24系25形 寝台特急「なは」の思い出と…(1)

2025年5月30日に発売が開始された、TOMIXの98858「JR 24系25形特急寝台客車(なは)基本セット」と98859「JR 24系25形特急寝台客車(なは)増結セット」。

関西を発着していた寝台特急ですし、24系25形とはいえ、「つるぎ」「日本海」のようにシンプルな構成では無く、オハネフ25形2100(2200)番台の「デュエット」、スハネ25形2100番台の「ソロ」、それにオハ24形300番台の「レガートシート」など、特徴的な車両が含まれているので、これぞ「なは」という編成ということもあり、欲しかった車両なんです。

製品化が発表になったと同時に予約していました。

2004年10月 寝台特急「なは」

単に関西発着だった、という以上に身近に感じていたのは、実際に乗車したから、ですね。

今から21年前の2004(平成16)年10月8日、鹿児島旅行の往路に乗車したのが、寝台特急「なは」です。同年3月13日に九州新幹線が新八代-鹿児島中央間で部分開業した半年後のことです。

九州新幹線部分開業後ですので、「なは」の運転区間は新大阪-熊本間に短縮された後のことですが、乗っておいて良かった、と思います。

乗車まで

使用したきっぷは、「九州往復割引きっぷ」。大阪市内から鹿児島中央への往復が出来て、当時の価格で29,600円でした。新大阪から鹿児島中央まで新幹線(博多~新八代は在来線)でも、新八代までを在来線でも利用できる上に、熊本までを寝台特急「なは」のB寝台(開放ハネのみ)も追加料金なしで利用できる、という優れモノでした。

使用前のきっぷの写真をトリミング

写真は、旅行に使用したきっぷの一部ですが、行程としては、

10月8日(金) 大阪 20:33発 寝台特急「なは」熊本 翌朝7:10着
10月9日(土) 熊本 7:22発 特急「リレーつばめ31号」 新八代 7:43着
10月9日(土) 新八代 7:46発 九州新幹線「つばめ31号」 鹿児島中央 8:33着

10月11日(月) 鹿児島中央 14:48発 九州新幹線「つばめ14号」 新八代 15:28着
10月11日(月) 新八代 15:31発 特急「リレーつばめ14号」 博多 17:08着
10月11日(月) 博多 17:33発 山陽新幹線「ひかり378号」 新大阪 20:20着

というもの。

これだけの列車の指定席(「なは」はB寝台)に乗車出来て、鹿児島中央往復29,600円は格安ですね。

ちなみに、9日の9時から11日の14時まで、レンタカーを借りていて、桜島・仙厳園・指宿・西大山駅・知覧などを巡っています。

乗車当日

きっぷにもある通り、始発駅の新大阪ではなく大阪駅から乗車しています。金曜日ですので、仕事を終えて一旦帰宅し、阪神百貨店で夕食の弁当を購入しての乗車だったと思います。

大阪駅4番のりばでの動画撮影。

もちろん、まだ駅全体を覆う屋根が無かった頃です。

この頃、旅行に持って行っていたカメラは、OLYMPUSのC300Z。動画は320×240で、最大33秒。なので、デュエットが通過したところで撮影が終了しています。おまけに、音声の無いQuickTime Motion JPEG形式ですので、今となっては「あるだけマシ」というレベルですが、無いよりはよほど良いですね。

乗車したのは最後尾から2両目の8号車。映像が途切れた次の車両です。TOMIX「増結セット」側の車両ですね。

1号車あたりに乗っていたのであれば、機関車通過時の速度も落ちていたんでしょうが、カメラを構えていた地点では、高速で通り過ぎました。牽引機はEF65-1124。いまは、トワイライトエクスプレス色となっている車両です。

とはいえ、8号車だから獲れた写真がこちら。

このときに掲載した写真です。

見ての通り、最後尾はデュエットではなく、B寝台。10月の3連休前日の金曜日ですからね。乗客も多かったと思います。

残念ながら2004年10月の時刻表が手元にないので詳細は判らないのですが、写真のタイムスタンプから大阪駅の停車時間は7分ほどだったでしょうか。久々のブルートレインということで、早く乗り込みたいという思いが強かったんでしょう。ベッドに荷物を置いてからは、その場を動かなかったですね。

座席(寝台)のシートはこのデザイン。

注目はベッドの方です。 阪神百貨店のお弁当ではなく…

「なは」は、583系からの置き換え直後こそ向日町所属でしたが、1986(昭和61)年11月以降はずっと九州内の所属。基本編成が鹿児島、付属編成が熊本という体制がJRとなっても続き、熊本止まりとなってからは、当然のこと、基本編成も熊本所属となっています。

同じく熊本所属だった「はやぶさ」も、同じシート柄でしたね。

9時過ぎに弁当を食べた後、デュエット車両の連結部に行ってきました。

しっかりと、明るく撮ることが出来ました。

本当の最後尾は、こんなに間近では撮れないですからね。

デュエットの個室のドアを見た記憶が無いので、ここで8号車に引き返したんだと思います。

夜が明けて

画像のタイムスタンプを見ると、6:28頃の写真です。

熊本着が7:10ですので、およそ40分前。大牟田あたりでしょうか。

そうこうしている間に、熊本に到着です。もちろん、高架前の地上駅時代で、隣の駅、西熊本駅が出来る前です。さらに言えば政令指定都市になる前なので「熊本市」の表記(今は、「熊本市西区」表記)というのも時代を感じますし、なにより国鉄っぽい駅名標が21年という時の流れを感じさせます。

ほどなく、最後尾のオハネフ25に、回送牽引用のDE10 1638が連結されました。今は黒色塗装となったDE10ですね。

レガートシートの方向幕です。非常に「なは」っぽいデザインです。

最後の写真はこちら。

熊本の行先表示を撮ろうと思っていたのに、気付けば回転中。しまった、と思いつつ、こんな写真を撮ってました。

きれいに収まってるので、一旦、止まったんですかね。そのあたりの記憶はありません。国鉄時代に作られた行先方向幕は、所属基地に依らず全国共通でしたっけ?

当時撮った写真を振り返ってみると、撮影した写真の数が思いのほか少ないんです。というのも、当時はメディアは、スマートメディアというもの。

確か、128MBのサイズのものを持っていたと思います。写真は、1984×1488ピクセルで、1枚が700KB前後ですから、写真だけなら180枚前後撮れる計算ですが、32秒の動画は10MB近くありますし、しかも「なは」は旅行の序盤ですから、控えめに撮影していたんじゃないかと思います。

「なは」の大阪駅から熊本駅までで、動画を含めてわずかに30枚(うち動画3本)。今では信じられない少なさです。

というわけで、写真が少ない、動画はもっと少ない、さらに20年が経過して記憶も薄れてきている寝台特急「なは」の思い出でした。

車両変遷

特急「なは」の歴史ですが、583系時代までは、

に書いていますが、ブルートレインになってからの話はさらっと終えていますので、少し触れてみたいと思います。

1984(昭和59)年2月改正で、583系から24系25形のブルートレインへと姿を変えました。基本編成がカニ24+オハネフ25+オハネ25×4+オハネフ25で、新大阪-西鹿児島間。付属編成がオハネフ25+オハネ25×5+オハネフ25で熊本止まりという編成です。

実質は「明星」から名称を変えただけ(新大阪-西鹿児島間のダイヤもほぼ移行)で、新大阪-都城間の「彗星」と共通運用というのも「明星」時代から変わらず、です。

追いやられた「明星」は、14系15形になって、「あかつき」との併結となっています。

この改正で「なは」は583系から客車に、「彗星」は客車の1往復に、と、関西-九州間の583系の運用が無くなった改正でもあります。

1986(昭和61)年11月改正で、「なは」の車両は九州(鹿児島・熊本)へ。同時に熊本回転のオハネ25が2両減車となっています。

そのままJRへと移行し、1988(昭和63)年3月改正で熊本回転にオハネ25が1両増結されます。

ここまでは、全車B寝台(解放寝台)という時代が続いたんですが、変化があったのが1991(平成3)年3月改正。基本編成が、カニ24+オハネフ25+オハネ25×5+オハネフ25-2100(デュエット)と、デュエットが加わりました。付属編成の方も、オハネフ25+オハネ25×3+オハ24-300(レガート)+オハネフ25と、レガートシート車が加わっています。

翌年7月にはレガートシート車が基本編成の方に移り、カニ24+オハネフ25+オハネ25×3+スハネ25-300(ソロ)+オハ24-300(レガート)+オハネフ25-2100(デュエット)となっています。なので熊本回転の付属編成はオハネフ25×2+オハネ25×4と、シンプルな構成となりました。

その熊本回転の車両は、1997(平成9)年12月改正でオハネ25が4両から2両に減車となり、2000(平成12)年3月にはさらに2両が減車に。このときの熊本回転編成は、オハネ25+オハネフ25の2両のみ。この頃の姿が、模型で再現されたわけですね。

2004(平成16)年3月には、九州新幹線の新八代-鹿児島中央間の開業に伴い、「なは」は熊本止まりとなります。上で乗車記を書いた当時の姿です。

その翌年10月には、「なは」としては、カニ24+オハネフ25+オハネ25+スハネ25-300(ソロ)+オハネフ25-2100(デュエット)の5両のみに。14系15形の「あかつき」と併結で運転されるようになっています。

そのまま安泰なら良かったんですが、わずか2年半後の2008(平成20)年3月改正で、「なは/あかつき」は廃止となり、関西-九州間のブルートレインが全滅となりました。

TOMIX 98858「JR 24系25形特急寝台客車(なは)基本セット」

というわけで、21年前に乗車した「なは」が模型となって手元に届いたわけです。

基本セットは、
・オハネフ25-2100(デュエット)
・オハ24-300(レガート)
・スハネ25-2000(ソロ)
・オハネ25-100
・オハネ25-100
・オハネ25-100
・オハネフ25-100(後期型)
・カニ24-0(後期型)
の8両で構成されています。

8両のうち、シンプルなオハネ25が3両だけ、というのがバラエティに富んだ「なは」らしいですね。

オハネフ25-2100(デュエット)

特徴のある、互い違いに配置された窓の側ですね。反対側は、通路の側になるので天地の高い窓が整然と並んでいます。

車掌室側の妻面は、初めからTNカプラーが装着されていて、ジャンパ栓の表現もあって完成された感があります。

TOMIXの24系25形は、金帯の「北斗星」を除けば2022年に購入した国鉄時代の「はやぶさ」編成のみ。ちょっと意外な気がしましたが、昨年購入の「ゆうづる」は24系24形ですからね。

国鉄 24系25-100形特急寝台客車(はやぶさ)セット(7両)のオハネフ25

幌枠がグレーなのと青のとでは、印象も変わりますね。

ところで、「なは」用のデュエット車ですが、予備車も含めて3両存在していました。オハネフ25-2106、2108と、2209です。デュエット改造車は、種車の車番+2000ということで、種車が100番台の2106、2108と、200番台の2209ということですね。その2209は、車掌室側の妻面が折妻と、わずかに見た目の違いがあります。

オハ24-300(レガート)

続いては、座席車のオハ24-300。屋根には特徴のあるAU13の冷房装置が付いています。

AU13といえば、これ。

9020「国鉄電車 サロ481(489)形(AU13搭載車)」

床下のユニットも似てますよね。

それもそのはず、オハ24-300は、サロ481-52、104、102から、301、302、303が作られたんだそうです。

「あかつき」には、国鉄時代の1986(昭和61)年11月から、佐世保編成の11号車にオハ14が組み込まれていました。

「あかつき」自体が14系15形なので、オハ14を組み込むのも容易だったのでしょうが、「なは」用の座席車はそうは行かず。そもそも24系には座席車がなかったですからね。なんとなく、オハ14(もしくはオハ12)を種車に作られたのかと思っていたんですが、意外にも電車からでした。

スハネ25-2000(ソロ)

3両目は、ソロのスハネ25-2000番台。オハネ25を種車にして、そのオハネ25時代の車番に2000を足したのが、スハネ25としての車番。いろいろソロ仕様の設備を詰め込んで重くなってるんですね。

両側面共に上下に窓が並んでますので、見た目はオハネ25時代とは別物ですね。

SOLOのロゴが目立ってます。そういえば、デュエットは他の車両と同じ腰の位置に銀帯が入ってますが、ソロは無いんですね。窓の下が帯に当たるんでしょうか。

「北斗星」のオロハネ25-500とかは、帯に苦労した形跡が見えますが。。

この位置に帯の無い寝台車って、10系寝台車 以来?なんて。

オハネ25-100

オハネ25-100は、基本セットと増結セットで作り分けている、というこだわりなんですが、すみません。こちらの写真では違いが判らないですね。。

乗降用ドアとは反対側の非常口(この写真の裏側)に、窓上部の水切りの有無と、帯の連続/途切れの違いがあるそうです。見ずに片付けてしまった…。

オハネフ25-100(後期型)

基本セットの1号車にあたるオハネフ25は、中間車としての構成ですので、テールライトやトレインマークの点灯はありません。もちろん、「なは」のトレインマークも無し。

そういえば、この貫通幌はグレーなんですね。というか、基本的には2号車のオハネ25と連結しているので、閉じられることは無い、ということでしょうね。

そんなわけで、表に(最後尾に)なることもないので、ジャンパ栓の表現も無く、カプラーもアーノルドカプラーです。

カニ24-0(後期型)

基本セットの最後は、カニ24。100番台ではなく、0番台の後期型。当時の「なは」は、カニ24は全て0番台の運用でした。

カニ24が九州方になるので、機関車牽引用にアーノルドカプラーとなっています。もちろん、交換用のTNカプラーとジャンパ栓のセットが入っています。

収納ケース

基本セットの方は、先に写真を挙げましたが、ブック型プラケースです。

面白いと思ったのが、オハ24-300の収納スペースです。

通常、車両の長さに合わせてウレタンシートが切られているんですが、オハ24-300は、他の24系車両と同じ切り込みです。なので、車両が短いオハ24-300用に、隙間を埋めるためのウレタンパーツが噛まされてるんです。

というか、サロ481と24系車両って、そんなに違いがありましたっけ?

98859「JR 24系25形特急寝台客車(なは)増結セット」

ここからは、増結セットの方です。

増結セットは、
・オハネフ25-100(後期型)
・オハネ25-100
の2両で構成されています。

見ての通り、紙箱です。中には、単品販売のときに使用される車両ケースが2つ、収められています。

とはいえ、単品とは違って、周囲のラベルはありません。あくまでもセット販売用です。

基本セットのケースには空きスペースはありませんし、どうしましょうかね。

増結2両のためにブックケースを購入するか、このまま車両ケースで保存するか、悩みどころです。

オハネフ25-100(後期型)

2両の増結時、大阪方の最後尾となるのがこの車両。増結なしのときの最後尾オハネフ25-2100と同様、貫通幌は青色。

まさにこれですね。

オハネフ25-2100の方は、ジャンパ栓付のTNカプラーで締まりがいいんですが、こちらはジャンパ栓なしのアーノルドカプラー。もちろん、交換用のTNカプラーとジャンパ栓パーツは付属品として同梱されています。

オハネ25-100

最後は、増結セットに入っているオハネ25。8号車なので、21年前に乗車した車両です。

基本セットのオハネ25とは造形が違う、という話は上でも書きましたが、それよりも驚いたのがこちら。

反対側を見て、頭の中が???と。

最初の乗降ドア側の写真とは反対側、便洗面側の写真です。

あれ?アーノルドカプラー?

ここは7号車のオハネフ25-2100の車掌室側と連結されるところ。オハネフ25-2100はTNカプラー。こちらはアーノルドカプラー。

購入した状態のままだと、基本セット+増結セットで連結できないんですね。

しかも、このオハネ25用にはTNカプラーは用意されておらず、オハネフ25-2100の車掌室側を、基本セットの付属品、アーノルドカプラー付の台車枠に置き換える、という仕様。

もちろん、私はオハネ25側をTNカプラーに置き換えるんですけどね。それは次回のお話。

というわけで、今回は寝台客車「なは」に乗車した際の思い出と、鉄道模型での「なは」の車両紹介でした。

実際に走らせるのは、次回、ですね。続きは、こちらをご覧ください。