寝台特急「富士・はやぶさ」の思い出

2023年最初の記事は、新年らしく「富士」の思い出話を書いてみたいと思います。

と言っても、実際に乗車したのは「はやぶさ」なんですけどね(笑)

寝台特急「富士」と「はやぶさ」

それぞれの歴史を書き始めると多くのスペースを消費するので、手っ取り早く、Wikiのリンクを貼っておきます。

「富士」は1965(昭和40)年10月改正で、東京ー大分間の運転から、東京ー西鹿児島間(日豊本線経由)に延長され、日本最長運転の定期旅客列車となっています。

これが、15年後の1980(昭和55)年10月改正で東京ー宮崎間に短縮され、日本最長運転の座を「はやぶさ」に譲ることになりました。

1997(平成9)年11月改正で「はやぶさ」が東京ー熊本間に短縮されることで、日本最長運転の座を東京ー長崎間の「さくら」に一旦譲ることになるんですが、「富士」が西鹿児島延長になるまでは「はやぶさ」が日本最長だったわけで、なんだかんだで東京から南九州へと直通する「富士」「はやぶさ」は、数十年間、日本を代表する特急列車であり続けたというわけです。

それらの列車が、利用客減少から統合されたのが2005(平成17)年3月改正。

使用車両が24系25形から14系15形へと変更され、当時はなんとなく「格落ち感」を抱いていたんですが、それでも東京口のブルートレインとして唯一残されたのは救いではありました。

もっとも、その4年後の2009(平成21)年3月改正で「富士・はやぶさ」が廃止。東海道ブルートレインが全廃となっています。

「富士・はやぶさ」に乗りたい!

そういう歴史を持つ「富士・はやぶさ」。こうして連名で書かれるのは、2005年3月からの4年間、併結運転で走っていた頃(14系15形だった頃)ですね。

なので、私の子供の頃の記憶にある24系25形の「富士」「はやぶさ」とは「なんか違う」感じがして仕方がないのですが、乗っておかないと無くなりそう、という雰囲気を感じて(情報を得て)乗車したのが、2008年7月のことでした。24系であろうが、14系であろうが、無くなってしまっては乗れませんからね。

そもそもそれまで乗ってなかったのは、やっぱり東京発着というのが一番の理由。大阪に住んでいると、鹿児島・熊本なら「なは」「明星」、長崎なら「あかつき」、宮崎・大分なら「彗星」という利用しやすい時間帯の列車があったわけですから、なにも大阪駅を深夜に出る東京発のブルートレインを待つ必要が無かった、というのが理由です。

福岡への旅行に合わせて、予約したのが「はやぶさ」のB個室ソロ。開放式2段のB寝台と同じ寝台料金というリーズナブルな車両です。

斜めに写った写真を補正していますので、縦横比が違っています

JR東西線 北新地駅のみどりの窓口で10時打ちをしてもらった成果です。3連休の前日の下りでしたからね。結構瞬殺だったようです。二人旅でしたが、3号車5番と8番。並びでは無いんですが、ソロですしね。でも、上下を比べられるという意味では面白い結果となりました。

行程としては、大阪から「はやぶさ」に乗車して、小倉で下車。小倉から博多までは0系新幹線に乗車する、というプランを考えていました。

そこからは観光旅行。柳川に行ったり、福岡市内を散策したり、志賀島に行ったり。帰りは、500系「のぞみ」に乗る、というのはこだわりでしたが。

※当時の旅行計画の案を見ていて、なぜ「富士」じゃなくて「はやぶさ」なのかを思い出しました。
最初は、「はやぶさ」で久留米まで行って柳川に入ることを検討していたようです。が、0系に乗っておきたいという欲を追加したため、じゃぁ小倉で降りるか、となりました。0系の運転終了は同年11月に決まってましたから、ブルートレインより0系を優先した、というわけです。

とはいえ、せっかくの「はやぶさ」に8時間弱しか乗れないのか、と考えた末に取った行動が…。

東海道、東へ

3連休前日の2008年7月18日(金)。たまたま仕事の方も順調だったので、早めの夏休みを1日頂きました。

今(2023年)思えば、「それなら始発駅・東京へ」とすれば良かったんでしょうが、さすがに「大阪に停車する列車」に「長時間乗るためだけに」東京へ、1人あたり2万円以上追加するのは、当時の合理性に欠けていたので却下され、出来るだけ安く東へと移動することに。

というわけで、大阪難波(当時は近鉄難波)から近鉄特急(アーバンライナー)で名古屋へ。

近鉄名古屋駅到着時に撮影

名古屋駅の地下街で、昼食にあんかけスパを食べて、静岡駅行きの東名ハイウェイバスに乗車。

東名ハイウェイを東へとひた走り、そのまま静岡駅まで乗っていくのかと思いきや、手前の東名西焼津で下車。

ここから、JR西焼津駅まで歩きます。距離は500mほど。歩いても10分とかかりません。

もっとも、なぜこんな面倒なことをしたのかというと、西焼津の近くで寄り道したいところがあったからなんですが、それが叶わなかった(というか、やめた)ので、書くに及ばず。で、こんな中途半端な乗り継ぎ旅みたいになってしまったんですが、ともかく、西焼津駅から15分ほど普通電車に揺られて、静岡駅に到着しました。

ここで20時36分に発車する「富士・はやぶさ」を待ちます。

新幹線で東京へ乗り込むことを考えると、1人あたり8,000円ほどの追加で、深夜1時ではなく夜8時半過ぎに乗車できる(4時間半増える)のですから、コスパは良かったと思います。

「富士・はやぶさ」に乗車

東京発のブルートレインから食堂車の営業が無くなって15年が経過してましたので、夕食用の駅弁を買い込んで、ホームへ。

静岡駅は1分停車ですので、到着は20時35分。

当時のデジカメは、SD容量が小さかったこともあって、動画は解像度を落として撮影していましたからかなり見にくいですが、到着の様子をどうぞ。

乗車して、まず車掌室に行って区間変更。

乗車券は特急券・寝台券を押さえた後、予定を変更した後に購入したので静岡からなのですが、特急券は上記の写真の通り、大阪駅からのもの。

なので、静岡ー大阪間は特急券が無い状態です。さすがに東京ー大阪間で寝台券が別の客に販売されることは無いので心配はしてなかったんですが、大阪ー小倉は600kmを切っていて、料金帯が変わってしまうことから早めに区間変更をして清算しておきたい、と。そうしないと、落ち着いて弁当を食べられないですから(笑)

特急料金分の差額、1人当たり320円を支払いました。

それから、個室で落ち着きます。就寝までは5号室で。階下にあたる部屋ですね。

ベッド側からドアを撮った写真です。

その反対、窓側を撮った写真がこちら。

この向かい側が、こちら。

テーブルの上にあるのは、静岡駅で買った駅弁。これとは別に、折り畳まれたテーブルもあります。

窓際の灰皿が時代を感じさせますね。

ちょうどこの上、ベッドの上にあるのが、この出っ張り。

この出っ張りは6号室のベッド。

5号室内の通路部分は天井まで何も無いわけですから、普通に立てますし、邪魔に感じることは無かったですね。

弁当を食べる前に、上階側の写真も撮っておこうと8号室に。

ドアを開けるとすぐに階段があります。なので、車両の床レベルで天井まで障害がないのはドアを開けて1段目のステップまでの最初の数十cmだけになりますね。

階段の途中から撮った写真がこちら。

2階部分だけあって、窓が天井にかかってカーブしています。

上段右から4つ目の窓が8号室/下段右から3つ目の窓が5号室(翌朝 門司駅で撮影)

で、ちょうど8号室の写真を撮っている最中(21時前)に「おやすみ放送」が始まってしまいました。

不意を突かれたので最初から録画できていなかったので、最後の部分(ハイケンス含む)だけ、音声のみを上げておきます。

コツコツ鳴っているのは、これ。

ベッドから通路(室内階段)側を撮影

走行中に音を撮りたい時は、ハンガーは外しておきましょう。

5号室に戻り、遅い目の夕食。静岡駅で購入した駅弁です。

折り畳みのテーブルをセットして、弁当を並べます。結構な大きさのテーブルです。

どちらも美味しかったです。(2名分ですよ)

日が変わる前に自室の8号室へ。消灯後の通路は照明が絞られ、暗くなっていました。

当初乗る予定だった大阪駅には、深夜1時6分に到着。2分停車で1時8分の発車です。

4番のりばに停車中に11番のりばの方を撮影しています。2008年7月なので、まだ、工事中の頃ですね。

静岡から4時間半。ここから乗車することを考えると、この時間は十二分に楽しめました。静岡まで戻って良かったですね。

では、おやすみなさい。

イベントいっぱいの朝

陽が明けてから最初に撮影したのが岩国駅。5時57分の到着ですね。

発車してすぐくらいに「おはよう放送」。これも不意を突かれて録画できず。放送最後のハイケンスは録れたんですが、おやすみ放送と同じなので、割愛。

柳井・下松・徳山・防府・新山口・宇部と止まって、8時32分に下関駅に到着。

東京から1,000km以上を牽引してきたEF66は、ここで機関車交換。

EF66が切り離されて、1号車のスハネフ15が表に現れました。

関門トンネルのエキスパート、EF81-400番台。

夏休みに入った直後ということもあって、ホームには鉄道ファンがあふれてました。

なので、このEF81の写真が無いんですよね。この動画だけでは、車両番号が特定できませんでした。

8時38分に下関を発車し、関門トンネルを通過。発車からおよそ8分で門司に到着。

切り離しのために貫通幌が格納された後ですね。

この門司で、「はやぶさ」が先行。その後に機関車を付けて「富士」が11分遅れで小倉に向けて発車します。

こちらは、「富士」編成。8号車のA個室シングルDXと、9号車のB個室ソロ。6両単位で見ると、「はやぶさ」と「富士」は同じ編成です。

最後尾の写真。

ブルートレインっぽい写真です。白帯スハネフ14ですね。

先発する「はやぶさ」でも門司駅で12分停車するので、隣のホームへも行ってみました。

ED76が牽引された後の「はやぶさ」編成ですね(6号車は写ってませんが)。

「はやぶさ」6号車と、「富士」7号車~12号車。

車内に戻り、小倉までのラスト7分を乗車。

「はやぶさ」は、1分の停車であっさり発車。

6両なので、身軽な感じがしますね。

最後の写真がこちら。

「はやぶさ」発車12分後にやってきた「富士」。

というわけで、「富士・はやぶさ」の乗車記録は終わりです。

2023年を迎えた今、2008年というと15年前になってしまいましたが、数を減らしながらもブルートレインが残っていた時代。今思えば、いい時代でした。

トワイライトエクスプレス瑞風、四季島などとは違って、このように気軽に乗れる寝台列車の復権は無いんですかね。。

時刻表

2008年7月の時刻表が手元に無かったので、2007年3月18日改正の時刻です。

寝台特急「富士・はやぶさ」東京発大分・熊本行

記載の時刻は、定刻(所定ダイヤ)のものになります。

411
特急特急
東京1803
横浜1827
1828
熱海1933
1935
沼津1952
1953
富士2007
2008
静岡2035
2036
浜松2128
2130
豊橋2155
2156
名古屋2245
2247
岐阜2307
2308
京都036
037
大阪106
108
広島521
523
岩国557
558
柳井623
下松645
徳山653
653
防府717
新山口733
733
宇部755
755
下関832
838
門司846
858910
小倉905918
906919
博多1011||
1012||
鳥栖1036||
1036||
久留米1044||
1045||
大牟田1109||
1110||
熊本1148||
行橋940
941
中津1001
1002
宇佐1020
1021
別府1105
1105
大分1118
列車名の特急は1ㇾ 寝台特急「富士」 41ㇾ 寝台特急「はやぶさ」
太字は乗下車駅

乗車時の列車編成

← 大分・熊本行

東京行 →

123456789101112
B寝台A1個室B1個室B寝台B寝台B寝台B寝台A1個室B1個室B寝台B寝台B寝台
1~6号車(下り)熊本~東京/(上り)大分~東京
7~12号車(下り)大分~東京/(上り)熊本~東京
A1個室は「シングルデラックス」
B1個室は「ソロ」
太字は乗車車両