20系+12系 急行「かいもん」(前編)

20系と鉄道模型

これまで、いくつもの列車編成を走らせて楽しんでいましたが、実は保有している20系車両は、全てユーズド(いわゆる中古品)なんですね。

なぜ、新品での購入をしないのか。

過去に何度か書いていますが、20系のみで編成された寝台特急は1980(昭和55)年10月改正で24系になった「あけぼの」が最後。

なので、私が鉄道に興味を持ち始めた子供の頃ですら、既に寝台特急としては現役を退いていたんです。

急行列車では、1985(昭和60)年3月改正まで「銀河」として使用されていました。「銀河」は全車20系の寝台急行でしたが、一部20系の列車を含むと、1986(昭和61)年11月改正まで走っていました。

この改正で、20系寝台車+20系座席車の急行「だいせん」と、20系寝台車+12系座席車の急行「ちくま」が共に14系寝台車+12系座席車に、20系寝台車+12系座席車の「かいもん」「日南」が24系25形寝台車+12系座席車に置き換わっています。

これらの急行列車が一斉に置き換わったことで、20系車両として定期運用する列車が消滅しています。臨時列車・企画列車としてJR移管後も走行していましたが、定期列車としては国鉄時代に終わっていたんですね。

そんなわけで、私自身にとって20系というと、走るホテルと言われていた時代では無く、格下げで急行に使用されていた晩年の姿の方が馴染みがあるんです。

とはいえ、製品化されるのは、やはり花形というのか、寝台特急「あさかぜ」や「さくら」など、私自身が「懐かしさを感じない」時代のものが多く、手にしていなかった、ということです。

20系+12系の急行「ちくま」は、KATOから2006年に発売されたようです。TOMIXからの製品化は無かったでしょうか。(鉄道模型の趣味を再開した2021年以前の情報は、不確かですが)

なので、ユーズドの車両を購入して、12系と併結させて楽しんでいたわけです。

そんな長い時を経て2024年末にKATOから販売されたのが、こちら。

客車編成セット 急行「さんべ」と、同じく客車編成セット 急行「かいもん・日南」です。

「客車編成セット」って、2021年5月に販売された、客車編成セット 寝台急行「きたぐに」以来じゃないですかね。

このページにもありますが、

「客車編成セット」とは?


新しい試みとして、特定の編成ではない通常の車両製品(今回では12系)を核に、特定の編成の再現など遊びを拡張できる車両をラインナップとしたセットです。核となる車両製品にお好みで「客車編成セット」を加えることで、様々な列車をお楽しみいただけます。今後の展開にもご期待ください。

ということです。

それにしても、気になっていたのが最後のフレーズ。「今後の展開にもご期待ください。」

待ってました。4年近い年を経たものの、一気に2種類ですからね。

嬉しい反面、悩みも。どちらを買おうか、と。いや、結局、両方買っちゃうんですけどね(笑)

というわけで、今回は、20系+12系の急行「かいもん」を走らせてみたいと思います。

急行「かいもん」

「かいもん」は、九州の門司港と西鹿児島との間を結んでいた急行列車です(時期により他区間の列車あり)。

その終着駅からさらに南の、薩摩半島南端近くにあるのが開聞かいもん岳。これが列車名の由来です。

指宿枕崎線 西大山駅から開聞岳を眺める 2004年10月撮影

「かいもん」の名の付く列車は、1959(昭和34)年9月の改正で、博多-西鹿児島を走る気動車準急列車として登場したのが最初のようです。

翌年には2往復化され、うち1往復は、指宿枕崎線の山川駅まで直通したそうです。今でも鹿児島本線直通(鹿児島駅発着)はありますが、博多からの直通は、久しく聞かないのでインパクトがありますよね。

1965(昭和40)年10月、それまで急行「さつま」として名古屋-鹿児島間を走っていた列車が、名古屋-博多間を電車急行「はやとも」、門司港-鹿児島間を客車急行「はやと」として系統分離され、夜行急行「かいもん」の前身となる列車が誕生しています。

1966(昭和41)年3月、準急「かいもん」は急行「かいもん」に。グレードが上がったわけでは無く、制度の変更ですね。

翌年、山川直通の方が特急「有明」に格上げ。もちろん、指宿枕崎線乗り入れは無くなっています。

が、1968(昭和43)年10月のヨンサントオ改正で、山川直通が復活してますね。それと同時に急行「はやと」が愛称統合で「かいもん」になり、また不定期の上りが追加されて、「かいもん」は2.5往復となっています。

夜行「かいもん(下り2号、上り3号)」は、ほぼ「はやて」の編成のままで、旧客編成にオハネ12を2両連ねていたそうです。

2年後の1970(昭和45)年10月改正で、毎日運転の1往復がサハシ455を含む475系の電車化されました。上りのみの列車は上下運転になるものの季節列車となっています。下りは博多発西鹿児島行、上りは指宿発博多行と、片道ですが指宿枕崎線直通は維持しています。夜行の方は、特に変化はありません。

1972(昭和47)年3月改正では、夜行の「かいもん3号」がハネを3両に増やしています。

この改正で、昼行に大きな変化が。大分発西鹿児島行の登場です。片道ですが、大分から小倉を経由して西鹿児島まで直通するという運転です。急行「フェニックス」の電車版のような感じでしょうか。

翌年10月改正では、夜行の方は変化が無いものの、昼行には変化がありました。大分発が往復となり、西鹿児島発大分行が登場しています。博多-西鹿児島間の電車が1往復増え、さらに気動車編成も0.5往復増えて、合計4.5往復となっています。

1975(昭和50)年3月改正では気動車編成が廃止となり、異色の大分-小倉-西鹿児島運転も無くなり、昼行は熊本-西鹿児島の0.5往復、博多-西鹿児島の2.5往復、夜行が門司港-西鹿児島の1往復となっています。気動車編成が無くなることで、当然ながらとなりますが、指宿枕崎線直通が無くなっています。

また、このとき、客車からオロ11がなくなり、B寝台と普通車のみの編成となりました。

それに合わせて、西鹿児島方から、郵便・荷物・グリーン・B寝台(3両)・普通車(4両)の編成順が、郵便・荷物・普通車(5両)・B寝台(3両)の順となっているのが、20系+12系編成移行の布石のように見えます。

1978(昭和53)年10月改正で、いよいよ客車編成が、20系+12系へと置き換わりました。編成は、KATOのサイト、客車編成セット 急行「かいもん・日南」のページに記載のある通りです。

急行「かいもん」

1978(昭和53)年10月~1980(昭和55)年9月「かいもん5・6号」
1980(昭和55)年10月~1984(昭和59)年1月「かいもん」

←101ㇾ 西鹿児島

102ㇾ 門司港→

1234567
オユ14マニ50◀スハフ12オハ12オハ12オハフ13▶スハフ12▶ナハネ20ナハネフ22▶
郵便荷物自由席自由席自由席自由席指定席B寝台B寝台
◀/▶は車掌室の向き
5号車の車掌室の向きが逆になることも

2年後の1980(昭和55)年10月改正で昼行の電車2往復は特急「有明」に格上げとなり、急行「かいもん」は夜行の1往復だけとなりました。編成に変更はありませんが、この頃が、製品化された時代となります。

鉄道による郵便輸送の廃止を受けて、1984(昭和59)年2月改正で、オユ14の連結がなくなり、このような編成になっています。

急行「かいもん」

1984(昭和59)年2月~1985(昭和60)年3月「かいもん」

←101ㇾ 西鹿児島

102ㇾ 門司港→

123456
マニ50オハ12◀スハフ12オハ12オハフ13▶スハフ12▶ナハネ20ナハネフ22▶
荷物自由席自由席自由席自由席指定席B寝台B寝台
◀/▶は車掌室の向き
3号車は連結しない日もある
4号車の車掌室の向きが逆になることも

スハフ12の先にオハ12?という編成ですが、当時の「大時刻表」を見てもこの通り。

弘済出版社発行 大時刻表1984年4月号 より引用

門司港側が左なので左右反転ですが、大時刻表の編成表の特徴である車掌室の位置がはっきりと記載されています。座席車の1号車、3号車、4号車には車掌室の窓がありますが、増号車には窓は無し。オハ12ってことですね。

なぜ増号車なのかは、後程。

翌年1985(昭和60)年3月改正で編成順が変わっています。

急行「かいもん」

1985(昭和60)年3月~1986(昭和61)年10月「かいもん」

←101ㇾ 西鹿児島

102ㇾ 門司港→

123456
マニ50オハフ13▶◀スハフ12オハ12オハ12◀スハフ12ナハネ20ナハネフ22▶
荷物自由席自由席自由席自由席指定席B寝台B寝台
◀/▶は車掌室の向き

国鉄最後の大改正、1986(昭和61)年10月の改正で、寝台車が24系25形に置き換わります。

JR九州に移管され、平成になっても走り続けましたが、1993(平成5)年3月の改正で、特急「ドリームつばめ」に格上げされる形で急行「かいもん」は廃止となりました。

結局のところ、20系+12系の編成は8年ほどでしたが、その間に2回も編成の変更がありましたので、模型的にはいろいろ楽しめそうな感じはしますね。

KATO 10-1915 客車編成セット 急行「かいもん・日南」(5両)

左から、10-1915 客車編成セット 急行「かいもん・日南」(5両)、10-1550 12系急行形客車 国鉄仕様 6両セット、3014-4 ED76 0 後期形 です。

まずは、客車編成セットから。

ケースの上から、

スユニ50-2001
オユ14-205
マニ50-2197
ナハネ20-1135
ナハネフ22-1009

の5両です。これと12系車両とを併せて、急行「かいもん」や「日南」を楽しむ、ということですね。

なんとなく、「かいもん」と「日南」は共通運用(同じ編成)だったんじゃないかと思っていたんですが、同じなのは基本編成部分だけ、のようですね。

資料のある1985(昭和60)年3月改正時点を例に取ると、「日南」の編成は、上に書いた「かいもん」の編成からオハフ13を減らしたもの。

1号車から6号車の共通編成は、鹿児島運転所のある西鹿児島を「かいもん」として出発し、翌日門司港発の「日南」として日豊本線を南下、その翌日に「日南」として門司港へ向かい、翌日「かいもん」として鹿児島へと戻る、4泊5日の「鹿1」という運用だったようです。

で、オハフ13は、西鹿児島から「かいもん」として出発し、翌日「かいもん」として西鹿児島に戻る、2泊3日の「鹿付1」という運用。

オハフ13を1号車としてしまうと、門司港駅で2号車から7号車の号車札を付け替えるか、「日南」は1号車が欠車、という運用になるため、スハフ12から1号車として号車番号を振り、オハフ13を増号車とした、というわけですね。合理的です。

話が逸れましたが、セット当時は基本編成はともかく、荷物・郵便の需要の違いからか「かいもん」はマニ50とオユ14とで、荷物車・郵便車がそれぞれ1両ずつ。「日南」は合造車となるスユニ50が1両だったそうです。

つまりは、5両セットのこの商品、10-1953 14系 500番台 寝台急行 「まりも / 大雪 / 利尻」のセットと同様、全部の車両を使う列車は無かった、ということですね。

「日南」編は、また、いずれ、ですね。

ナハネフ22

おでこの白線がありません。

これは、九州独自というわけではなく、晩年の20系車両に共通する変更だったようです。

とはいえ、違和感は無いです。

https://try-widely.com/limited-exp-izumo-ef65-500/ から再掲

14系以降、上部にラインは入りませんし(24系25形の金帯では復活)、むしろ、すっきりして見えます。

横から見るとこんな感じ。「急行」のサボが印刷されています。

12系からの電力供給を受けられるように変圧器を備えた1000番台の車番が、ホンモノっぽさを出してます。これまでは、普通の20系車両を使用してましたからね。模型ならカプラーさえ合えば何でも連結できますし。。

ナハネ20

直接12系と連結する車両となります。20系の2両は、ナハネフ22の車掌室側を除いて、全てKATOカプラーN JP Bです。

マニ50の KATOカプラーN JP A と20系の KATOカプラーN JP B って、何が違うの? と気になりますが、連結面での性能は、KATOカプラーN として同じようです。が、A の方はアーノルドカプラー取付車への置き換えに使用できるのに対して、Bの方は、Bタイプの補修用(ジャンパの無いBタイプからの交換用)、という位置付けなのかな、と思います。

マニ50

そのマニ50の、12系と連結する側となるKATOカプラーN JP Aです。

マニ50-2000は、単品でも購入しているので、同じものかぁと思ったんですが、セットに入っているこの車両は、オユ14との連結側がKATOカプラー伸縮密自連形なんですね。

後で紹介するオユ14の方は、当然ながらマニ50との連結側が密自連形なので、オユ14とマニ50をセットで運転するならば、何ら問題は無いんですが、郵便車連結廃止後の姿で走らせたいときには、ちょっと困ったことになります。

密自連形カプラーに機関車を連結させることが出来ないですからね。

なので、説明書にも

マニ50と牽引機を連結する場合、別売のAssy #51400<マニ50台車(アーノルド)>、もしくは#5140-7D<マニ50台車TR50(NJPA)>に交換して対応

と記載されています。

ならば、機関車と連結しない、上り列車として運転したらよいのでは?と思いたいところですが、これも問題があって、テールライトが点灯するのが12系車両連結側、なんですね。

マニ50の向きが逆なら、一挙に解決するんですが。。

オユ14

オユ14は、単品でも持っていなかったので、初の所有になります。

郵便車らしい側面ですよね。じゃないですよ。天井付近の窓の配置です。

この車両は、ナハネフ22と共に、機関車に牽引されることを前提として、アーノルドカプラーで、テールライト付きです。

この反対側、マニ50の連結側は、密自連形です。

こちらのサイドはテールライトが点灯しません。が、マニ50ほど問題にはならないですね。

付属品をチェック

左から、スハフ12用ナックルカプラーセット、ナハネフ22用ナックルカプラー、カプラースプリング×2個、イラスト入りバックサイン「かいもん」「日南」、カプラーアダプター×4、ナックルカプラー(上下に写るパーツで1組)、それとドライバー。写真のもの以外に、シールもあります。

スハフ12用ナックルカプラーセットは、ナハネ20に連結するスハフ12を、車掌室側ではなく、中間連結側で連結させる場合に使用します。これまでの仕様だと標準装備の密自連形カプラーから変更することが出来なかったんですが、この密自連形カプラーを、ナックルカプラーに付け替えることが出来るようになった、ということです。

今回は、車掌室側でナハネ20と連結させますので、このパーツは使用しません。

その他のナックルカプラーには、後程触れます。

シールの一つ目がこれ。

セットに入っている付属品ですが、貼る対象は12系車両です。

「かいもん」の行先、門司港と西鹿児島、「日南」の門司港、西鹿児島が用意されています。愛称サボは、「かいもん」「日南」に加えて「急行」があります。

問題は号車サボ。増号車の表現が出来ないんですよね。ちなみに、12系車両に付属のシールにも「増」はありませんでした。

もう一つのシール、ではなくレタリングシートがこちら。

セットに入っている車両では無く、12系車両を「かいもん」「日南」として使用する場合に、上から貼り付けるためのもの、ですね。

当時、鹿児島運転所で運用されていた車両ですかね。

KATOから製品化されている12系は、大阪の宮原客車区に配属されていた車両ということで「大ミハ」と印刷されていますので、鹿児島運転所の「鹿カコ」と上から貼るような仕様です。

が、ここで思ってしまったんです。

「客車編成セット」って、手持ちの12系車両をベースに、他の車両と組み合わせて楽しむためのものじゃなかったの?と。それぞれの編成に合わせて12系を購入してね、ってことなんですかね。。

私は他でも使いまわしたい、というのと、大阪の人ということもあるので、「かいもん」も「大ミハ」のままで行こうと思ってます。

カプラーの交換

今回は、この編成で走らせます。それぞれのカプラーの状況(購入時)は次の通り。

急行「かいもん」

1980(昭和55)年10月~1984(昭和59)年1月「かいもん」

←101ㇾ 西鹿児島

102ㇾ 門司港→

1234567
オユ14マニ50◀スハフ12オハ12オハ12オハフ13▶スハフ12▶ナハネ20ナハネフ22▶
AN/密自密自/NJPAAN/密自密自/密自密自/密自密自/AN密自/ANNJPB/NJPBNJPB/AN
◀/▶は車掌室の向き
AN:アーノルドカプラー
密自:KATOカプラー伸縮密自連形
NJPA:KATOカプラーN JP A
NJPB:KATOカプラーN JP B
太字は交換用のナックルカプラーが付属品として用意されている箇所

12系車両のカプラーは後で触れます。

そういう意味では、絶対に必要な対応は、編成端にあたるオユ14とナハネフ22の機関車牽引側のカプラー交換ですね。

まずは、オユ14から。

といっても、台車をねじって取り外し、アーノルドカプラーを90度回転させて取り外した後、

ナックルカプラーを取り付けるだけです。カプラー取付時にカプラースプリングがあらぬ方向を向いてしまうこともありますが、ピンセットなどで簡単に位置を補修することが出来ます。

スプリングを外した状態でカプラーを先に取り付けて、後でスプリングを入れる、というのは難しいかな、と思います。

台車を戻せば完成です。

カプラーは引き締まりましたが、ジャンパ栓類の表現が無いので、最後尾として走らせるのは、ちょっと寂しいですね。

次に、ナハネフ22。

写真では境目が見えにくいですが、カプラーセットと床下の間にマイナスドライバーを差し込んで、取り外します。

この、内側にある、上に突き出た両側の突起を内側に倒すように、カプラー押さえを取り外します。

アーノルドカプラーを取り外し、ナハネフ22用のナックルカプラーを取り付けます。写真は取り替えた後のものです。注意しないと、板バネがすぐに外れます。外れた場合は、板バネを取り付けてから、再チャレンジ。板バネはカプラー側に山型に膨らんでいますので、カプラー取付の後に板バネを取り付けるのは難しいと思います。

ちょっと苦戦したのが、カプラー取付台に造形されているジャンパ栓類が、カプラー押さえ取付の邪魔をすること。最初、カプラーが引っかかって板バネを浮かせてしまったのか、板バネが外れる、という事態が二度ほど起きました。

無理やりでも板バネ側を先にカプラー取付台に触れさせ、板バネが外れないようにした方が、取り付けやすかったように思います。

ここまで来れば安心です。床下ユニットに取り付ければ完成です。

客車編成セット側の準備が出来たところですが、記事が長くなりましたので、一旦おしまい。

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