時刻表復刻版 1978年10月号を購入

これまで、何度かJTBパブリッシングが発行している『時刻表復刻版』のことを書きました。

時刻表復刻版 第6弾

第1弾「1964年10月号」(昭和39年)
第2弾「1964年9月号」
第3弾「1988年3月号」(昭和63年)
第4弾「1968年10月号」(昭和43年)
第5弾「1967年10月号」(昭和42年)

と続いて、今回が第6弾。今回もまた、発売をチェックしていなかったので今頃になっての購入となりましたが、5月23日に発売されていたようです。

その第6弾は「1978年10月号」(昭和53年)の、ゴーサントオと呼ばれた大改正号です。

復刻版の表紙

個人的には、過去の5作よりも、今回の1978年10月号が最も「懐かしい」と感じた1冊となります。

というのも、ヨンサントオ以前の4作の時代はまだ産まれてなかったですし、青函トンネル&瀬戸大橋開通の1988年3月(実際には実物を持っているので復刻版は購入してませんが)は、なんだか「最近」という感じがしてしまいます。

何より、お小遣いで交通公社の時刻表を最初に買ったのが、この数年後のはずなので最初に出会った時刻表の下地になった大改正というわけです。

今回も、復刻版の表紙カバーの下からは、当時の表紙が現れます。

列車以外が表紙のメインになるのは、珍しいんじゃないかと思います。

当時の価格は500円。10年前のヨンサントオが180円でしたから、約2.8倍の値上がり。国鉄運賃・料金も値上げが続いていた頃ですね。

感動の1冊

というわけで、私自身にとっては、非常に懐かしい(ページをめくるたびに「あー、あったあった」という思いがする)時刻表です。

ポイント①:寝台車の記号

出版物なので、そのままの引用は良くないと思いつつ、ですが、

P231 湖西線・北陸本線下り(その2)

この寝台車を表す記号に鳥肌が立ちました。

ベッドの中の星の数でB寝台の設備を表してます。★が客車3段式、★★が電車3段式、★★★が客車2段式です。当時は、まだ20系以前の客車も現役でしたから、★1つには、ベッド幅52cmの車両(20系や10系)と70cm(24系24形・14系14形)が混在。

★2つは当時唯一の寝台電車581/583系、★3つは、24系25形・14系15形で、ブルートレインの花形でしたね。

上に出した例でいうと、寝台特急「日本海3号」の★1つが24系24形(ベッド幅70cm)、急行「きたぐに」の★1つが10系(スハネフ12・ベッド幅52cm)、寝台特急「つるぎ」の★3つが24系25形(ベッド幅70cm)ですね。

B寝台がベッドの中に「B」と書かれるようになったのは、B寝台も2段式が普通になった頃だったか、B寝台にも個室が登場するようになったから(B1・B2等)か、1988年3月号では、既に「B」の記載になっています。

P89 東海道本線・山陽本線下り(その4)

名古屋発博多行きの電車寝台特急「金星」は★2つ。

寝台特急「はやぶさ」「富士」「出雲1号」「あさかぜ1号」にはベッドに「個」と書かれたA寝台(個室)が見えます。当時、寝台車の個室と言えば(20系の個室が無くなってますので)24系25形のオロネ25だけですから、これで十分だったんですね。

ポイント②:号数の統一

いまでは当然のように思われていますが、下り列車が奇数番号、上り列車が偶数番号に統一されたのが、この1978年10月の改正になります。

この改正以降から時刻表に接した人には、それ以前の、下り・上りともに「○○1号」「○○2号」とある名称に違和感を感じているはずです。

狩人が歌う「あずさ2号」の「8時ちょうどのーあずさ2号でー」は、子供心に、「何言ってんの」と思ってましたから。。

その振り分けによって、新大阪と博多・熊本・西鹿児島とを結ぶ寝台特急「明星」が、季節列車を含めて1号~8号という大所帯に。

ポイント③:夜行列車の隆盛

その「明星」を含む、関西圏と九州とを結ぶ寝台特急は、毎日走る定期列車だけで「明星1号」「彗星1号」「明星3号」「あかつき1号」「彗星3号」「あかつき3号」「なは」「明星7号」「彗星5号」(大阪駅発車時刻順)の9本。

他に東京からの「さくら」「はやぶさ」「みずほ」と名古屋からの「金星」が大阪駅に停車しましたから、九州方面には、毎日13本もの寝台特急に乗車できるチャンスがあったというわけです。

寝台特急以外にも急行「阿蘇・くにさき」(熊本・大分行)、急行「雲仙・西海」(長崎・佐世保行)がいずれも14系客車の急行として座席車のみですが毎日走っていました。

北陸方面には「日本海1号」「日本海3号」「つるぎ」「きたぐに」がいずれも寝台車連結で毎日走っていましたし、急行「立山5号」が富山まで急行、引き続き快速として糸魚川まで走っていました。観光シーズンには富山地方鉄道の立山まで直通の車両(3両)も連結していましたね。

関西からの夜行列車として忘れてはならないのが、天王寺から阪和線・紀勢本線・関西本線を走り名古屋までを毎日走っていた普通「はやたま」。B寝台2両を途中の新宮まで連結していました。

同じく普通列車の「山陰」。こちらは京都発出雲市行でB寝台1両を連結。

いずれもB寝台の予約のために愛称が付けられた普通列車です。

それと、もう一つの夜行列車が…

ポイント④:誤記・誤植?

それが、急行「だいせん5号」です。

大阪を21:32に発車して、出雲市まで急行、そこから普通列車になり、大社駅までを走っていました。

私が乗車した1995年には、既に夜行列車の「だいせん」しか残っていませんでしたが、1978年当時は昼行2往復「だいせん1号」浜田・大社行、「だいせん3号」鳥取行があり、その続番として「だいせん5号」があったわけです。

このダイヤ改正まで、10系寝台車を連結していた夜行の「だいせん」。

それが、このダイヤ改正で、全車(荷物車除く)20系となったんです。寝台車はナハネ20、ナハネフ22、ナハネフ23のいずれもB寝台で計6両。座席車はナロネ21から改造したナハ21が3両。

このオール20系化に惑わされたのか、急行「だいせん5号・6号」が、

P181 福知山線下り

「寝台急行」になっています。

当時、この記号を使用する「寝台急行」は、「銀河」(東京~大阪)、「天の川」(上野~秋田)、「新星」(上野~仙台)だけのはず。いずれも、A寝台を含む全車寝台車です。同じくオール20系(ナハ21の座席車含む)の急行「十和田」は、普通の「急行」表示なので、「寝台急行だいせん」は幻なんじゃないかと思っています。

「列車の編成ご案内」のページには「急行」になってますからね。

P418 列車の編成ご案内

ちなみに、寝台急行と言えば、こちらは誤植なんですが、

P127 関西本線

寝台特急「紀伊」が、寝台急行になってました。3年前の1975年3月改正から「寝台特急」に格上げされて、東京~名古屋を「いなば」に併結されてましたが、この改正から併結相手が「出雲」に変わっています。その影響なのか何なのか、格下げは可哀そうで…。

もちろん、他のページは、全て寝台特急の記号になっています。

黄色いページ[13]の訂正表には「だいせん」も「紀伊」も記載はありません。これは、運行上の変更点を記載、ということなんでしょうね。

ちなみに、誤植といえば、目が点になるものを見つけました。

464ページの「京成電鉄」本線の駅名。京成上野駅がすごいことになってます。気になる方は、時刻表でご確認ください。