DD54が牽く20系寝台特急「出雲」

元々は、20系寝台車と12系座席車からなる急行「ちくま」や「さんべ」を走らせたかったためにユーズドで購入した KATO 10-366「20系 寝台客車 7両基本セット」。

セットとは別にナハネ20を何両か追加で購入すれば、往時の20系寝台特急が走らせられるんじゃないか、とやってみたのが、これ。

ナハネ20を3両購入し、寝台特急「あけぼの」が秋田駅で付属編成を切り離した後、秋田-青森間を基本編成の9両(カニ21含む)で走る姿を再現してみました。

その記事の中で、「あけぼの」に行きつくまでの候補をいくつか挙げていたんですが、そのうちのひとつが寝台特急「出雲」。子供の頃から好きな列車だったので飛び付きたかったんですが、「出雲」20系時代を象徴する機関車、DD54を持っておらず、諦めたという経緯があります。

DD54形ディーゼル機関車

寝台特急「出雲」や、同じく山陰本線を走った急行「だいせん」が好きだったのは、DD51が牽引する列車だったから、というのが大きな理由だと思います。なので、DD54を購入してまで20系「出雲」を走らせるか?という葛藤が若干あったんですが、珍しくKATOのDD54(7010-1「DD54 ブルートレイン牽引機」2020年ロット)がユーズドショップで売られていたので、思わず購入してしまいました。昨秋のことです。

DD54は、1966(昭和41)年から1971(昭和46)年にかけて、37両が製造された液体式ディーゼル機関車で、1972(昭和47)年3月改正で急行から寝台特急へと格上げされた「出雲」にも、山陰本線内を牽引する機関車として先頭に立ちました。

特急格上げ前の急行「出雲」も牽引していたようですが、DF50が牽引していたとの話もあり、棲み分けがよく判ってません。。

「あけぼの」の記事の中で、「出雲」からのDD54引退の時期が1974(昭和49)年度と書いていましたが、その前年1973(昭和48)年秋にはDD51での牽引に切り替わっていたようで、20系寝台特急「出雲」がDD54で牽引されていたのは、1年半ほどだったようです。(なぜか1974年度引退説の情報が多い…)

2009年1月 交通科学館にて

DD54は写真の通り箱型ではあるんですが、前面はくの字に迫り出し、側面は上部が内側に倒れ、EF66に似た印象がありますね。力強さというのか、存在感というのか。

と、書いていて、子供の頃の記憶を何となく思い出してきました。当時、貨物列車専用のEF66は「好きではない ≒ 嫌い」だったんです。それに似たDD54も同じような印象だったんですね。もちろん、物心が付く頃には「出雲」は当然として、定期旅客列車の牽引からも引退していたので、「好き」になる要素も見当たらず。

時代は移り、EF66がブルートレインを牽引するようになり、「富士・はやぶさ」で華々しく東海道ブルートレインの最後を飾ったEF66の印象はすっかりとプラス方向に変わってました。なので、いまDD54を見ると「悪くないよね」と。

もはや写真にある33号機が京都鉄道博物館に展示されているのを見ることができるだけになってしまいましたが、本来なら寝台特急から普通列車まで牽引し、山陰地区での無煙化に貢献した(SLファンからすると敵なんでしょうが)歴史に残る名機のはず。

しかし、実際には故障が多く、運用・保守面での問題から次第にDD51へと置換が進み、1978(昭和53)年の播但線での運転を最後に休車、その後同年内の廃車に伴い、形式消滅となったようです。

寝台特急「出雲」

寝台特急「出雲」は、どこを起源とするのか難しいところですが、古くは1928(昭和3)年に大阪-浜田・米子間を走った準急列車がルーツとされています。急行格上げの後、戦争激化で廃止されますが、1947(昭和22)年6月に大阪-大社間の準急列車として復活します。

1951(昭和26)年11月改正で、急行に格上げされ「いずも」と命名されます。一部の車両が東京-大阪間を「せと」に併結される形で東京-大社を直通する列車となりました。

1956(昭和31)年11月改正で名前が漢字の「出雲」となり、「せと」との併合が無くなって単独列車となっています。この改正で東京からの車両も浜田へと直通することになり、寝台特急「出雲」の前身という感じがしてきますね。とはいえ、寝台車4両は大阪で切り離されて、山陰へと直通するのは座席車ばかりでした。

これが変わるのが1961(昭和36)年10月のいわゆるサン・ロク・トウ改正。寝台車連結の区間が東京-出雲市間となっています。

1964(昭和39)年10月改正では食堂車を連結し、車両(編成)の増強もありました。寝台車と座席車の比率で寝台車が上回るようになったのが、この改正ですね。

次の大きな変化が1972(昭和47)年3月の特急格上げ、20系化です。ブルートレインへの仲間入りです。

3年後の1975(昭和50)年3月には24系24形(3段)に、その翌年10月には24系25形(2段)へと車両のグレードアップが続きます。

1978(昭和53)年10月には「いなば」から編入した14系14形「出雲3・2号」が加わり、2往復に。1982(昭和57)年2月には「出雲3・2号」に併結されていた「紀伊」が廃止となり、いずれも単独運転となっています。

その後は、JRになり、1991(平成3)年3月改正では「3・2号」にシングルDX・シングルツインが連結され、翌年には「1・4号」の食堂車がグレードアップ改造された車両になるなどの変化がありましたので、客車「出雲」が最も華やかな時代だったということになるでしょうか。

1998(平成10)年7月に「3・2号」が「サンライズエクスプレス出雲」となり廃止。「出雲」は1往復となります。

その「出雲」も2006(平成18)年3月改正で廃止。客車の寝台特急「出雲」はこれで終わりとなります。

トピックス的に面白い点としては、1993(平成5)年9月から1995(平成7)年12月まで、山陰本線(園部-福知山間)の電化工事に伴い、「出雲1号」だけが岡山(伯備線)経由で運転されていたこと。岡山-米子の区間はDD51の重連での牽引だったそうですね。※迂回期間中、京都(客扱い無し)~米子間は、いずれも無停車(客扱い無し)でした。

KATO 7010-1「DD54 ブルートレイン牽引機」

この「出雲」の長い歴史の中では、DD54+20系で走った期間はほんの一瞬に過ぎないような気がしますが、走っていたのは事実ですし、模型でも楽しんでみたいと思います。

2020年3月に再生産で販売されたときのロットですから、かなり新しく、状態も良好です。もちろん、その分、ユーズドでも、それなりの値段でしたが。。

通電テストを兼ねてレールへ載せてみます。

2020年のロットからヘッドライトが電球色LEDに変更となっているそうで、非常に明るいです。

DD54と言えば、「独特」のかたまりみたいな感じですが、箱型のボディとともに特徴的なのが B-1-B という軸配置。真ん中(ナンバープレートとメーカーズプレートは、センターより1エンド寄り)に、1軸の中間台車が見えます。これで軸重軽減となるので、軸重上限の低い路線での運用も可能となった、ということですね。

ちなみに、実車の話ですが、DD54は、全長15.3m、重量約70t。DD51は、全長18.0m、重量約84t(0番台・500番台)だそうです。DD54は見るからにデカそうに見えるんですが、意外とコンパクトです。

ナンバープレート

付属品は、この通り(ユーズドでの購入です)。

左から、交換用ナックルカプラー、クイックヘッドマーク、ナンバープレート(前面用・側面用)。

ナンバープレートは、DD54-37が既に取り付けられていました。

選択できる 32 / 33 / 34 /37 のいずれも、米子機関区に配属された車両ですから、「出雲」を牽引するならどれでもよいと思います。

カプラー交換

ナックルカプラーへの交換も、特に問題は無いですね。

ステップの付いたスカート部分を下へと取り外し、板バネの紛失に注意しながらアーノルドカプラーを取り外してナックルカプラーを取り付けます。

今回は、KATOの20系客車を牽引するので、TNカプラーとの連結時に必要な対応は行いません。

もちろん、反対側も交換しておきます。

ヘッドマーク

付属品の赤い側面のヘッドマークを切り取って使うのが正しいんでしょうが、目の前にあったEF65-1000用の「出雲」を使用してみました。どちらもマグネット式のクイックヘッドマークです。こちらの側面は白ですね。

「出雲」のヘッドマークを掲げた実車の写真がネット上にもあまりなく、しかも横や斜めからのカラー写真はほぼ無し。ヘッドマークの側面が赤なのか黒なのかシルバーなのか、分からないですね。

左:「ヘッドマークセット EF65-1000用(国鉄)」 右:DD54付属品

違和感があったら、付属品のを使うようにしましょうか。

白(シルバーのイメージ)の側面も悪くないんじゃないでしょうか。

交通科学でのカットと並べてみました。

実車の写真と同じカットにするにはもう少し寄る必要がありますが、さすがに、模型にこれ以上近付いてピントを合わせるのは無理ですね。

細かいところまで、よく出来ていると思います。

20系客車

編成

機関車は用意できましたので、次に客車の方ですね。

走らせるのは1972(昭和47)年3月にブルートレインとして走り始めた頃の姿。

寝台特急「出雲」

1972(昭和47)年3月~1972(昭和47)年7月

←2001ㇾ 浜田

2002ㇾ 東京→

1234567891011
カニ21ナロネ21ナハネ20ナハネ20ナハネ20ナシ20ナハネフ23ナハネ20ナロネ21ナハネ20ナハネ20ナハネフ22
電源車A寝台B寝台B寝台B寝台食堂車B寝台B寝台A寝台B寝台B寝台B寝台
7号車~11号車は 東京-出雲市間

寝台特急格上げから4ヶ月ほどの編成です。7月に編成の変更があり、6号車と7号車が入れ替わり、7号車となるナハネフ23までの8両が浜田まで走ったようです。出雲市回転がナロネ21からの4両になったということですね。

「あけぼの」の記事を書いた頃なら、出雲市で付属編成の5両を切り離した後の出雲市-浜田間の再現、としたでしょうが、その後、さらにナハネ20を数両と、ナロネ21を1両買い足してます。だんだんと20系が好きになってきたってことですね(笑)

というわけで、すべてユーズドですが、
・ナロネ21 × 2
・ナハネ20 × 6
・ナハネフ22 × 1
・ナハネフ23 × 1
・ナシ20 × 1
・カニ21 × 1
の、計12両が揃いました。

前回から追加したのはナロネ21が1両と、ナハネ20が1両だけ(前回未使用のナハネフ22も使用)。「あけぼの」の基本編成は意外とボリュームがあったんですね。

バックサイン

10-366 20系 寝台客車 7両基本セット の付属品

7両基本セットも、後期ロットなら「出雲」があるようなのですが、初期ロットなので写真の通りです。

11-320 バックサイン 20系客車用セットの方から、「出雲」を使用します。

東京発の下り「出雲」を走らせようと思ってますので、ナハネフ22だけでも良かったんですが、カニ21を「安芸」のままにしておくのも何なんで、両方とも交換してみました。

いい感じです。

というわけで、走らせてみたいと思います。

DD54と20系「出雲」

まずは、駅の発車から通過と停車。

最後の停車は、実は速度調整をしたのではなく、駅の先に設けた勾配を登り切れずに減速して停車してしまったというアクシデントだったんですが、ちょうどカメラの前で最後尾のナハネフ22が停車したので使用してみました。

ナロネ21が基本編成と付属編成の両方に入っている、というのが面白いですね。それだけ需要があったということでしょう(当時は「出雲」に限らず、よくありました)。窓上の小窓が並ぶ姿はナロネ21らしさを出してますね。

続いては、カーブの走行シーン。

画角は悪くないと思うのですが、使用していたLED照明が、カメラのフレームレートと相性が悪かったのか、すごく明滅して見えます。今後はちょっと考えないといけないですね。

前半の、DD54が迫ってくる姿は迫力があります。DF200に通じるものがありますね。DD51とは違う魅力があります。

後半の背景に見える高架線路。これを走る姿がこちら。

DD54+寝台特急「出雲」と言えば、やっぱり餘部鉄橋かな、と。あの姿を鉄道模型で再現することは我が家では難しいので、鉄橋を渡る様子ということで。

トラス橋を上路式として使用しています。

見ての通り、床についてます。フローリングなので川面のように反射して、いい感じではあるのですが、餘部と言うには無理がありますね。

最後に写真を何枚か。

写真は停車させた状態で撮ることが多いのですが、珍しく走行中に撮影してみました。若干のぶれが、走っている感じを出してます。

こちらは停車中。KATOの機関車ですが、停車中にもヘッドライトが点灯していていい感じです。

何度見てもナハネフ22は魅力的ですね。急行としての運用しか知らない世代なので14系・24系と比べると格下に感じてしまうんですが、10系寝台車が全盛の時代に、この姿を見たら憧れを抱いたでしょうね。

追加で購入したナロネ21。基本編成のものと変わらないですが、上段寝台用の小窓が特徴的でいいですね。

続いては、カーブでの写真。

やや暗めの中での撮影です。ヘッドライトが際立つ写真になりました。

力強いですね。

1軸の中間台車がよく判ります。

たまたまだったんですが、後ろ(背後)のドアから光が漏れていて、それがヘッドライトの位置と合っていたので、もやの中でヘッドライトが照らされているような幻想的な写真になりました。

続いては、テールの姿。

通路の照明を落とすことはないでしょうから、ここまで真っ暗な列車は無いでしょうが、バックサインがよく見えます。

照明の当て具合で、全車両ともに室内灯が入っているように見える写真となりました。もちろん、全車ともに室内灯は入ってません。

最後は、鉄橋での撮影です。

たまに、こういう普段とは違うレイアウトを組めるのは、お座敷ならではですね。

DD51と20系「出雲」

最後に、せっかくなのでDD54をDD51に交換して撮影してみました。編成の組み換えは行ってませんので、ナハネフ23の位置がDD51牽引時とは異なるのかなと思います。

ちなみに、カニ21は、標準のKATOカプラーNのままです。DD51はTOMIXのTNカプラーですが、勾配を含め、走り切りました。

DD51に切り替わったころの写真には、ヘッドマークを付けていないものが多いので、ヘッドマークなしで走らせてみました。

後半の見下ろす動画は、餘部鉄橋の撮影スポットからのものを意識してみました。もうちょっと右側からの方が良かったですかね(下り「出雲」の通過時刻が5時前なので夏至の頃でも見られたかどうかは定かではないですが…)。

単線の鉄橋をDD51+20系寝台車が走る様子は、DD54とは違う格好よさがあります。DD51好きなんで。

照明を点けてもう一枚。

というわけで、DD54・DD51と20系寝台特急「出雲」を走らせたお話でした。

【参考】寝台特急「出雲」時刻表

20系寝台特急に格上げされた1972年の時刻表(1972年3月号より引用)を挙げておきます。

寝台特急「出雲」東京発浜田行

2001
特急出雲
東京(15)入線1751
1820
横浜1844
熱海1948
1949
沼津2008
浜松2147
2149
名古屋2310
2315
京都
福知山250
255
豊岡356
358
城崎408
409
浜坂454
鳥取531
534
倉吉614
615
米子705
710
松江743
745
出雲市818
821
大田市900
901
江津939
939
浜田1000

寝台特急「出雲」浜田発東京行

2002
特急出雲
浜田1515
江津1535
1537
大田市1615
1616
出雲市1651
1700
松江1734
1735
米子1804
1810
倉吉1902
1903
鳥取1942
1947
浜坂2023
城崎2107
2108
豊岡2119
2120
福知山2221
2224
綾部2237
2238
京都005
010
沼津510
熱海528
529
横浜634
東京700