20系+12系 急行「さんべ」(前編)

年始早々に20系寝台車と12系座席車の急行「かいもん」を走らせた話を記事にしました。

でも、20系寝台車と12系座席車といえば急行「ちくま」「さんべ」じゃない?

そう。これまで、手持ちの車両で、なんとかこの時代の急行「ちくま」や「さんべ」に似せた列車を走らせてきました。

大阪に住んでいると、「かいもん」「日南」よりは「さんべ」の方が身近という感じですからね。

なので、KATOから客車編成セットとして「かいもん」「日南」と「さんべ」が同時に発売となったら、間違いなく「さんべ」に飛びつくんじゃないか、と思われた方もいらっしゃるかと思うのですが、実際には「かいもん」から手を付けました。

開聞岳は薩摩富士とも呼ばれるので正月には縁起がいい、なんてのは後付けの理由で、実際にはその時点で手にしていないものがあったからなんです。

それが、DD51。

この客車編成セットを予約した昨年6月。「かいもん」用のED76は、それまで手にしていなかったので同時に予約したものの、「さんべ」を牽くDD51は、「山陰本線なら米子機関区のTOMIXのがあるから」と、予約を見送っていたんですね。

TOMXIのTNカプラーと、KATOのナックルカプラーは、直接は相容れないですが、ちょっとした加工で連結可能になりますし、実際、TOMIXのDD51とKATOの24系25形とで寝台特急「出雲」として走らせています。

だったら今回もそれでいいじゃん、と思っていたのに、なんなんでしょうね。根っこにDD51好き、というのがあるからなんですが、米子のDD51(1000番台)がもう1両あってもいいよね、と、大晦日まであと3日という日に注文してしまったんです。

お店の方は既に年末年始休暇に入ってたのかと思うのですが、当然、発送は年始になりますので、1月最初の週末にはDD51が無かった、と。

注文してなかったらTOMIXのDD51で2025年の走り初めになったんでしょうが、せっかく注文してるわけですからね。

というわけで、「さんべ」はお預けとなっていた、ということです。

ただ、KATOの「さんべ」が発売になった昨年末から、「さんべ」に関する昔のページへのアクセスが若干増えているので、古い記事を見て、がっかりされた方も多いんだろうなぁ…と。

そんなわけで、KATOの新製品となる「さんべ」を走らせるところまで、一気に行きたいと思います。

急行「さんべ」

とはいいつつも、やっぱり歴史を振り返ってみたいと思います。

急行「さんべ」は、1961(昭和36)年10月のサンロクトオ改正で大阪-浜田・大社間を走る客車急行として誕生したそうです。…ちょっと嘘です。この時は、漢字で急行「三瓶」、だったようですね。

この通り、「かいもん」と同じく、山の名前、三瓶山が名前の由来となっています。三瓶山は島根県大田市と飯南町に跨る標高1126mの火山です。出雲市以西の山陰本線を走る列車に相応しい名前ですね。

(下り)大阪 9:30 - 14:45 鳥取 14:48 - 17:52 出雲市 17:56 - 19:35 浜田 / - 18:10 大社

(上り)大社 11:20 - / 浜田 10:00 - 11:35 出雲市 11:43 - 14:43 鳥取 14:46 - 20:04 大阪

このようなダイヤだったようです。

編成は、大阪-浜田間がマニ×1・スロ(54)×1・オハ×3・スハフ×1、大阪-大社がオハ×2・スハフ×1という構成だったようですね。

興味深いのが、急行「三瓶」の福知山線内の停車駅が宝塚・三田・篠山口のみ。特急「こうのとり」並ですよね。で、この改正で登場した特急「まつかぜ」(京都 -[福知山線経由]- 松江)の福知山線内の停車駅はというと、大阪を出ると福知山。線内ノンストップでした。さすがは「特別」急行です。

話を「三瓶」に戻します。

1965(昭和40)年10月改正で、客車急行が、キハ58系を使用したディーゼル急行へと姿を変え、運転区間も大阪-石見益田(現・益田)・大社間となっています。当時のダイヤは判りませんが、ディーゼル化でそれなりに速くなったんでしょうね。ちなみに、大阪-豊岡間はキロ28×2両を含む12両編成での運転だったようです。

大きく変わるのが、1968(昭和43)年10月のヨンサントオ改正。

運転区間が西へと移ります。米子-小倉間が昼行ディーゼルで1往復(旧称「なかうみ」)、米子-熊本間が昼行ディーゼルで1往復(旧称「やえがき」)、米子-博多間が夜行客車で1往復(旧称「しまね」)という3往復体制となっています。このときに名前がひらがなの「さんべ」と変わるんですが、運転区間も大幅に変わってますし、愛称統合での誕生ですので「三瓶」と「さんべ」は別列車と言っても良いのかもしれないですね。

面白いのが、米子-熊本間を走る「さんべ(下り)2号、(上り)1号」の走行ルート。長門市-下関の間を山陰本線経由の編成と、美祢線・山陽本線経由で走る編成とに別れて走り、それぞれのルートを走った後に、また連結して終着駅を目指す、という「離婚・再婚列車」と呼ばれる運転をしていたことです。「さんべ」というとこの運転形態を思い出す方も多いのではないでしょうか。

それはともかく、ですね。気になるのは今回のメインテーマでもある夜行の方でしょう。

旅客の編成は、米子-博多間の全区間を オハネフ12・スロ54・スハ44・ナハ・ナハ・オハ・オハフ という編成で走っています。荷物車は博多寄りに1両。マニが、浜田-博多間の連結でした。

1969(昭和44)年頃から、夜行の「さんべ3号」のスロ54がA寝台・B寝台合造のオロハネ10に置き換わっています。

その後は、荷物車・郵便車の連結区間が変わったり、オロハネ10がオハネ12に変わってA寝台がなくなったり、(昼行では山陰本線・美祢線の分割併合を保ちつつ、運転区間が鳥取-熊本になったり)と、変更がありましたが、次のインパクトのある変更が、これ。今回のテーマでもありますね。

1978(昭和53)年10月改正で、夜行の「さんべ5号・6号」が、20系寝台車+12系座席車の編成へと置き換わりました。編成は、KATOの公式ページの「昭和55年頃」にある通りです。

急行「さんべ」

1978(昭和53)年10月~1982(昭和57)年11月「さんべ5号」

←805ㇾ 博多

1234567
スユニ50マニ50◀スハフ12オハ12オハ12◀スハフ12ナハネ20ナハネ20ナハネフ22▶
郵便・荷物荷物自由席自由席自由席指定席B寝台B寝台B寝台
スユニ50は出雲市-浜田間
マニ50は出雲市-博多間(1980年10月からは浜田-博多間)
◀/▶は車掌室の向き
4号車の車掌室の向きが逆になることも
7号車がナハネフ23になる場合あり

1978(昭和53)年10月~1982(昭和57)年11月「さんべ6号」

806ㇾ 米子→

1234567
マニ50◀スハフ12オハ12オハ12◀スハフ12ナハネ20ナハネ20ナハネフ22▶
荷物自由席自由席自由席指定席B寝台B寝台B寝台
マニ50は博多-出雲市間(1980年10月からは博多-浜田間)
◀/▶は車掌室の向き
4号車の車掌室の向きが逆になることも
7号車がナハネフ23になる場合あり

3号車にオハフ13が入ったという情報もありますが、そのあたりは機動的に運用されたのかもしれないですね。どのみち、分割併合をするわけでもないですし、オハフ13に発電設備があるわけでもないですので。

1980(昭和55)年改正で、昼行の博多-熊本間が廃止となり、山陰本線・美祢線経由の列車は鳥取-博多間(下関-博多間は快速)となっています。

1982(昭和57)年改正では鉄道による郵便輸送の廃止を受けてスユニ50の連結も無くなっています。この編成もKATO公式ページの通りです。

急行「さんべ」

1982(昭和57)年11月~1984(昭和59)年1月「さんべ5号・6号」

←805ㇾ 博多

806ㇾ 米子→

1234567
マニ50◀スハフ12オハ12オハ12◀スハフ12ナハネ20ナハネ20ナハネフ22▶
荷物自由席自由席自由席指定席B寝台B寝台B寝台
マニ50は浜田-博多間
◀/▶は車掌室の向き
4号車の車掌室の向きが逆になることも

※マニ50の連結区間の情報がいくつかあって、錯綜しています。上記の区間・期間は正確ではないかもしれません。

残念ながら1984(昭和59)年2月改正で、夜行の運転は中止(正確には臨時列車化)となり、昼行2往復に。

翌年3月改正では昼行も1往復となり、運転区間も下りが鳥取-下関(鳥取-米子間快速)、上りが下関-浜坂(米子-鳥取間快速、鳥取-浜坂間普通)となりました。

JR移管を睨んだ1986(昭和61)年11月改正で運転区間が鳥取-下関(上下とも鳥取-米子間快速)となり、そのままJRへ。

1993(平成5)年3月改正ではJR九州の小倉乗り入れとなって鳥取-小倉間の運転(上下とも鳥取-米子間快速・下関-小倉間普通)となったものの、1997(平成9)年改正で廃止となりました。

直接は関係ないですが、「さんべ」廃止の8年後、2005(平成17)年3月改正で特急「いそかぜ」もが廃止となることで、益田-下関間の山陰本線に優等列車が走らなくなったんですよね。

そんな歴史を持つ急行「さんべ」ですが、20系寝台車での運転は1978(昭和53)年10月改正から1984(昭和59)年2月改正までの5年半ほどだったんですね。

KATO 10-1914 客車編成セット 急行「さんべ」(5両)

「かいもん」とは違って、寝台車の方が多いですが、ともに5両です。

北九州-山陰の方が、夜行需要が大きかった、ということですね。

ケースの上から、

スユニ50-2008
マニ50-2004
ナハネ20-1354
ナハネ20-2314
ナハネフ22-1005

の5両です。これと12系車両とを併せて急行「さんべ」を組成します。

ナハネフ22

やっぱり、今回のセットの中では、一番の華でしょう。

「かいもん」で、上部の白線が無いことを褒めたので言いづらいところではありますが、この白線が往年の威厳を示しているような感じはあります。急行格下げ後の姿、ではありますけどね。

並べてみるとこんな感じ。

どちらもアリですね。と八方美人に締めておきます。

「さんべ」の方は、ナックルカプラーに取り替えてから再度写真を撮り直そうと思っていたんですが、忘れてました。。

ちなみに、ちょっとこの角度からは判りづらいですが、ドア横のサボ受け、「かいもん」は印刷済みですが「さんべ」にはありません。次の写真の方が判りやすいですね。

ナハネ20

手前が2314、奥が1354です。

20系車両のうち、ナハネ20とナハネフ22、それにナハネフ23だけが、12系車両と連結して給電を受けられるように改造されました。それによって新たにできた番台区分なんですが、ナハネフ22と23はいずれも1000番台。ナハネ20は、直接12系と連結される車両が1000番台、中間に入る車両が2000番台となっています。

スハフ12から給電を受けられる車両数も限られていることから、「かいもん」「日南」ではナハネ20形1000番台のみで20系が2両、「さんべ」「ちくま」はナハネ20形1000番台・2000番台が各1両で20系が3両という運用でした。ナハネ20が3両入った編成(2000番台が2両)はなかったはずです。

原番+1000、もしくは2000としているため、数字は連続していないようですね。

1000番台と2000番台。模型では車番の違いくらいしか差が判りませんでしたが、現車では、直接連結する1000番台は変圧器搭載のためにトイレをひとつ潰しているのだとか。

模型の話で言うと、カプラーはいずれもKATOカプラーN JP B。ナハネフ22の中間連結面側も同じです。

「かいもん」もそうでしたが、12系車両と連結する側のナハネ20形1000番台の車両もKATOカプラーN JP Bですので、12系車両は何らかの加工が必要になる、ということです。

マニ50

こちらは、12系車両と連結する側の方。

テールライトはボディと一体成型でLEDは入っていません。KATOカプラーN JP Aです。反対側はというと、

こちらはアーノルドカプラー。「かいもん」にもマニ50がセットにされていますが、「かいもん」の編成端寄りは密自連形ですから、同じものではありません。ご注意を。

「かいもん」の話の中で、

オユ14の方は、当然ながらマニ50との連結側が密自連形なので、オユ14とマニ50をセットで運転するならば、何ら問題は無いんですが、郵便車連結廃止後の姿で走らせたいときには、ちょっと困ったことになります。

密自連形カプラーに機関車を連結させることが出来ないですからね。

https://try-widely.com/exp-kaimon-1/

と書いてましたが、「さんべ」のマニ50を使用する、でいいんじゃないでしょうか。側面の「米ヨナ」が気に入らない、というこだわりの強い方は、台車を交換する、ということで。。

このセットに入っていたマニ50ですが、アーノルドカプラーが変な方向に向いてました。

ちょっとやそっと力を加えても元には戻らず、変なところで引っかかっているようです。

でも、後でナックルカプラーに取り替えるので、いいんですが。

スユニ50

最後はスユニ50。

このスユニ50が欲しくて欲しくて、ずっと待ち続けていて、KATOから「山陰」が発売されたときに単品で購入したんですが、なんか「日南」「さんべ」と立て続けに手にすることになりました。所属がそれぞれ違うので、別と言えば別なんですが、そこまでこだわらないもので。。

付属品をチェック

並べ方は違いますが、「かいもん」のセットとほぼ同じですね。

左から、カプラーアダプター×4、ナックルカプラー(上下に写るパーツで1組)、カプラースプリング、ナックルカプラー、スハフ12用ナックルカプラーセット、それとドライバーです。

ナックルカプラーは、マニ50とスユニ50の両端用、ナックルカプラーはナハネフ22のアーノルドカプラーからの置き換え用です。

前回「かいもん」のときは、スハフ12の車掌室側をナハネ20に連結したので、スハフ12用ナックルカプラーセットは使用しなかったのですが、今回は、スハフ12の中間連結面側とナハネ20を連結してみようと思いますので、使用することにします。

付属品はこの他に、シールとレタリングシートがあります。

まずはシール。これは、セットの車両では無く、12系座席車用のものになります。「さんべ」のそれぞれの終着駅、米子と博多があり、それと愛称サボと号車サボですね。

ナハネフ22で触れましたが、寝台車に愛称サボってなかったんでしたっけ。あれ?ドア上部横の白丸が確かそうですよね。ドア手すり横のサボ受けを使ってたのって「かいもん」「日南」だけだったのか。。

続いては、レタリングシート。

こちらも、12系車両を、「さんべ」用にカスタマイズするためのものです。

「大ミハ」を「米ヨナ」にするためのものと、車番を当時の使用車両にするためのもの。

ですが、「かいもん」でも書きましたが、せっかくの「客車編成セット」ですからね。12系車両は汎用的に使いたいですし、私は大ミハを貫きます(笑)

それはそうと、こだわりを感じたのが、KATOの公式ページに、「かいもん」「日南」は「12系急行形客車6両セット」を勧めていて、「さんべ」は単品を勧めているんですね。6両のうち3両しか使わないうえに単品でスハフ12を購入する必要があるから、という理由なのかもしれませんが、レタリングシートもちゃんと、スハフ12は単品用の100番台で用意してあるんですね。セットの0番台では無く。

当時の車両配置の資料がないので確かなことは言えないのですが、メーカーのこだわりを感じました。

カプラーの交換

今回は、この編成で走らせたいと思います。それぞれのカプラーの状況(購入時)は次の通り。

急行「さんべ」

1978(昭和53)年10月~1982(昭和57)年11月「さんべ5号」

←805ㇾ 博多

1234567
スユニ50マニ50◀スハフ12オハ12オハ12◀スハフ12ナハネ20ナハネ20ナハネフ22▶
AN/ANAN/NJPAAN/密自密自/密自密自/密自AN/密自NJPB/NJPBNJPB/NJPBNJPB/AN
◀/▶は車掌室の向き
AN:アーノルドカプラー
密自:KATOカプラー伸縮密自連形
NJPA:KATOカプラーN JP A
NJPB:KATOカプラーN JP B
太字は交換用のナックルカプラーが付属品として用意されている箇所

マニ50のスハフ12連結側は、KATOカプラーN JP Aのままで問題ないので、そのままで行きます。

それ以外のスユニ50の両側、マニ50のスユニ50連結側、ナハネフ22の車掌室側は、それぞれ付属のナックルカプラーに交換です。

交換の様子を写真付きで載せようかとも思ったんですが、「かいもん」とほぼ同じなので、割愛。

こちらをご覧ください。

12系は、「かいもん」で使用したのと同じ車両を使用します(0番台なので、今思うと急行「きたぐに」のときに購入した単品の方が良かったかも、です)。

なので、スハフ12の車掌室側は既にナックルカプラー。

マニ50のジャンパ栓が気になるようならナックルカプラーに交換、ですね。スハフ12の貫通幌の取り付けを忘れてました。

スユニ50とマニ50のナックルカプラーどうしももちろん問題なしです。

問題は4号車のスハフ12です。

「かいもん」では、順方向というのか、スハフ12の中間連結面側にオハ12を、車掌室側をナハネ20に連結したので中間連結面側は標準の密自連形、車掌室側は交換用のナックルカプラーに付け替えるだけだったんですが、今回は逆になりますので、車掌室側が密自連形、中間連結面側をナックルカプラーにする必要があります。

このときに、苦労して加工したスハフ12がありますからそれを転用すればいいんですが、せっかく「スハフ12用ナックルカプラーセット」が用意されているのでそれを使ってみたくて…。

5304 スハフ12 100 前期形 国鉄仕様

またかい。

と言われそうですが、はいそうです、としか答えられません。もう1両、買ってました。

セットと同時にスハフ12を2両購入していたんです。12系、好きですからね。

付属品、シールの紹介は「かいもん」と同じなので割愛します。

車掌室側の密自連形への交換は、上記記事のオハフ13のものと全く同じです。

カプラーセットを外して付け替えるだけ、です。

で、単品のスハフ12を新たに購入した理由がこちら。

同じ「5304 スハフ12 100 前期形 国鉄仕様」ですが、2024年12月発売のものと、それ以前のものとで仕様が変わっています。

写真右側が今回購入した新仕様。左側が以前に購入していた旧仕様のものです。

右側の密自連形は、床下ユニットに接する部分が、左右の留め具を除いて平らなのに対して、左側のナックルカプラーセットは、かなりの出っ張りがあります。これを旧仕様の床下ユニットのスハフ12に取り付けようとすると、

https://try-widely.com/exp-chikuma-sanbe-2/ から再掲

こんな感じで、無理やりな切れ込みを入れる必要があったので、今回の仕様変更はありがたいものでした。

結果は同じなんですけどね。。

上が旧仕様に切れ込みを入れて苦労してカプラーを取り替えたもの。下が新仕様でカプラーを簡単に取り換えられたもの。

こんな感じで、スハフ12の中間連結面側とナハフ20が連結できました。もうちょっとナックルカプラーが短ければ格好がいいんですけどね。

というところで、客車の用意が出来たところで一旦おしまい。

新たに購入したDD51の紹介と、走行の様子はこちらの後編をご覧ください。