「やこうれっしゃ」と急行「能登」

『やこうれっしゃ』

子供の頃に好きでよく読んで(というか、眺めて)いた絵本があります。

それが、西村繁男氏作の「やこうれっしゃ」。

本文のページに物語としての文章は無く、全て絵のみ。絵の一部として文字が含まれる程度です。

著作物なので中身の紹介は難しいのですが、上野駅を出て、北陸・金沢に向かう夜行列車の、駅での様子、車内の様子が旅客、乗務員を含め事細かに描かれています。

それだけと言えばそれだけなのですが、描かれている全ての人物に物語がある、という感じで、温かみがあります。

この本は、所持していたわけではなく、小学校(低学年)の教室に置いてあったと記憶していますので、それ以降、目にする機会が無かったのですが、最近、ふと(本当に、何がきっかけだったのか思い出せないくらいに、ふと)思い出したんです。

しかも、驚いたことに現在も増刷を重ねていて、いまだに新品を購入できるのだとか。

手に入るとしても古本か、フリマか、オークションサイトかと思っていただけに、衝撃的です。
思わず、買っちゃいました。

届いた本を、ゆっくりとページを繰りながら読み進めていくと、ページを開くたびに、「そうそう、こういうのだった」という懐かしさを感じます。

教室で見ていた当時、昼行の特急・急行には乗ったことがあったものの、寝台車に乗車したのはその数年後なので、未体験の乗り物でした。

既に14系・24系のブルートレインが走り回っていた時代ですから、描かれていた3段式の10系寝台車も、ややくたびれた感じが出ていて、上野を出た直後から(いや、停車中からも)ローカルというか場末感があったように思います。

ただ、実はこの本を購入するまで、なぜか舞台の列車は急行「越前」だと思ってたんです。当時は、花形の寝台特急はともかく、関西以外の夜行急行列車にはまったく詳しくなかったですからね。

なぜ「越前」なのかも思い出せないのですが、数十年ぶりに本を開いて、「あ!」と。

最後尾車両が白い側面のパレット車、スニ41じゃないですか。

本の最後は金沢駅で終わるので、急行「能登」ですよね。

面白いのは、上野駅発車の時間帯から、ページを繰るごとに時間が進み、発車直後のにぎやかな夜の様子、寝静まる深夜の様子、明け方の様子、終着駅到着間近の下車準備をする様子と描かれていること。

著作物なので、ぼかしを入れてみました

一見、最後尾の荷物車から始まり、寝台車、座席車と、先頭車両に向かっていくように見えるのですが、話の展開上、夜の寝台車→夜の座席車→深夜の寝台車→深夜のグリーン車→深夜の座席車→明け方の寝台車のように、実際の編成とは異なるページ構成ではあるのですが、時系列という点では筋が通っていて、様々な物語を見たような気分になります。

が、終着駅金沢に着く直前のページを開いて衝撃を受けました。

ありえない…と。

子供の頃、こんなことにすら気付いてなかったとは。

気になる方は、ぜひ、書籍を手に取ってみてください。

10系寝台車を知る世代の方なら、買って損はないと思います。

急行「能登」

物語の舞台となる急行「能登」。今年の1月1日に大きな地震があった石川県北部、能登半島に位置する旧国名を付けた急行列車ですが、定期列車として能登エリアまで直通したことはなく、能登の入り口である金沢駅と、首都圏とを結ぶ列車の名前として使用されてきました。

初めて「能登」の名前の急行が登場したのが1959(昭和34)年9月のこと。「能登」なので上野から上越線か信越本線かで金沢を目指すのかと思いきや、東京駅から米原経由で北陸本線に入るという列車でした。

1961(昭和36)年10月の改正で単独運転になるまでは、東京-名古屋間を、鳥羽発着の「伊勢」、新宮発着の「那智」とを併結していて、金沢発着の「能登」は、ロネ×1、ハネ×2、ロ×1、ハ×3の7両編成だったそうです。

米原経由での単独時代が4年ほど続き、1965(昭和40)年10月からは、再び東京-名古屋間で併結運転に。このときの併結列車は、関西本線の湊町(現・JR難波)と、王寺から和歌山線を経由して和歌山市を発着する急行「大和」。このことは、時刻表復刻版の話で触れてましたね。

「能登」の歴史に戻りますが、この併結列車は1968(昭和43)年10月のヨンサントオ改正で廃止となります。米原経由で北陸を目指す列車が無くなりました。同時に「能登」の名前はここでいったん終了となります。

もちろん、首都圏と北陸を結ぶ列車が無くなったわけではなく、上野駅から福井への急行「越前」(信越本線経由)、急行「北陸」(上越線経由)がありましたので、時間のかかる米原経由が廃止されても大きな影響は無かったのかな、と思います。

「能登」の名称復活は、1975(昭和50)年3月の改正。季節列車だった急行「北陸1号」(当時は上下とも先行列車が1号)が、20系の寝台特急「北陸」として生まれ変わり、残った「北陸2号」が、10系寝台車+43系座席車のまま、急行「能登」の名前で走ることになりました。

「やこうれっしゃ」の初版が出版されたのが1980(昭和55)年ですから、ちょうどこの頃の編成ということですね。

急行「能登」は、その後、1982(昭和57)年11月に14系化されますが、同時に信越本線経由に変わります。この改正で信越本姓経由の急行「越前」が廃止になっていますから、事実上「越前」の14系化+金沢打ち切り=名称が「能登」に、ということですね。

JR移管後もこの編成が維持されJR東日本担当の列車となりましたが、1993(平成5)年3月改正で489系電車でのオール座席車の急行となり、同時にJR西日本担当へと移っています。その後、1994(平成6)年12月改正で福井駅まで定期列車として延長されています。

1997(平成9)年10月の北陸新幹線長野開業で横川-軽井沢間が廃止になったことから上越線経由に戻り、2001(平成13)年3月改正では金沢までに再度短縮されています。

その9年後、2010(平成22)年3月のダイヤ改正で臨時列車化され、2012年冬季の運転が最後となりました。

14系化以降の1989(平成元)年7月から1991(平成3)年2月までの観光シーズン限定で、編成の一部(寝台車3両と座席車1両)が金沢到着後、七尾線を経由して輪島駅まで直通運転していたというのが興味のあるところですね。本当に「能登」エリアまで足を延ばしていたのですから。

というわけで、実は14系編成にも興味を抱きつつ、ですが、今回は、「やこうれっしゃ」の舞台となった10系寝台車+43系座席車での「能登」を走らせてみたいと思います。

急行「能登」の編成

急行「能登」

← 3604レ 上野

3605レ 金沢 →

荷物123456789101112
スニ41オロネ10オハネフ12スハネ16スハネ16スハネ16スハネ16スロ62オハ47オハ47オハ47オハ47スハフ42

長岡~金沢間 逆編成
1975(昭和50)年~1982(昭和57)年頃の急行「能登」

急行「能登」に強い思い入れがあるなら、KATOの急行「能登」をユーズドでも購入するんでしょうが、そこままでもないので、「能登に見えるかな」くらいの再現をしたいと思います。

荷物車のスニ41-2000は購入済みなのでOKですね。

オロネ10は急行「きたぐに」から。座席車は急行「鳥海」でも使用した単品の寄せ集めで賄いたいと思います。オハ47が2両しかないので、オハ46で代用です。足回り(台車)が違うんですが、そこまで関心が無いというかなんというか。。

スロ62は、いつかは買いたいと思いつつ、プレミアム価格のユーズドに手を伸ばすつもりはないので、いつものように「きたぐに」のスロ54で代用します。実際の「きたぐに」がスロ62やスロフ62で走っているので、十分にありかな、と。

問題は、5両あるスハネ16ですね。

10系寝台車は「きたぐに」のオハネフ12(4両)しかなく、スハネ16は所有ゼロです。

が、オハネ24とオハネフ24の違いとは異なり、スハネ16とスハネフ12の、見た目上の違いって、あんまり無いんですよね。

なので、スハネ16はスハネフ12で代用してしまいます。(急行「鳥海」のときも、やってました)

とはいえ、足りない1両はどうしようもないです。

なので、たまたまユーズドショップで見かけたスハネ16を買ってしまいました。

もっとも、1両だけ、本当のスハネ16があると、他の4両がスハネ16じゃない、ってなってしまいまそうですが、そこは諦めます。

ちなみに、スハネ16とスハネフ12の違いはこんな感じです。

スハネ16(寝台側)
オハネフ12(寝台側)
スハネ16(通路側)
オハネフ12(通路側)

台車と床下機器、それに屋根上が若干違いますが、ボディ部は限りなく似ています。ドア寄り部分に違いはありますけどね。屋根上は、違うと言えば違うけれど…という感じ。ですが、色が違います。あれ?オハネフ12もスハネ16もグレーだったような気がするんですが。。単に(模型としての)製造年の違いですかね。

上がオハネフ12、下がスハネ16

これで、客車もなんとかなりそうです。

牽引機は上野駅発車時のEF58。上越線用ではなく宮原の時点で別物ではありますが、そこも諦めます。

長岡から先はEF81が牽いていたようですね。

というわけで、いろんな代用があるので急行「能登」みたいな列車、ではありますが、さっそく走らせてみたいと思います。

EF58と急行「能登」

まずは、上越線長岡駅までのEF58牽引での姿です。EF16は持っていませんので、国境越えはありませんが。。

当時の列車としてはありふれたものでしたが、機関車と荷物車を含めて14両の列車は壮観です。

以前、車両の向きは、できるだけこだわりたい、ということを書いたんですが、あえて(というか、仕方なく)逆向きにした車両があります。それが、最後尾から3両目(2号車)のオハネフ12。

急行「きたぐに」セットの4両あるオハネフ12を使えばいいや、って安易に考えていたんですが、12号車用のオハネフ12-2080、テールライトが点灯するのでありがたいんですが、消灯スイッチが無いんですね。なので、緩急室を後部にして編成途中に組み込むと、テールライトが点灯するんです。

上野発の下り「能登」の寝台車は、乗降用ドアが上野寄り、便洗面所が長岡寄りだったはずなので、困ったな、と。かといって、わざわざ車両に加工するもの面倒なので、「いいや、逆にしちゃえ」って(笑)。

他の4両がスハフ16で、2号車だけがオハネフ12なので、違っててもそれはそれで許容範囲かな、と。(いやいや…)

続いては、大半径カーブの通過と、側面から。

側面のこの角度は、初めて撮る画角ですが、ちょっとだけ「やこうれっしゃ」を意識してます。

写真をいくつか。

EF58は好きな機関車です。現役で走る姿はあまり見ていないんですが、大阪駅で急行「きたぐに」を見ていますし、阪和線から直通する紀勢線普通列車の記憶もあります。(って、めちゃくちゃ昔話ですね)

とはいえ、上越形を買いたいとまでは「いまのところ」思ってません。そのうち買うかも。。

こちらは最後尾のスニ41-2000。せっかくの小ドア付ですからね。最後尾で目立つように。

ヘッドライトが惜しいところですが、くねり具合がいい感じです。

最後は、「やこうれっしゃ」風に。

最後尾 荷物車 スニ41
1号車 オロネ10
6号車 スハネ16
7号車 スロ54(スロ62代用)
8号車 オハ47
12号車 スハフ42
機関車 EF58

車体の切断なんてしませんよ(笑)

EF81と急行「能登」

長岡駅で機関車をEF58からEF81へと交換し、下り「能登」は、スニ41を先頭に、スハフ42を最後尾として終着駅金沢へと向かいます。

オハネフ12のテールライトの件は、進行方向側になりますので、向きを変えて解決です。なので、せっかくのスニ41-2000が機関車の次位になりますが、こちらの方が自然ですね。

最後に写真を少し。

EF81は、TOMIXの2131ですので結構前の製品ですが、それなりに走ってくれていました。が、最近、ちょっと走行にムラが出始めてますので、後継が必要かな、と思い始めているところです。

最後尾となったスハフ42。いかにも旧客っぽい風情がいいですね。

というわけで、「やこうれっしゃ」を見て、急行「能登」を走らせてみたお話でした。

震災で大変な時期ではありますが、復興したら(現地で迷惑にならない時期が来たら)能登の地をまた訪れてみたいですね。

最後に、急行「能登」のこの編成が走っていた頃(14系化直前)の時刻表を「時刻表復刻版 1982年6月号」から引用して掲載しておきたいと思います。

【参考】急行「能登」時刻表

【下り】

1982年6月
3605
急行能登
上野(13番線)入線2127
2149
大宮2214
2216
熊谷2244
2244
高崎2321
2323
水上025
031
小出145
151
小千谷212
長岡227
238
柏崎312
318
直江津352
358
能生420
糸魚川433
435
500
入善506
黒部518
魚津525
526
滑川534
富山550
553
高岡610
612
石動626
津端639
640
金沢651

【上り】

1982年6月
3604
急行能登
金沢2130
津端2143
2143
石動2156
高岡2210
2211
富山2228
2235
滑川2251
魚津2259
2300
黒部2307
入善2318
2325
糸魚川2350
2351
直江津023
025
柏崎057
058
長岡130
145
水上350
356
高崎456
459
熊谷535
536
大宮611
611
赤羽626
上野(13番線)638

【参考】急行「能登」編成表

← 上野

金沢 →

123456789101112
A寝B寝(3段)B寝(3段)B寝(3段)B寝(3段)B寝(3段)
長岡-金沢間 逆編成
下り8・9号車は自由席
10号車は連結しない日あり