判りやすいでしょうか。

このように積むことで、上にインクラインが走っていても、その重量に耐えることが出来るんだそうです。

そこからしばらく坂道を上り続けます。

右手にはレンガ塀の蹴上浄水場が続き、そのあたりを過ぎると、一気に様相が変わります。

郊外の幹線道路、という感じですね。つい数分前まで三条付近の雑踏にいたとは思えない雰囲気です。

東山ドライブウェイの高架が道路を跨いですぐに、九条山の交差点があります。

名前に山と付く通り、このあたりが九条山峠で、三条から山科へ向かう途中での標高のピークとなります。

そして、この交差点にあるのが「粟田口刑場跡」。

公開処刑場というと非常に恐ろしい響きですが、はりつけが行われていた、と言われると時代劇の1シーンを思い浮かべることが出来るのではないでしょうか。

とはいえ、そんなことがこの場でリアルに行われていた、と言われると、やっぱり気持ちいいものでは無いですけどね。

峠を越えたので、ここからは緩やかな下り坂となります。

300mほど歩くと九条山の車石が見えてきます。

道路脇に作られた広場で、かつてこの道に設けられた牛車の車輪が通るための敷石(これを「車石」と言います)を模して展示されています。

九条山の峠越えなどでは、重い米俵を積んだ牛車は、当時の未舗装の道路では車輪が進まず、そのために車輪の幅で石を敷き詰めて上りやすくしたようです。

その車石が見やすく展示されています。

この広場からほんの少し行ったところが、これまで歩いてきた三条通と旧東海道との分岐点となります。

左が三条通、右の細い道が旧東海道

三条大橋西詰からこの分岐点まで、2.9km。全行程の1/6弱。まだ先は長いです。

この旧東海道から先は、こちらへどうぞ。