普通夜行列車「はやたま」

これまで、何度かスユニ50を手に入れたい、という話を書いていましたが、その理由の一つが、今日のテーマです。

普通「はやたま」

かつて、大阪の天王寺と三重県の亀山(古くは名古屋)とを、奈良経由の関西本線ではなく、紀勢本線をぐるりと周って走っていた普通列車。それが「はやたま」です。

普通なのに普通じゃないのは、天王寺と新宮間の夜間運転区間だけですが、B寝台車を連結していたということ。北海道の「からまつ」、山陰地方の「山陰」、九州の「ながさき」と共に、昭和の後期まで、普通列車でありながら寝台車を連結していた列車として、今でもその名を知る人が多いのではないかと思います。

「はやたま」の名前は、和歌山県新宮市にある「熊野速玉大社」から名付けられたとされていますが、私がまだ子供だった頃、速玉大社の存在すら知らなかったですから、「はやたま」は寝台車付きの普通列車、という刷り込みが行われてました。なので、後年、速玉大社の存在を知って、「これが由来か」ではなく「同じ名前だ…」と思った記憶があります(笑)

熊野速玉大社 2018年11月訪問時に撮影

その「はやたま」を名乗って走り出したのが、1978(昭和53)年10月ダイヤ改正のこと。

このダイヤ改正は、紀勢本線和歌山-新宮間の電化完成で、381系の「くろしお」と、キハ82系の「南紀」とに系統分離された、紀勢本線にとっては極めて大きな改正でした。

もともと「くろしお」だった新宮(実際には紀伊勝浦)-名古屋間は特急「南紀」と名乗ることになるのですが、その改正まで「南紀」を名乗っていたのが、天王寺-新宮-名古屋間を走っていた普通列車、です。

つまりは、「南紀」の名前を特急に譲るため、「はやたま」の名前に変更された、ということですね。

その前身である「南紀」は、1974(昭和49)年に指定席発券システム(マルス)で寝台券を発券することになったため、無名の普通列車では都合が悪く、当時、たまたま未使用となっていた「南紀」の名前を充てられたのかな、と思います。

というのも「南紀」の名前は、古くは1953(昭和28)年5月から天王寺発着の準急列車として使用されていて、急行格上げ等を経ても天王寺・難波(南海難波)・東和歌山(現和歌山)と紀伊田辺や白浜口(現白浜)、新宮などの南紀方面とを結ぶ列車でしたが、1968(昭和43)年10月のヨンサントオ改正で、走行区間がほぼ同じの「きのくに」に統合されて「南紀」の名前が消滅していたんです。

「南紀」という判りやすい名前が特急でも急行でもなく普通列車で復活したわけですが、寝台車をつないで天王寺-新宮、そこから名古屋までの間を走っていた列車そのものは、それ以前から無名のまま走っていたようです。

手元にある時刻表を見てみると、「南紀」が消滅したヨンサントオ改正で、天王寺-名古屋間の普通列車(926レ・921レ)に二等寝台車連結の表示が見えます。※大阪起点で文章を書いてますので、あえて天王寺発の上り列車の番号を先に書いています。

その1年前の1967(昭和42)年10月号には、ほぼ同時刻に列車は存在しますが寝台車の表記は無し。なので、ヨンサントオ改正から寝台車を連結するようになったのかと思います(確証なしです。その1年間の間に変更となった可能性もあります)。

ヨンサントオ時刻表の方には、欄外に「始発駅と主な停車駅で発売する寝台券」と注釈がありますので、マルス対象外だったというのが判ります。

面白いのは、この頃、南海難波駅からの車両が連結されていた、ということ。926レは天王寺22:40発ですが、その25分前の22:15に、南海難波駅を発車しています。

国鉄のスハ43形をベースとしたサハ4801形車両が、南海線内ではモハ2001形3両に牽引されて走っていたそうです。この辺の詳細を調べ出すと長くなりそうなので、「面白い運用があった」という程度に留めておきます。この運用は、1972(昭和47)年3月改正で終了し、以後は和歌山市発となってようです。

難波発の車両と寝台車は5:12に着く新宮で切り離され、13:10に名古屋に到着するまで、各駅に停車しながら走り続けてました。古座までの夜行運転区間は通過駅もあったようです。

ちなみに、11:30に発車する亀山駅では、湊町(現JR難波)から来る普通列車(湊町-奈良間は現大和路快速よりも通過駅の多い快速運転)から接続していたようで、その列車の天王寺発は8:48。普通の人は、この乗り換えで移動するでしょうね。というか、大阪市内-名古屋市内の移動は東海道本線か。。

「はやたま」の方も、1956(昭和31)年11月より天王寺と新宮とを結ぶ客車準急列車から始まる歴史があります。1960(昭和35)年6月改正で「南紀」に名称を変えて「はやたま」が消滅するという、なんか面白い歴史がありますが、1962(昭和37)年3月に、新宮-(和歌山線)-王寺-名古屋を直通するディーゼル準急列車として名称が復活しています。

1967(昭和42)年10月には高田から桜井線経由にルートを変えるものの、翌年のヨンサントオ改正で急行「しらはま」に改称することで再び「はやたま」の名前が消えました。あれ、「はやたま」と「南紀」が同時に消えてたんですね。

この名が復活するのが、「南紀」からの改称となる1978(昭和53)年10月の改正です。

1982(昭和57)年5月の改正で天王寺-亀山間の列車となっています。

1984(昭和59)年2月改正で使用車両が12系化、寝台車の連結廃止、天王寺-新宮間の運転に区間短縮。で寝台車が無くなったことから「はやたま」の名前も無くなりました。

この名は、以後使用されていないと思いますが、今年2025(令和7)年4月に、「サロンカーなにわ」を使用した団体臨時列車として和歌山-新宮間を「サロンカーはやたま」として走ったのは記憶に新しいところです。

「はやたま」の編成

で、です。

この4月に南紀を鉄道旅行するので、GWあたりに「はやたま」を鉄道模型で走らせてみよう、漠然と考えていたら、4月下旬にKATOから「はやたま」が製品化される、と発表がありました。9月発売予定とのこと。

1980(昭和55)年頃の編成を再現しての製品化とのことです。

まだ天王寺・和歌山市-名古屋を走っていた頃ですね。でも、車両の編成を見て、おや?と思ったんです。なんか、知ってる情報と違う、と。

でも確かに、普通列車ということもあって、なかなかしっかりとした情報が無いんですよね。見る資料によって使用車両が違う、みたいな。

それに加えて、そもそも1980年頃というのは、あまり馴染みが無いんですね。なので、9月にこのセットを購入するか、というと、かなり黒に近いグレーです。買わないんじゃないかな、と。

でも、EF58好きとしては、同時発売の大窓のEF58-66は興味があるところ。これだけ買うかも。。

じゃぁ、そもそも、なぜ「はやたま」を走らせてみたかったか、というと、小さい頃に家族旅行で乗ったから、なんですね。はっきりと「旧客に乗った」と言える数少ない記憶の一つです。

ところが、前述の通り、その頃の編成がハッキリしないんですよね。

というわけで、ネット上で、とある方の乗車記を参考にさせて頂きました。日付と車番を明記されています。

普通列車「はやたま」

1982(昭和57)年2月頃

←924ㇾ 亀山

921ㇾ 天王寺 →

スユニ50オハフ33オハ47オハ47オハフ33オハネフ12
郵便・荷物車座席車座席車座席車座席車B寝台
寝台車は天王寺-新宮間のみ

一時期、B寝台車が連結されなくなったり、1両になったりしていたようで、なんだかよくわからなくなってきたんですが、少なくともこの編成ならリアリティがあるのかな、と、これをベースにさせて頂きます。

このサイトを数年前には見ていたんですが、「スユニ50がなぁ」、と再現できずにいたんです。

そのスユニ50が、なぜかこの1年間に立て続けに手にすることになったのと、繰り返しになりますが、この春に南紀を訪れたことから、そろそろ「はやたま」を見たいな、と思うに至ったわけです。

牽引機関車はEF58

天王寺-新宮間の牽引機関車は、EF58。竜華機関区のEF58ではなく、宮原のEF58-150ですが、そこは目をつぶります。

EF58といえば、ニギリ棒を金属製に置き換えることで見栄えが向上するので、EF58-150(←青い方)用にと余分に購入していたものに取り替えます。

同じ150号機なので、ややこしいですが。。

いつもより暗いところで撮影しています

プラスチック製のニギリ棒を取り外して、金属製のものを取り付けます。

向かって左側のものだけを取り換えてみました。違いがよく判りますね。

両方交換して完了です。

今回、手を入れたのはこれだけ。

スユニ50は、「山陰」用に購入したもの、オハネフ12は、急行「きたぐに」用。他のオハフ33とオハ47は、それぞれ単品で購入したものです。

天王寺発 上り924レ「はやたま」

というわけで、さっそく走らせてみます。

各車両の向き(便洗面所の位置)は、よく判りません。合っているか間違っているか、1/2ということで。。

スユニ61時代と違って、全車が青系で統一されていますので、スッキリして見えますね。

写真を何枚か。

金属製に取り替えたニギリ棒がいい感じです。

とはいえ、これじゃ、EF58しか見えないですよね。。

オハネフ12を最後尾にすると、ちょっとは「はやたま」に見えてきますでしょうか。

この転落防止のためのチェーンは、急行「きたぐに」として走らせ始めた時に加工したものです。

0.28mmのステンレス針金2本を撚り合わせて作ってます。ジャンパ栓の表現とかが無いので、テールライトが点灯するとはいえ、最後尾を飾るには、ちょっと物足りなさがありますけどね。

というわけで、おしまい。

本当はオハネフ12を落とした新宮以東も走らせたんですが。。

新宮から亀山へ

最後尾のオハネフ12を切り離し、オハフ33のテールライトを点灯するように変更。

DD51は、TOMIXのものがあるんですが、急行「さんべ」用に新たに購入した 7008-N DD51 後期 暖地形 を使用します。KATOのスユニ50(KATOカプラーN)を牽くならナックルカプラーのKATO製の方がいいですからね。

動画の最後に出てくるのは、東京から走ってきた寝台特急「紀伊」。

もちろん、新宮から東で、走行中にすれ違うのはあり得ないんですが、紀勢本線の東側と言えば、やっぱりこれだよね、と、登場させました。

実際には、924レは、熊野市駅で交換していました。

EF58も好きな機関車なんですが、それよりも好きなのがDD51。いいですよね。

オハフ33を最後尾にすると、昭和の普通列車、という感じがします。こういう列車が日常的に走ってたんですよね。

最後の1枚は、寝台特急「紀伊」と。

DD51と14系ブルートレイン。いい組み合わせです。

…と、この記事を書いているうちに、「これはダメだ」という問題が発覚。

新宮から先、寝台車を切り離しただけではダメなんですよね。

先に挙げた編成は、天王寺を発車した時点のもの。

そう、和歌山で和歌山市から来る1両を増やさないといけないんです。

普通列車 924レ

1982(昭和57)年2月頃 新宮-亀山間

←924ㇾ 亀山

スユニ50オハフ33オハフ33オハ47オハ47オハフ33
郵便・荷物車座席車座席車座席車座席車座席車
スユニ50の隣のオハフ33は和歌山市からの車両

こうなるでしょうか。

うーん。オハフ33戦後型は2両しか持ってない。。

次に走らせるときは、亀山発天王寺行の921レ限定(921レは和歌山市発の車両無し)ですかね。。

最後に、「はやたま」のこの編成が走っていた頃の時刻表を「時刻表 1982年11月号」から引用して掲載しておきたいと思います。

【参考】普通「はやたま」時刻表

停車駅が多いので主要駅のみ抜粋します。

【上り】

4924レ924レ
天王寺2300
和歌山市2337
和歌山
2346
2354
006
海南―――019
箕島040
湯浅055
御坊

114
114
南部148
紀伊田辺

157
212
白浜

225
227
周参見252
串本

339
352
古座402
紀伊勝浦

437
440
那智446
新宮

507
550
熊野市

627
632
尾鷲

729
752
紀伊長島836
三瀬谷928
多気

1008
1019
松阪

1029
1033


1059
1100
亀山1121

【下り】

921レ
亀山1721

1743
1746
松阪
1810
1822
多気
1832
1838
三瀬谷1921
紀伊長島2010
尾鷲
2051
2053
熊野市
2150
2152
新宮
2226
2245
那智2305
紀伊勝浦
2310
2311
古座2346
串本
2356
2357
周参見036
白浜
100
101
紀伊田辺
114
132
南部142
御坊
217
240
湯浅258
箕島312
海南328
和歌山
341
400
天王寺458