マイクロエース A7262 ワサフ8802 と寝台特急「北星」

久々のマイクロエース製車両の購入です。
しかも、相当にマニアックなワサフ8000(8800)形、ブルーの8802です。
これまでに購入したほとんどの車両が、実際に乗車したり、地元の沿線を走っていたり、子供の頃の記憶が強く残っている車両なんですが、これは記憶になければ乗車経験も無い(って貨車なんで当たり前なんですが…)、極めて珍しいパターンでの購入です。
なぜ買ったのかと聞かれれば、もう、「ネタにしたい」というだけの理由です。潔いですが、それ以外の感情はありません(笑)
寝台特急「北星」
強いて理由を挙げれば、というか、付ければ、寝台特急「北星」が好きだったから、ということになるかもしれないですね。
記憶には、既に14系14形での運転となっていた晩年の姿しかないんですが、上野駅と盛岡駅を東北本線経由で走ってたブルートレインです。14系が好きだったんですね。
2年前の夏に14系「ゆうづる」の話を書きましたが、そこでも少し触れていた通り、1978(昭和53)年10月改正で20系客車から14系客車に置き換えられた「北星」。分割・併合するわけでもないのに、「ゆうづる9・8号」「北星」「北陸」の3往復が尾久客車区所属の14系となりました。
それまで「あかつき」「明星」と「日本海」!?の運用を担っていた九州・早岐客貨車区の14系14形が、「あかつき」の14系15形に一本化されるのに伴い、「北星」「北陸」の20系車両を置換えるために配置転換されたのが、この改正です。
新製なら24系24形あたりが充当されたんでしょうが、配置転換ですからね。分割併合のない列車でしたが、これが最適解だった、ということでしょう。
と、先に14系時代の話を書いてしまいましたが、「北星」の前身は、今から62年前の1963(昭和38)年10月から走り始めた急行「北星」にまで遡ります。
当時、夜行急行と言えば寝台車と座席車の両方を備えた列車が多かったと思いますが、「北星」は、荷物車マニを除いては全車寝台車だったようです。
一時期、座席車を連結したときもあったようですが、1965(昭和40)年10月改正以降は寝台車が全車上野-盛岡間+荷物車が上野-仙台間というスタイルで推移しています。
使用車両が変わったり(スハネ30→スハネ16)、両数が増えたりといった小さな変更を重ねつつも旧客寝台車の時代が続いていたのですが、大きな転換点となったのが1975(昭和50)年3月改正。
夜行急行から、20系を使用した寝台特急へと格上げされました。
もっとも、その時代が長く続いたわけではなく、先述の通り、1978(昭和53)年10月改正で14系14形車両に置き換わり、その4年後の1982(昭和57)年11月改正で廃止となっています。同年6月に「北星」の走行区間とほぼ同じ大宮-盛岡で先行開業した東北新幹線。11月に上越新幹線が開業するタイミングで実施された、大規模なダイヤ改正に伴い廃止されたわけですが、盛岡発着が災いしましたね。青森発着の「ゆうづる」は列車を減らしたものの存続でしたし、同時期に20系→14系化された「北陸」も上越新幹線の影響は受けずに存続しています。
「北星」とワサフ8000
そんな歴史を待つ「北星」ですが、1965(昭和40)年10月改正から一貫していたのが上野-仙台(一時期は下りのみ上野-長町)に、荷物車が連結されていたこと。終点の盛岡ではなく、仙台なんですね。
下り列車が未明に停車する仙台地区への新聞輸送を担っていたそうです。
旧客の急行「北星」時代は荷物車マニで新聞輸送していたそうですが、寝台特急に格上げとなってからもその必要性が変わらなかったため、20系列車でありながら本格的な新聞輸送を行うこととなりました。
そのために寝台特急「北星」に連結されたのがワサフ8000です。
ワサフ8000は、その名の通り貨物車に分類されますが、ワキ8000形に車掌室が付いたもの、という考えで良いかと思います。で、そのワキ8000はというと、基本的な設計は荷物車のスニ40形と同じ。
というか、スニ40の方が、見るからに貨車っぽいですよね。
簡単に言ってしまえば、機関車と客車の間に連結されても蒸気暖房の引き通しが出来るものが荷物車、そうでないものが貨車なのかな、と(ちょっと強引すぎますかね。貨物列車用のブレーキに対応したのが貨車、の方が正しいでしょうか)。
どちらにしても、スニ40とワキ8000は、パッと見には同じように見えます。
が、それらに車掌室の付いたタイプは、印象が違うんですよね。
スニ40に車掌室が付いたスニ41は、妻面が真っすぐストンと落ちています。窓こそついてますが、最後尾になっても、あまり華が無いかな、という印象です。

それに対して、ワキ8000に車掌室が付いたワサフ8000は、デッキのある独特のスタイルで、コンテナ車のコキフ10000を思い起こさせる姿をしています(よく見ると全然違うんですが…)。
A7262 ワサフ8802
その姿とは…。

スニ41と印象が全く違うのには、車掌室の姿以上に、側面ドアの色が影響していると思います。
ワサフ8000形の中でも、20系客車と併結することを前提に新製されたのが、ワサフ8800~8802の3両。ブレーキ系統の違いが他のワサフ8000と異なることから、まさに「北星」のために造られた車両です。
20系車両との併結に特化しているため、側面の引戸も全て、20系の青15号に塗られていることから、それまでのワサフ8000との印象も大きく異なります。
そう。ここまででお気づきの通り、この車両、20系「北星」としか、セットで走らせられないんです。
しかも、1975(昭和50)年3月の20系化から、わずか8ヶ月後の11月には、ワサフ8800の併結が終了しています。新聞輸送が長距離トラック等に置き換わったから、なんですね。
「北星」からの運用を外れた後は他のワサフ8000と同じように使用されたらしいのですが、塗装は青15号一色ではなくなっていた(らしい)ので、この車両、列車限定の上に、運用されていた期間も短く、まさに、ネタ車両です。。
さて、その模型車両。
マイクロエースの車両購入は久しぶりなのですが、KATO、TOMIXには無いギミックがあって面白いですね。
その代表格が側面ドアの開閉でしょうね。
実際に、スライドさせて開けることが出来ます。
背景が暗いので、開いた様子が分かりにくいので、もう1枚。

後ろに20系車両を配置してみました。
もっとも、作り込んだレイアウトの駅に停車させて楽しむならアリですが、お座敷レイアウトは、基本的には走らせて楽しむので、側面ドアを開ける機会は少なそうですけどね。
もう一つ、面白いと思ったのが、

車掌室と反対側のテールライトも点灯式ということです。
このように、両側ともに、それぞれ、ON/OFFスイッチが設けられています。

とはいえ、実際のところ、この面を最後尾にして走らせることはまずないと思いますし、このために(…だけではないですが)、1両6,600円と、動力車並み、機関車に迫る価格になっているのが悩ましいところです。
寝台特急「北星」の編成
まずは、20系時代の編成です。
1975(昭和50)年3月~1975(昭和50)年11月
←32ㇾ 上野
31ㇾ 盛岡→
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | ||
ワサフ8800 | ◀カニ21 | ナロネ21 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネフ23▶ | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネフ22▶ |
荷物車 | 電源車 | A寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 |
◀/▶ は、車掌室の向き
ワサフ8800を除いた20系部分は、14系化される1978(昭和53)年10月まで、このままの編成で走っていたそうです。
なお、牽引機関車は、上野-黒磯間がEF58、黒磯以北がED75-1000でした。
ワサフ8800ですが、下りは長町で切り離されますので、編成の最後尾に位置していました。カニ21が掲げる「北星」のバックサインは、長町以北でしか見られなかった、ということですね。
上りは仙台でED75とカニ21の間にワサフ8800を挟み込む作業が毎夜行われていた、ということになります。
20系時代の時刻表が手元にないので定かでは無いですが、急行時代(1972年3月改正ダイヤ)の上り「北星」は、仙台駅に0:01に到着し、0:18に発車という17分の停車時間があって、荷物車の連結を行っていたようですから、同じような感じだったのかと思います。
カプラー交換
その上り「北星」。機関車の次位に連結され、後部にはカニ21が続きます。
EF58による牽引で、上野駅に向かう姿が再現できれば、と考えた時に、保有しているEF58はKATO製なのでナックルカプラーですし、20系車両(カニ21)もKATO製のKATOカプラーNですから、ワサフ8800も両側をKATOカプラーNもしくはナックルカプラーにしたいところですが、ネット上の情報では、マイクロエースのアーノルドカプラー用カプラー受けとKATOのカプラーのサイズが違うため、簡単には交換できない、という話を目にします。
反面、TOMIXのカプラーとは相性がよさげな感じです。

実際、台車を外してカプラーの周りを見てみると、TOMIXのものとよく似ています。
カプラーを取り外してみます。

上が、ワサフ8800から外したカプラー。下がTOMIXの車両から外したカプラーです。
同じものといってもいいくらいに似ています。
なので、まずは、TOMIXのアーノルドカプラーからの付け替え用のTNカプラーを試してみたいと思います。

サイズ的には、すんなり入りました。カプラーを押さえるスプリングの扱いにちょっと手こずりましたが、何とかなりました。
が、問題はここからでした。
床下ユニットから台車を外すのは簡単だったんですが、カプラーを交換した後、取り付けようとすると、ネジが空回りするんです。床下ユニットに食い込む様子が全く見られません。
これは、どう考えてもボディを外さないと修復は無理そうなので、恐る恐るボディを外します。

床下ユニットに、ボディ部からの突起が突き出ているので、それを内側に押さえつつ、分離すると、比較的簡単に外すことが出来ました。が、その途中で間違いなく側面ドアが落ちますので、焦らないように。。かなり動揺しました(笑)
動揺のあまり、肝心の写真を撮り損ねていたんですが、

底部を上にして台車を外したので、写真右に見えるテールライトのユニットが、浮いた状態になっていたんですね。台車を固定するネジは、このライトユニットとを締める構造になっているので、そこに達しておらず、空回りしていたようです。
なので、位置を戻してネジを占めると、台車を取り付けることが出来ました。
写真は台車を取り付けて安心してから撮った写真です。
側面ドアを開けた時に床にウェイトが見えないように、迂回しているのが面白いですよね。

というわけで、TNカプラー化したワサフ8800の完成です。反対側も同様に付け替えました。
が、もちろん、それだけではKATOのナックルカプラー、KATOカプラーNとは相容れないのでKATOカプラー側に加工をしたいところなんですが、実は、今日は時間がなくて、ここまで、です。
写真撮影
いつものレールを敷く時間すら取れなかったので、この場で写真を何枚か撮りました。

まずは、EF58との連結部。
TOMIXのTNカプラーとKATOのナックルカプラーは、うまく咬み合わせれば意外と相性がいいです。
直線レール上だと、開放せずに牽引できました。数cmでの確認ですけど。

こちらは、カニ21とワサフ8800。上から見ると、TNカプラーの突起(右手のげんこつで示すと親指のところ)がKATOカプラーNの上に乗っかっているだけですので心もとないのですが、こちらも直線だと開放せずに数cm移動できました。
そんなわけで、上り寝台特急「北星」の上野駅到着シーンです。


今回は走らせることが出来ませんでしたが、近いうちに走らせてみたいと思います。
あー、でもその前に、ナハネフ22のバックサインを「北星」に変えないと、ですね。
いや、その前に、ワサフ8800に、TNカプラーじゃなくてKATOカプラーNを付けることが出来ないか、の確認が先ですかね。
いろいろと宿題が残りましたが、近いうちに(なかなか時間が取れないんですが)、頑張ってみたいと思います。