14系500番台 急行「まりも」

北海道の夜行列車

鉄道模型趣味を再開して、この秋で3年。

保有している車両を振り返ってみると、夜行列車、それも客車が多い、というのは傾向としてあるんですが、意外にも持っていなかったのが、「北海道内で完結する列車」です。

24系25形の「トワイライトエクスプレス」や「北斗星」、青森と札幌を結んだ急行「はまなす」はありますが、札幌を起点として道東・道北へと走っていた数々の夜行急行列車は、全く手つかず。

この3年間で発売された製品が無かったわけではなく、最近では、今年(2024年)2月にTOMIXから「国鉄 14-500系客車(まりも)基本セット」が発売されていましたが、見送っています。

これを見送ったのは理由があります。それは、「馴染みが無かったから」。

私が初めて北海道を訪れたのは、1988(昭和63)年8月のこと。

つまり、国鉄時代の北海道を全く知らないんですね。

だから、というわけではないんですが、今回の KATO 10-1953 14系 500番台 寝台急行 「まりも / 大雪 / 利尻」には心が揺れました。

JR移行後の姿ですからね。いや、その頃の「まりも」に乗ったのか、というとそれは無いので、「馴染みの無さ」では同じなんですが、TOMIXには無かった最北の稚内へと向かう「利尻」に惹かれた、というのはあります。

ちなみに、「まりも」はキハ183系時代のB寝台に、「利尻」はキハ400系時代のB寝台に乗車しています。「大雪」は特急「オホーツク」に格上げされた後に乗車していますが、夜明け前の遠軽で降りるので座席車だったように記憶しています。

急行「まりも」

なので、機関車に牽引されて走る客車時代の各列車は、実は馴染みが無いんですが、国鉄時代よりも親近感はありますね。

というわけで、急行「まりも」。

戦前の1940(昭和15)年10月に函館-根室間を走る急行(釧路-根室間は普通)として誕生した列車がルーツとなるそうです。

戦争により1943(昭和18)年10月に一旦廃止となりますが、終戦後の1949(昭和24)年9月に函館-釧路間の急行(札幌-釧路間は準急)として復活。翌年10月に全区間急行となって、そのときに「まりも」と名前が付いたそうです。ロが1両、ロハが1両、その他はハという座席車(と荷物車・郵便車)のみの編成でした。

寝台車が連結されるようになったのは1954(昭和29)年10月改正から。札幌-釧路間のみマロネロ38が連結されています。

2年後にはナハネ10が1両連結されるようになるんですが、マロネ29が札幌-釧路間のみに対して、ナハネ10は函館-釧路間。どんなダイヤだったのか、気になるところです。

1961(昭和36)年10月改正でロネ1両、ハネ2両が札幌-釧路間のみの連結となりますが、これが3年ほど続き、一気に寝台車が増えたのが1964(昭和39)年10月改正。

マニ・オユ各1両を最後尾として1号車オロネ10、2号車ナハネフ10、3号車オハネ17と続き、6号車までがオハネ17、そこから座席車となって先頭車両が16号車。16号車!?と思ったんですが、どうやら、函館から来た車両のうち、7号車から12号車の座席車を札幌で切り離し、代わりに1号車から6号車までの寝台車を連結したんだそう。そんな運用があったんですね。増結、切り離しは聞いたことがありますが、入れ替え、は珍しいのではないでしょうか。

そんな運用も1年限り。翌1965(昭和40)年10月改正からは運転区間が札幌-釧路間に縮小され寝台車主体の列車へと変わっています。ロネ1、ハネ6、ロ1、ハ2と、オユ、マニ各1です。

この流れでJR時代まで続くのかと思いきや、1968(昭和43)年10月改正で、急行「まりも」は、急行「狩勝」に統合されて解消となります。

急行「まりも」の名前が復活するのが1981(昭和56)年10月改正。石勝線開業に伴う改正です。特急「おおぞら」の全列車が石勝線経由となり、急行は「狩勝」の一部が石勝線経由となり、区別のために名前を「まりも」としています。急行「まりも」の復活です。

このときの編成は、廃止時と大きな変更は無く、夜行となる「まりも3号、4号」は、ロネ1、ハネ6、ロ1、ハ2、スユ、マニ各1です。編成順に違いがあるくらいですね。「まりも1号、2号」はキハ56で札幌-帯広間のみ運転の昼行列車でした。

翌年11月改正から半年間(1983年7月まで)、興味深い編成での運転でした。それは、寝台車がオロネ10、オハネ12などの10系で、座席車のみが14系(スハフ14×2、オハ14×1)という編成です。

釧路方面行の「まりも3号」は14系座席車が機関車側となるため、機関車からの暖房用蒸気を旧客側へ渡すための引通管が設けられ、500番台となっています。見た目にはドアが折戸から引戸に変わっている方が目につきますけどね。

1983年7月から置換えられたスハネフ14、オハネ14も同様に暖房用蒸気の引通管が設けられたそうですが、座席車が先行して14系化された後のことなので、何と連結させる気だったんでしょう。。オユ10のためだけ?

今回、いろいろと調べる中で知ったのが、北海道向けの500番台は暖房強化のためにスハフ14から給電できる車両の数が本州向け(基本番台)の6両から4両に減っていること。とはいえ、寝台車を含めて8両以上となる編成は無かったと思いますし、給電目的でスハフ14が2両以上入っているケースは無かったのかな、と思います。

スハネフ14の給電は6両のままだったんですかね。そうでないと、「まりも」多客期の9両編成の説明が付かない。。

これによってスハフ14が不足することから、オハフ15にディーゼル発電機を搭載してスハフ14に改造した車両が、550番台を名乗っているそうです。KATOの製品に入っているスハフ14-560もそうですね。

そういえば、寝台車14系化で耐雪・耐寒という話、1986年11月ダイヤ改正の中で、少し触れてましたね。

なんか、歴史の話から逸れちゃいましたが続けます。1985(昭和60)年3月改正で昼行の「まりも1号、2号」が特急「おおぞら」に格上げされて、急行「まりも」は夜行の1往復のみとなります。

同年11月からB寝台を3段から2段とする改造が始まり、翌年7月までに完了しています。その年の11月改正で荷物車のマニ50とスユニ50の連結が終わり、寝台車(ハネ4)と座席車(ハ3)のみに。

JR北海道となった後の大改正、1988(昭和63)年3月の改正で寝台車3両、座席車2両のコンパクトな編成となっています。同年6月からは指定席に使用されていたオハ14が、ドリームカーに置き換わっています。さらにその2か月後の8月からは2両のオハネ14のうち1両がドリームカーに変わりましたので、寝台車としては減車ですね。

1991(平成3)年3月に、編成は同じながら寝台車が釧路側となる方向転換。

2年後の1993(平成5)年3月改正で、スハネフ14とオハネ14の2両の寝台車を組み込んだキハ183系の特急「おおぞら」に統合されて、再度「まりも」の名前が消えることになります。

再び「まりも」の名前が登場するのが2001(平成13)年7月のこと。「おおぞら」がキハ283系で統一されるためキハ183系+14系寝台車で運転を続ける列車に別名を付けた、というのが理由のようです。

2007(平成19)年10月には寝台車がスハネフ14の1両のみになった上で臨時列車に格下げ。

1年持たず、2008(平成28)年8月の運転を最後に特急「まりも」が姿を消しました。

KATO 10-1953 14系 500番台 寝台急行 「まりも / 大雪 / 利尻」

というわけで、予約して購入したのが、これ。

寝台車2両とドリームカー2両、(通常の)座席車3両からなる7両セットです。

車両は、1号車から
スハネフ14-506
オハネ14-501
オハ14-507(ドリームカー)
オハ14-510(ドリームカー)
オハ14-517
オハ14-518
スハフ14-560
の7両です。

面白いのが、この7両(だけ)で運用された列車が無い(と思われる)ことです。ドリームカーは「まりも」だけなので「まりも」の話となりますが、寝台車2両にドリームカー2両と通常のオハ14が2両、それにスハフ14とで通常期の編成としての実績はありません。

このセットに、足したり引いたりして「まりも」「大雪」「利尻」として楽しむための製品になります。

これについては、後ほど。

まずは、素の状態で、レールに乗せてみました。

輝度が高めなのかトレインマークが白飛びしそうな勢いですが、右が1号車のスハネフ14、左が7号車となるスハフ14です。いずれも標準ではアーノルドカプラーです。反対側(中間車両側の全部)は、KATOカプラー密自連形です。

ちょっとカメラの設定を触って、トレインマークを撮影。

きれいに出ました。

ドリームカーのオハ14-507。ボディを外したわけではありませんが、窓から覗くだけでも、シートピッチが通常のオハ14よりも広いことがわかります。

付属パーツはこの通り。

左から、ジャンパ栓付きカプラー取付台(スハネフ14用)、同じくスハフ14用、KATOナックルカプラー2個、DD51用のヘッドマーク「まりも」「大雪」「利尻」、ドライバー、青いランナーのジャンパ栓、DD51用のナンバープレート、です。

ナンバープレートは国鉄色DD51のための白色背景のものだそうですが、当面は未使用になりそうです。

それと、シールが2種類。

まずは、行先表示シール。もちろん、「まりも」「大雪」「利尻」の各終着駅の名前が用意されています。

号車サボに「増」があるのは、北海道らしいですよね。

それと、エンブレム。これって「MARIMO」の字が入ってますし、「まりも」での運用車両限定ですよね。この先「大雪」「利尻」としても楽しみたいので、ちょっと保留です。

続いては、こちら。

車番のレタリングシートです。

写真の通り、「スハネフ14-506」を「スハネフ14-502」に、「オハネ14-501」を「オハネ14-504」に、「スハフ14-560」を「スハフ14-502」に、置き換えるためのレタリングシートです。

面白いのが、TOMIXの車番と違って、既に印刷済みの車番に重ねて貼るよう、ブルーのバックがついていること。

でも、これらの車番に、そんなにこだわりがあるんでしたっけ。。2セット購入したら、やってみたいですね。予定は無いですけど。

カプラーの交換

まずは、アーノルドカプラーを付属のナックルカプラーに取り替えます。その際に、取付台をジャンパ栓付きに交換します。

左がスハネフ14用、右がスハフ14用。ジャンパ栓の形状が違うので区別はつきやすいですね。

まずは、スハネフ14から。

最初に、この、ぶら下がっているU字部分を切り落としてしまいます。

これは、なんだ?という方は、こちらをどうぞ。

スハネフ14を裏返して、カプラー取付台を取り外します。ボディを外したり、台車を取り外したりする必要はありません。床下部と取付台の隙間にマイナスドライバーを突っ込めば、簡単に外れます。

裏返したついでに。

床下の薄いグレーのパーツ(発電機部分でしょうか)に、スリットが見えますが、スライドスイッチはありません。これ、スハネフ14が中間に入る(かつ、分割・併合する)セットでは、「テールライト消灯スイッチ」がある場所です。

写真の通り、スハネフ14にも、写真には無いですがスハフ14にも、消灯スイッチはありません。テールライトが点灯しないわけではなく、点灯に固定ということです。該当3列車とも、中間に入ることは無いですからね。

それにしても、添付の説明書からは消灯スイッチが無いこと(というか、消灯スイッチに触れられていない)が判るのですが、公式のサイトでは、

・スハネフ14、スハフ14はテールライト点灯(消灯スイッチ付)

となっているのが気になるところ。

スハネフ14の後ろにマニ50やオユ10、スユニ50などをぶら下げたい方は、ご注意ください。もちろん、JR時代には荷物車・郵便車は廃止されてますので。。

取付台の内側に出ている突起を、内側に倒すようにしながら下に押し出すとカプラー押さえが外れます。写真ではわかりづらいですが、カプラー押さえに板バネとカプラーが乗っかっている状態です。

板バネを残したまま、カプラーをナックルカプラーへと取り換えるんですが、板バネが外れやすいのでご注意を。もっとも、外れても簡単に取り付けられます。。と言いたいところですが、簡単に外れるくせに、取り付けにはちょっと苦労します。

板バネの両脇に、板バネが入るだけのスリットが開いていますので、両側ともに差し込みます。このとき、カプラー押さえの2本の突起よりも外側に板バネが来ますので間違えないように。何となく、3本の突起の間を通すように思えますが、外側です。

ここまで組むと、外れる心配もありませんので、安心して床下に取り付けてください。

ジャンパ栓の取り付け

ジャンパ栓といっても、カプラー横にあるジャンパ栓ではなく、スハフ14のボディから出ているジャンパ栓です。

スハフ14の向かって左側、テールライトの右と左に、ジャンパ栓取り付け用の穴が開いてます。

説明書にも記載がある通り、

ジャンパ栓はお好みで選択して取り付けてください。

ということです。写真右にあるパーツですね。左側が栓のみ、右がホース付きです。この2本は同じように見えますが、写真上側の方が若干長く、テールライトよりも内側への取り付け用、下側のが短いのでテールライトよりも外側への取り付け用です。

さて、どれを選ぶ? というところですが、ネット上で当時の写真を見てみると、ほぼ、外側が栓のみ、内側がホース付き、です。

同じスハフ14でも、「はなます」は、なぜか両側ともホース付きなんですね。14系完結と、24系混在の差?なのかよく判ってません。。

というわけで、当時の写真によくある通り、外側に、これを付けます。

カッティングシートのマス目が1cmなので、いかに小さいかが判りますね。

ちなみに、本体は右上の円柱状になった部分だけ。左側はボディに押し込まれる部分で、下側の羽根は、取り付け時に便利なようにするための持ち手です。取り付け後にもぎ取ります。

もぎ取り前
もぎ取り後

内側に取り付けるジャンパ栓のホース部は、黒色で塗っておきます。

油性ペンが簡単で便利です。

ほどほどに乾いてから(塗ってすぐに触ると手に付きます…)、ランナーから切り取って、取り付けます。

いい感じじゃないでしょうか。

光の加減なのか、ちょっとボディよりも明るすぎる感じがします。光っているわけではありません。

ヘッドマークの取り付け

今回使用する機関車は、2015年に「トワイライトエクスプレス」のために購入した 7008-2「DD51 後期 耐寒形 北斗星」。なので、ヘッドマーク取り付け用のステーが無いタイプです。

「北斗星」用に昨年購入したTOMIXの 2251「JR DD51-1000形ディーゼル機関車(JR北海道色)」にはステーがあるものの、そもそもKATOとTOMIXの違いがあるので取り付けられるようにも思えません。

走りが若干悪くなった2015年製の 7008-2 を使用するのは、ナックルカプラーということと、ヘッドマークが大きいのでステーの有無は気にならない、という理由です。

というわけで、両面テープで取り付け。

やっぱり、デカいですね。存在感があります。

肝心の編成は?

後回しにしていた、編成の話です。

セットに含まれるドリームカーを使用するためには…、というか、これまでさんざん「まりも」の話をしているので、「まりも」一択なんですが、どの時代の編成になるか、ということです。

JR移行時点では、「まりも」の寝台車はスハネフ14×1、オハネ14×3の4両。これは、このセットだけでは無理です。寝台特急「さくら」のオハネ14を挟むことは出来なくは無いですが(模型なので)、500番台特有の引戸ではないので、やりたくはないですよね。

1988年3月のダイヤ改正で5両にまで減車したのに、寝台車がスハネフ14×1、オハネ14×2の3両。これも無理です。

で、どうなるかというと、同年8月にオハネ14をドリームカーに置き換えて以降の編成しかない、と。

つまりはこれです。

急行「まりも」

1988(昭和63)年8月~1991(平成3)年3月

←412ㇾ 札幌

411ㇾ 釧路→

12345
◀スハネフ14
-506
オハネ14
-501
オハ14
-507
オハ14
-510
スハフ14▶
-560
B寝台B寝台ドリームカードリームカー自由席
◀/▶は車掌室の向き
1991(平成3)年3月以降は、編成が逆向き

なんだかなぁ、ですね。7両セットなのに、5両しか使えない。。

まぁ、未使用の車両は「大雪」「利尻」でのお楽しみ、ということで。

車両の準備が整ったところで、走らせてみます。

走行の様子

まずは、駅からの発車と通過のシーン。

やっぱり、機関車込みでも6両というのはコンパクトですね。

北斗星カラーのDD51が、赤いDD51にはない統一感を生み出しているように感じます。

続いては、カーブでの走行の様子。

重連のDD51が率いる長大編成の「北斗星」もいいですが、これはこれで味があっていいですね。

小さなレイアウトなら、これくらいが適正なのかも。

続いては、写真をいくつか。

大きなヘッドマークが印象的です。このヘッドマークは今回購入した製品の付属品ですが、機関車本体は9年前に購入したものです。一時、走行が安定しないように見えていたんですが、今回走らせて、大きな問題は無さそうに見えました。

1号車のスハネフ14です。機関車の次位ですから、札幌行の上りですね。もしくは、1991年3月以降の下り釧路行となります。

妻面から出ているジャンパ栓のホースは、もうちょっとクネっと曲がっている方がリアルですかね。まっすぐ伸びていると棒みたいに見えます。

客車5両だと編成全体が見渡せます。

ドリームカー。いつものことながら、座席車には室内灯を入れてあげたいですね。

追っかけ撮影

最後に、久々、1年以上開けての車載カメラでの撮影です。

というのも、自作大半径カーブを作成してからというもの、カントが強すぎるのか、重心が高いカメラが確実にカーブ内側に転倒してたんですね。で、カント量を下げたんですが、それでも改善せず、走らせることを諦めていたんです。

ところが、久しぶりにダメもとで試してみると、同じカント量のはずのカーブ外側線なら、なぜか転倒せずに走り切ることがわかったんです。これまで転倒していたのがどちらかは憶えてないんですが、ともかく、撮影してみました。

最初は、「まりも」編成の最後尾に、カメラを載せたコキ107を連結させて、後ろ姿。次に、そのコキ107をDD51の前につなげての撮影。

次いで、複線の反対側から撮影したいと考えたものの、さっきの理由からカメラ撮影は無理なので、「まりも」編成の線路を反対側へと移して、全体の撮影。まずは、先行する列車から後方撮影、最後に、列車後方からの前方撮影です。

久しぶりに、面白いカットの動画が撮れたと思います。

カラカラという嫌な音は、恐らく、コキ107が脱輪していたんだと思います。。

というわけで、14系500番台の急行「まりも」を楽しんだお話でした。

この車両を使っては、まだ「大雪」や「利尻」としての走りも楽しめそうですし、また、改めて記事にしたいと思います。

最後に、急行「まりも」のこの編成が走っていた頃の時刻表を「時刻表 1988年3月号」から引用して掲載しておきたいと思います。

【参考】急行「まりも」時刻表

【下り】

411 急行「まりも」
札幌2300
千歳空港2338
2338
追分2356
2358
新得222
226
帯広311
335
池田400
410
浦幌440
音別523
白糠542
釧路610

【上り】

412 急行「まりも」
釧路2228
白糠2310
音別2329
浦幌008
池田040
045
帯広111
120
新得212
248
追分539
545
千歳空港604
605
札幌652