国鉄時代の寝台特急「彗星」に迫る
ブルートレインなら「出雲」が好き。なんて言いながら、KATOの24系25形寝台特急「富士」セットを、「出雲」として走らせる話を書きました。
「出雲」。いいですよね、DD51に牽引される姿がなんとも言えません。
が、他に気になる列車が無いかというとそんなことは全くなく、「日本海」や「彗星」、それになぜか「紀伊」も好きな列車でした。まぁ、紀伊は、DD51が影響してるんでしょうが。。
ある日、「鉄道ファン9月号」の「特集:ブルートレイン熱中時代」の記事を見ていて、関西ブルトレがEF58に牽かれていた時代もあったよなぁ、と思い起こされました。
そこで、手元にあるEF58と24系25形客車で、「彗星」を走らせられないか、と考えたんです。
「彗星」として走った車両
「彗星」と聞いて東京~大阪の急行時代を真っ先に思い出す方は、さすがに少数派でしょうか。やはり関西~南九州を日豊本線経由で結ぶ寝台特急の印象が強い列車です。
が、その使用車両は、実に様々です。
1968(昭和43)年のデビューは20系。その後、1973(昭和48)年の増発時に4往復中1往復が14系、2往復が24系へと置き換わります。
翌1974(昭和49)年には20系がなくなり、14系1往復、24系3往復、24系25形1往復の5往復体制に。山陽新幹線博多開業前の全盛期ですね。
1975(昭和50)年の新幹線博多開業で「彗星」は3往復に減便となり、さらに客車は24系25形1往復を残すのみで、後の2往復は583系寝台電車となりました。以降、「なは」と違って客車の無い時代はないんですが、「彗星」=583系というイメージが強く残っています。
それ以降は、便数削減を経て、JR化後の1986(昭和61)年に14系15形に。この時、既に1往復となっています。
1994(平成6)年に再度24系25形になり、2000(平成12)年に再び14系15形へと置き換わります。これが「あかつき」と併結された、最晩年の姿となります。
というわけで、20系、14系(14形)、24系(24形)、24系25形、14系15形、それに583系と、寝台特急の進化の歴史を表すような運転形態となっていたわけです。
で、主題に戻ります。晩年の14系15形はTOMIXの編成を購入済み。
1号車と6号車のスハネフ15にはJRロゴが入っていますので、いかにも最近の列車、という感じですね。
なので、国鉄時代の象徴的な24系25形で再現してみたいと思います。というか、14系も24系も持ってないんですよね。欲しいんですけど。
編成を考える
手持ちの24系25形は、寝台特急「富士」セットなので、
カニ24×1
オロネ25×1
オシ24×1
オハネフ25×4
オハネ25×7
の計14両となります。オハネ25は100番台。オハネフ25の1両だけが200番台で他3両が100番台となっています。
ここでネックになるのが、オロネ25、オシ24の存在。「彗星」24系25形編成には残念ながら無縁です。なので、B寝台が11両を超えると再現できなくなるんですが、「彗星」はB寝台車12両というのが多かったんです。
そんな状況の中、「これだ!」と見つけたのが、1978(昭和53)年~1980(昭和55)年頃の3005ㇾ彗星5号新大阪発大分行/3006ㇾ彗星2号大分発新大阪行。カニ24と、B寝台車10両からなる11両編成です。
ただ、100番台が充てられたかどうか、確証は無く、違ってたらゴメンナサイ、という感じではあるんですけどね。
編成は、
← 大分
新大阪 →
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | |
カニ24 | オハネフ25 | オハネ25 | オハネ25 | オハネ25 | オハネ25 | オハネフ25 | オハネフ25 | オハネ25 | オハネ25 | オハネフ25 |
カニ24×1、オハネフ25×4、オハネ25×6の11両編成です。これで、何とかなりそうです。
しかも、ちょうどこの頃といえば、牽引機がEF58からEF65-1000に変わる過渡期。(1979年7月に変更)
2年間限定の編成ですが、EF58にも、EF65-1000にも合う編成となっています。
走行シーンを撮影
まずは、駅の通過シーンから。
カニ24のトレインマークがちらっと赤っぽく見えるのは、「出雲」のままなので。。手抜きです。
現役時代のEF58+関西ブルトレは、実物を見たことがないので新鮮ではあるんですが、24系25形との組み合わせもいいもんですね。
ヘッドマークが無いのは寂しいですが、1975(昭和50)年からしばらくの間、東京発着のブルトレ以外はヘッドマークの無い時代が続きました。
ヘッドマークが無いうえに、最後尾のトレインマークも高輝度で飛んじゃってるんで、「彗星」かどうかすらわからないですが。。
機関車込みの12両というのは、当時としては短かったんでしょうが、晩年の短編成化と比べれば立派で、見劣りしないですね。最晩年の「彗星」は、オハネ15の2両欠車時期には、機関車+4両でしたから。
おまけでEF65-1000
前述の通り、1979年7月から、関西ブルトレの牽引機がEF58からEF65-1000番台に置き換わりました。
「富士」「はやぶさ」用に購入したEF65-1000に牽かせてみます。
当時はヘッドマークが無かったんですが、やっぱりちょっと寂しいなぁということで、「出雲」用に購入した「ヘッドマークセット EF65-1000用(国鉄)」にある「彗星」を取り付けてみました。
なので、リアリティには欠けますが、全国的にヘッドマークが復活した1985(昭和60)年頃の姿に近いでしょうか。実際の列車よりも、オハネ25が3両少ないですけどね。
ヘッドマークは、あると締まりますね。
比べるのも何ですが…。急行「銀河」や急行「ちくま」など、ヘッドマークを付けてもらえなかった急行を思い出してしまいます。
駅での写真撮影
駅のベンチで「出雲」を隠しました(笑)
EF58にピントを合わせてしまうと、客車部分はボケてしまって、かろうじて銀帯でブルトレと判るものの、難しいですね。
客車の方も、普通に撮ると、トレインマークが白飛びしてしまうので、カメラで露出補正して撮影。
夜行列車なので、これくらいがいいのかもしれないですね。
きれいに「彗星」のトレインマークが写りました。
最後は、ヘッドマーク付きEF65と、12系客車を牽くEF58との並び。いい感じに写ってます。
というわけで、手持ちの24系25形で、「彗星」を走らせてみたお話でした。