583系 寝台特急「なは」

1ヶ月ほど前にKATOの「581系 (スリットタイフォン) 7両基本セット」を購入して、子供の頃の思い出の(といっても実際に乗車したわけでは無く、本で見て好きだった)寝台特急「彗星」を走らせた話を書きました。

その記事の中で、583系と言えば「金星」、なんて書いてましたが、もうひとつ挙げた「なは」の方が親近感はあります。やっぱり、関西発着の特急だったからですかね。

特急「なは」

特急「なは」は、沖縄が日本への復帰する前の1968(昭和43)年10月、いわゆるヨンサントオ改正から走り始めた特急列車です。政治的な話は避けますが、復帰運動が高まっていた中での、本土内に沖縄由来の名前の列車を走らせたい、という願いからの列車名選定だったようですね。

私が初めて特急「なは」を意識したのは既に583系で寝台特急として走っている頃ですから、当然、沖縄県は日本に返還されていて(というか、アメリカ占領下の時代は知りません)、あぁ、鹿児島が沖縄への航路での玄関口だから西鹿児島行の列車名が「なは」なんだ、くらいの印象だったと思います。

1968年の運行開始時は、キハ82系による大阪-西鹿児島間の昼行特急でした。

大阪駅を7:40に発車し、広島には12:00、小倉には15:19に到着。小倉で宮崎行の特急「日向」を切り離した後、博多に16:18、熊本に17:55と走り、終着西鹿児島には21:20の到着でした。「日向」の宮崎着は21:08でした。

「なは」は7両編成で指定席1等が1両、指定席2等が3両、自由席2等が2両、それに食堂車が1両という構成だったようです。「日向」の6両と合わせて、大阪-小倉間は13両で走っていました。1Dという列車名をもらっていることからも主力列車であったことが伺えます。

とはいえ、大阪駅発ですし朝の7:40ですから、名古屋方面からの新幹線接続は考えられていなかったようですね。当時の下り新幹線の初便の到着が名古屋6:46発の「こだま271号」で新大阪着が8:05でした。

その時代が5年ほど続き、その間に沖縄県が日本国に復帰しましたが、特急「なは」は走り続けます。

1973(昭和48)年10月改正は、新幹線岡山開業から1年半、岡山以西での優等列車が増発された改正だったそうですが、手元に当時の時刻表が無いので、なんとも言えません。

この改正で、「なは」は485系の電車特急に姿を変えています。この頃、日豊本線は、まだ大分県(幸崎)までしか電化されておらず、「なは」は11両編成での単独運転となっています。

そのわずか1年半後の1975(昭和50)年3月改正で、485系の昼行特急から、583系の寝台特急となりました。同時に運転区間を新大阪発着と変えています。1975年3月改正と言えば、山陽新幹線の岡山-博多間開業。山陽本線を走り通す昼行特急は当然ながら全廃されています。

1970(昭和45)年10月から583系で京都-西鹿児島間を走っていた寝台特急「きりしま」が同改正で廃止され、新大阪-西鹿児島間に583系の寝台特急「なは」が誕生しているので、改称&運転区間短縮なのかも知れませんが、ともかく「なは」の愛称は存続することになりました。

ちなみに、同改正で、20系を使用した新大阪-下関間を呉線経由で走る寝台特急「安芸」や、14系座席車を使用した新大阪-熊本間の夜行急行「阿蘇」等が運転を開始しています。

というわけで、583系「なは」の登場です。

1978(昭和53)年10月改正からは運転区間を京都-西鹿児島に延長し、1980(昭和55)年10月には再び新大阪-西鹿児島間に短縮。1982(昭和57)年11月改正からは12両編成中2両あったサハネ581が減車され、10両編成となっています。それなのにサシ581が食堂車営業休止のまま編成中に残り続けたのは、サシ581には圧縮空気の容量を確保するための追加となるコンプレッサーが設置されていたことや、3相切替スイッチが設置されていたことで編成から外せなかった、という事情があるようです。

それから1年と少し、1984(昭和59)年2月の改正で寝台特急「なは」は、24系25形のブルートレインとなりました。この姿で民営化を迎えるわけですが、そこからは2人用B個室デュエットやレガートシートを連結したり、九州新幹線開業で熊本止まりとなったり、「あかつき」との併結となったりと色々あって、2008(平成20)年3月改正で廃止となりました。

2004年10月 大阪駅にて

583系時代が9年弱、24系25形時代が24年強と、ブルートレインとして走ってた期間の方が遥かに長いんですが、今回はあくまでも583系の「なは」がテーマです。

トレインマーク変換装置

購入したのはKATO 11-327「トレインマーク変換装置 581系・583系用(イラスト)」です。

これには、

「金星」「明星」「なは」「彗星」、「雷鳥」「有明」「にちりん」「きたぐに」、「はつかり」「はくつる」「ゆうづる」「みちのく」が、各2個ずつ入っています。

今回使用するのは、もちろん「なは」が入ったもの。既に「金星」と「彗星」が入っているので面白みに若干欠けますが、恐らくは今後もこれを常用することになると思います。

さっそく、取り付けましょう。

まずは、クハネ581の中間車両側からボディを外します。

淡いグリーンのライトケースは、両サイド2ヶ所ずつの留め具を外側に開いて外します。

次に、ギアを取り外します。写真のトレインマークのすぐ上に飛び出ている白い突起がギアです。

上から押してあげれば簡単に外れます。

その次に、ライトケース上面に飛び出ているグレーのツメを内側に倒すようにして、ケースそのものを持ち上げます。

写真右側のパーツは何て言うんでしょうか、これを取り外した方が作業がしやすいんですが、説明書には付けたままで愛称板を取り換える、となってますね。どちらでも、お好みで。

写真は、愛称板を取り換えた後のものです。ここから先は、手順を遡って取り付けるだけ。

念のため、点灯の確認をしておきました。

最後にボディを取り付けて、おしまい。

手前が「なは」、奥が「明星」です。

意外と簡単だったので、気軽に取り換えできるような気はするんですが、先に書いた通り、この愛称板で十分ですね。

室内灯の取り付け

前回、「彗星」を走らせた時に、ちょっと物足りなく感じたので、食堂車のサシ581とグリーン車のサロ581に室内灯を組み込んでみました。

こちらも、純正品(11-211「LED室内灯クリア」)を使用するので取り付けは非常に簡単。

集電板を差し込んで、室内灯ユニットを上から載せるだけ。このときに、室内灯ユニットの脚を集電板に確実に接触させるようにするのが、唯一気を遣う点でしょうか。

その後は、照明板を上に載せますが、純正品だけに、車両側にも照明板をホールドするための突起が用意されているので心配いりません。室内灯ユニット側と逆側の取り付け向きを間違わないようにする必要はありますが。。

逆に取り付けてしまった例がこちらです。

食堂車の方も同様に。

もっとも、以前、オシ14に室内灯取り付けた時にも思いましたが、営業休止の食堂車が、ここまで煌々と灯りを照らしていいものか?と。とはいえ、車内通り抜けの必要もありますし、深夜でも灯りは点いていたのかな、と思います。寝台車の通路並みの明るさだったかもしれませんが。。

というわけで、今日の準備は完了です。

そういえば、クハネ581の実車の写真があったのに、掲載してなかったですので、参考までに。

2016年1月撮影 九州鉄道記念館にて

年明けすぐに旅行したので、しめ飾りが付いてました。

走行シーン

まずは、駅の通過シーンから。

前半の駅構内での撮影は、照明が明るすぎてせっかくの室内灯が判りづらかったので、後半は、照明の無いホームの端で撮影してみました。室内灯がよく判りますね。

続いては、カーブでの撮影。

直線レールとカーブレールとの間に高低差があって、若干の調整はしているんでが望遠で撮影すると、かなりの乗り上げに見えてしまいます。

でも、望遠だからこそ「なは」のトレインマークがしっかりと見えますし、難しいところですね。

最後に写真を何枚か。

今回は、九州内での走行をイメージしてみました。

すれ違う列車は急行「阿蘇」を選んでみたんですが、いくつか問題が。それは後ほど。

室内灯で車内もはっきりと見えます。

手前の木製ベンチと相俟って、昭和を感じます。

光の当て方が絶妙だったのか、クハネ581にも室内灯が入っているような写真になりましたが、ここには入ってません。

こちらは後ろから。

当時のダイヤ上、九州内で寝台特急「なは」と急行「阿蘇」がすれ違うことはあり得ないんですが、そこは模型として割り切ってます。

ただ、583系の「なは」を下り向きで線路に配置した後、「阿蘇」を上り向きで線路に置いた瞬間、「あ、ダメだ」と。

14系のKATOオハフ15に、TOMIX ED76に装着したTNカプラーと連結させるための加工をしてなかった、という点に加えて、KATOの旧製品14系なので緩急車に消灯スイッチが無いんですね。なので、最後尾のマニ37と、その1両前のスハフ14もテールライトが点灯してしまう、と。

ならば、と急遽マニ37を前に持ってきて急場をしのいだつもりだったんですが、今さら12両ある583系の方向転換も面倒なので、いずれの列車も下り向きで走ってすれ違ってます。まぁ、些細なことではあるんですけどね。

おしまいは収納の話。

基本7両と増結3両、増結2両の3ケースに分割して納められていたので、車両ケースA(電・気動・客車7両用)を購入しました。1~7号車と8~12号車とで、2ケースに編成順に収納できるので、楽でいいですね。

というわけで、KATOの581系編成を「なは」として楽しんだお話でした。

最後に、583系で運転していた頃(1978年10月、1982年11月)と、24系25形の1985年3月改正時の時刻表を参考資料として掲載しておきたいと思います。

【参考】寝台特急「なは」時刻表

【下り】

1978年10月1982年11月1985年3月
33M27M21
京都2006
新大阪2040
204320261910
大阪
(番線)
2046
(2)
2032
(4)
1916
(3)
205620351918
三ノ宮212221011941
姫路221421472023
221721512025
岡山232322572128
232522592130
倉敷233823132143
福山00923432218
01023442218
尾道02823592234
三原0132246
0142247
広島2352
2354
岩国028
028
下関508423
511434
門司518
519
小倉525447
526449
博多623540419
630543425
鳥栖606451
607453
久留米707614501
708615502
大牟田733640531
734641532
熊本811720613
823723618
八代850753647
857754648
水俣943842738
943843738
出水1000859756
1002901758
阿久根926823
川内1056955859
1057958900
串木野11121015915
伊集院11281031931
西鹿児島11441046949

【上り】

1978年10月1982年11月1985年3月
34M28M22
西鹿児島165019341713
伊集院170819501732
串木野20051747
川内173820171759
173920171800
阿久根181120461834
出水183121041854
183521081854
水俣185121251911
185221291912
八代194322132002
194422142002
熊本201222462032
201422502046
大牟田205123292127
205223302128
久留米211823562156
211923562157
鳥栖2205
2207
博多21480262232
21500292235
小倉22402330
22412331
門司2338
2343
下関22532351
22562356
宇部2331033
2332033
小郡2353
2355
広島430
434
三原533
534
尾道547
福山602
602
倉敷426636
岡山438648519
442652521
姫路547807625
550809627
三ノ宮644904721
大阪
(番線)
709
(9)
933
(9)
746
(11)
712936749
新大阪717942755
719ーーーーーー
京都750