14系500番台 急行「利尻」 最北の地へ

およそ1ヶ月前、KATOの 10-1953 14系 500番台 寝台急行 「まりも / 大雪 / 利尻」を購入して、1988(昭和63)年夏頃の急行「まりも」を走らせた話を書きました。

このセットは、3つの列車名が並んで書かれている通り、「まりも」としても、「大雪」「利尻」としても楽しめるものになっています。

今回は、JR最北の駅、稚内へと向かう急行「利尻」として、走らせてみたいと思います。

急行「利尻」

急行「利尻」の名前は、ご存じの通り、道北を象徴する二つの島のうちの一つ、利尻島から名付けられています。もう一つの礼文島も、旭川と稚内とを結んでいた急行として、名前が使用されていましたよね。

利尻島、礼文島ともに稚内港から航路で、もしくは稚内空港から空路で向かうので、稚内が玄関口。稚内へ向かう列車名にその名前が使われるのも納得です。

その急行「利尻」。1958(昭和33)年10月のダイヤ改正で、札幌-稚内間を走る客車準急として「利尻」の名前を持つ列車が走り始めました。

準急列車でありながらも当時の2等寝台車(現在のA寝台車)と2等車(現在のグリーン車)の合造車 マロネロ38と、3等寝台車(現在のB寝台車)のナハネ11を1両ずつ連結する優等列車のような存在でした。

1966(昭和41)年3月に、料金制度の改変に伴い、急行列車に格上げ。ここで、急行「利尻」誕生となります。それに先駆け、同年2月に、マロネロ38がオロハネ10に置き換わり、スロ52の連結となったようです。

そこからしばらく大きな変動は無いんですが、1968(昭和43)年10月から1970(昭和45)年10月までの2年間は、昼行のディーゼル急行「礼文」を吸収、旭川-稚内間の昼行が「利尻1号」、札幌-稚内間の夜行が「利尻2号」となりました。

昼行の「礼文」を吸収するなら同じく昼行の「宗谷」じゃないの? と思うんですが、当時の「宗谷」は、函館から遠路稚内へと直通する列車。これに旭川発着を統合するのは「ちょっと違う」ということだったんでしょうね。とはいえ、「利尻」との統合も無理があったのか、2年間を経て、再び急行「礼文」として独立しています。

一方「利尻」の方ですが、1980(昭和55)年10月改正で、A寝台・B寝台合造車のオロハネ10の連結がなくなり、寝台車はB寝台のみ(ただし、B寝台は1.5両から3両)に。それでもグリーン車は連結していたんですが、2年後の1982(昭和57)年11月改正で、座席車のみが14系に置き換わっています。

このあたりの話は、

にも書いています。

下り列車は機関車と旧客車両との間に14系座席車が入ることから、暖房用蒸気を旧客側へ渡すため14系500番台が使用されています。

8か月後の1983(昭和58)年7月からは、寝台車も14系に。もちろん、こちらも500番台です。

1986(昭和61)年11月改正以降は荷物車・郵便車の連結がなくなり、ハネ2両+ハ4両に。このスタイルでJR北海道へと引き継がれました。

急行「まりも」同様、1988(昭和63)年3月の改正で、編成がコンパクトに。下り稚内行がハネ2両+ハ3両、上り札幌行はハネ1両+ハ3両という姿になっています。

客車時代はその3年後、1991(平成3)年3月まで。この改正で、キハ400系の中にスハネフ14を挟むという姿に。スハネフ14はディーゼル車両に合わせての塗装に変わっています。私が乗車したのもこの時代です。

1997(平成9)年10月にはキハ183系への置き換えが始まり、2000(平成12)年3月改正で、キハ183系+スハネフ14混結となったことから特急「利尻」へと格上げになっています。急行「まりも」が特急化されてから7年後のことでした。

その後、2006(平成18)年3月改正で定期特急から臨時列車に。利尻島・礼文島の花々が咲き揃う初夏から夏にかけて特急「はなたび利尻」として運転されました。臨時とはいえ、B寝台車を連結していたのは良かったですね。

ただ、その臨時としての運転も2007(平成19)年が最後となっています。

「利尻」そのものの話題では無いですが、面白いのが、1985(昭和60)年3月から1988(昭和63)年11月までの3年半、「利尻」の14系寝台車+14系座席車編成が、札幌-稚内間の急行「宗谷」「天北」と共通運用されていた、ということです。

具体的には、札幌を出た夜行急行「利尻」が稚内で昼行急行「宗谷」として折り返して札幌へ。もう一組の編成は、札幌を出た昼行急行「天北」が稚内で夜行急行「利尻」として札幌へと折り返します。

つまりは、上り「宗谷」と下り「天北」が、スハネフ14+オハネ14を含む編成で運転されていた、ということです。基本的には、自由席として扱われ、急行券だけで「ゴロ寝」が出来ていたようですね。

基本的に、と書いたのは、この置き換えまで「宗谷」「天北」ともにキロ26のグリーン車を連結していましたので、オハネ14の1区画だけ、グリーン指定席として使用されるよう特別仕様となっていました。ひじ掛け(灰皿付き)のあるデラックスなシートです。

急行「利尻」として運転する際は、ひじ掛けを含めた上にマットを敷き、2段寝台(当時、他の区画は全て3段)として使用されていました。グリーン席として車窓を邪魔しないように、の配慮か、上段への梯子も「利尻」としての運用の時だけ取り付けられる取り外し式だったようです。

1985(昭和60)年3月から運用されていたようですが、時刻表1985年3月号にその記載は一切なく、B寝台の2段化改造に合わせてひっそりと消えていったようですね。

ちなみに、「利尻」との共通運用ではない下り「宗谷」と上り「天北」は、14系座席車4両での運転でした。

KATO 10-1953 14系 500番台 寝台急行 「まりも / 大雪 / 利尻」

というわけで、今回は下り稚内行「利尻」として、走らせてみたいと思います。というのも、先に書いたように上りだとハネ1+ハ3の4両となり、コンパクト過ぎるかな、という感じがしますので。。

急行「利尻」

1988(昭和63)年8月~1991(平成3)年3月

311ㇾ 稚内→

12345
◀スハネフ14
-506
オハネ14
-501
オハ14
-517
オハ14
-518
スハフ14▶
-560
B寝台B寝台一部指定席自由席自由席
◀/▶は車掌室の向き
3号車は全車指定席となる日もあり

←412ㇾ 札幌

1234
◀スハネフ14
-506
オハネ14
-501
オハ14
-517
スハフ14▶
-560
B寝台B寝台一部指定席自由席
◀/▶は車掌室の向き
3号車は全車指定席となる日もあり

前回「まりも」で使用したドリームカーは使用しませんが、代わりに使用しなかったオハ14-517/518を使用しますので、セットの全7両を残らず使用することになります。

DD51のヘッドマーク

牽引機関車は、札幌-旭川間が ED76-500番台、旭川-稚内間が DD51 です。

EF76-500番台は購入してませんので、DD51での牽引となります。

原色のDD51は好きな車両ではあるんですが、手元にある原色のは全て暖地のものなので、今回も北斗星カラーで引っ張ります。ですが、今回は、これを用意してみました。

KATOの 7008-FE3「DD51 北斗星ヘッドM/ステー」です。

2015年製の 7008-2 のDD51ですので、当時はこのステーの存在は無かったんですが、あれ?(この年代の車両にも)使えるんじゃない?と思って取り寄せてみました。

セットに含まれるのは、写真左のステーと、右の「北斗星」「カシオペア」のヘッドマーク。真ん中の「大雪」と「利尻」は、14系の車両セットへの付属品です。

ヘッドマークの大きさの違いを分かりやすくすために並べてみました。

ステー、ヘッドマークを切り出します。

ステーとヘッドマーク
ヘッドマークのみを裏返し

てっきり、TOMIXのように、ヘッドマークとステーでDD51のチェーンを挟み込んで落下防止にするのかと思っていたんですが、そうではないようです。

ステーの裏側の写真を撮り忘れていたのが悔やまれますが、ヘッドマーク裏側の突起をステーのくぼみに先に取り付け、それからステー裏側についているL字型のツメをDD51のチェーンに引っ掛けます。なーんだ、って感じがしました。

引っ掛けるだけ、とはいえ、走行時の振動程度では問題なさそうです。

ただ…。ステーの上部がランナーからの切り離し部になるんですが、ここはきれいに仕上げておくべきでした。。

ひとまず、「利尻」牽引機の完成です。

座席車への室内灯装備

後は、スハフ14とスハネフ14のトレインマークをくるりと回して「利尻」にするだけ。

…なんですが、それだと前回の「まりも」とあまり変化がないので(同じ5両どうしですし)、座席車の3両に室内灯を組み込んでみました。

といっても、純正パーツなので特に苦労も問題もなし。

唯一、あれ?と思ったのが、スハフ14の方。2本の集電シューを差し込み、室内灯ユニットを載せ、照明板をフィットする位置に載せた後、車体(ボディ部)を被せると、どうしてもテールライトが所定の位置に来ないんです。

何かが引っかかってるような。。

上がスハフ14、下がオハ14

同時にオハ14も取り付けたんですが、照明板のフィット感はほぼ同じ。スハフ14だけが浮いているような感じはしないんですが。。

でも、真横から見てみると、

奥がスハフ14、手前がオハ14

スハフ14の方は乗務員室の壁に乗り上げていて、わずかにオハ14より嵩が高くなってます。

個々の車両で照明板のカットが必要かどうかは取扱説明書には書かれていないため、現物合わせですかね。どこかに記載はありそうな気がしますけど。探しきれてません。

というわけで。

照明板の端の1ブロックをパキっと割って、装着。確かに、さっきよりも、さらにフィット感は増した感じがします。

もちろん、これですんなりとボディが収まりました。

残るオハ14の2両は、照明板もそのままなので、あっという間に対応完了です。

走行の様子

今日は、いつもなら用意をする駅を省略しました。

実は、自作のパワーパックが内部で断線してしまって、そのハンダ付けや何やで、時間が無くなってしまったんです。

なので、大半径カーブだけは組み込みましたが、シンプルなレールプランに。

裏事情はともかく、そういう理由から今回はカーブでの走行シーンだけとなりました。

せっかくの室内灯ですので、車内が見やすいよう最初は低速での発車から。

座席の色が青いわけではないんですが、室内灯のついた車内が妙に冷めた色に(悪く言えば寒々と)見えてしまいます。

それでも、暗めの中を走行するので室内灯がいい味を出してます。

前回の急行「まりも」でも思いましたが、機関車込みで6両のコンパクトな客車編成もいいですね。

続いては、写真を何枚か。

普段使用しているのと同じコンデジなんですが、ちょっとだけ、こだわってみました。

いつもは、こんな感じで2両目以降、下手したら1両目の後部からピンボケが始まっているんですが、今回は、停車中の車両にぐっと近寄り、F値を大きめにしてみました。

5両先までしっかりとボディの白線が写っているのは初めてです。とはいえ、照明の限界があって、ノイズが乗ってますけどね。

2枚目は後方から。

「利尻」のトレインマークもはっきりと写ってます。

最後は、DD51メインで。

というわけで、14系500番台時代の、最北の地、稚内へと向かう急行「利尻」を走らせたお話でした。

残る「大雪」。ヘッドマーク以外は「利尻」と同じですからね。。ちょっと間を開けてから、走らせてみたいと思います。

最後に、急行「利尻」のこの編成が走っていた頃の時刻表を「時刻表 1988年3月号」から引用して掲載しておきたいと思います。

【参考】急行「利尻」時刻表

【下り】

311
急行「利尻」
札幌2157
江別2216
岩見沢
2232
2233
美唄2247
砂川2303
滝川
2310
2311
深川
2331
2331
旭川
2359
020
和寒108
士別
124
125
名寄
147
213
美深239
音威子府
312
327
天塩中川403
幌延
444
447
豊富506
南稚内555
稚内600

【上り】

312
急行「利尻」
稚内2143
南稚内2149
豊富2250
幌延
2308
2310
天塩中川2352
音威子府
028
033
美深107
名寄
131
150
士別
213
213
和寒231
旭川
319
339
深川
406
407
滝川
429
430
砂川440
美唄456
岩見沢
512
514
江別533
札幌555