「ちくま」「さんべ」のようなもの
そもそもの発端は、6両の20系車両が手元にあったこと。
6両もあれば、夜行列車としては短編成ながらそれなりに見栄えする列車になるのでは?と思われるでしょうが…。
伝統の丸屋根
20系車両の象徴でもある緩急車・電源車の丸屋根。これが6両のうち4両もあるんです。
丸屋根のナハフ20、切妻のナハネフ23、丸屋根のカニ21。これが2セット。
大学時代に友人から「大事に使ってやってね」ともらったうちの6両です。
ただ…。3両編成のうち座席車1両、寝台車1両、電源車1両では、鉄道博物館状態ですよね。とても本線を走る列車には見えないです。全部を連結するとフタコブラクダのようになります。2両を諦めてナハネフ23だけをもう一編成に組み込んだとすると、[ナハフ20]+[ナハネフ23]+[ナハネフ23]+[カニ21]で電源車込みの4両。これでもちょっと微妙ですよね。
というわけで、「大事に」「走らせることなく」保管してました。
丸屋根の活用
せっかくなんで、なにか活用方法はないかなぁと思っていた時に、手元にあった12系客車を見てかつての急行「ちくま」を思い出しました。大阪と長野を結んでいた夜行列車です。晩年は14系寝台車+12系座席車での運行(厳密には14系14形→14系15形への変遷あり)でしたが、その前は20系寝台車+12系座席車です。これなら、20系客車が3両程度でも様になるんじゃない?と。
ただ、丸屋根のナハフ20が活躍する12系混結は記憶にありません。そりゃそうですよね。20系の座席車があるなら12系の座席車はいらないわけですし。
なので、丸屋根のナハフ20をナハネフ22に、切妻緩急車のナハネフ23を緩急車ではないナハネ20に「見立てます」というか「思い込みます」。「ちくま」が編成されていた形式とは違いますがナハネフ20は、寝台車でありながら種車がナハフ20なので窓の数は座席車のまま、という実例もあります。手元のナハフ20は窓から座席のシートが覗きますが、20系の丸屋根の「見た目」が大事ということで。あくまでも雰囲気です。
急行「ちくま」に擬装
当時の「ちくま」は [ナハネフ22]+[ナハネ20]+[ナハネ20]+[スハフ12]+[スハフ12]+[オハ12]+[オハ12]+[オハ12]+[オハ12]+[スハフ12]の10両編成。もちろん機関車は別に付きます。20系車両で使用するため電源はスハフ12が担っていましたので、手持ちの12系6両に、もう1両のスハフ12を新調しました。(そこはこだわるんだ…という声も聞こえてきそうですが)
この新調した1両は、20系との混結専用にします。というのもスハフ12の「中間連結側」は密自連形ボディマウントカプラーが付いていて、そのままではナハネフ23と連結できないんです。ナックルカプラーなら付くのか、というとそれもダメで、20系の3両は全車アーノルドカプラーです。
KATOのスハフ12は、緩急室側はボディマウントタイプのアーノルドカプラー、反対側は密自連形ボディマウントカプラーなので、「両方を取り外して前後逆に取り付ければ、20系連結側はアーノルドカプラーになるので万事解決」と、甘いことを考えてたんです。ところが、この二つ、そもそも「車掌室側」と「中間連結面側」とで全くの別物。大きさも違いますし、床下パーツとの接合部の形状も違うんですよね。緩急室側はボディマウントのアーノルドカプラーとナックルカプラーを交換できるように取り換えできる機構になっているためか、密自連形カプラーのみのパーツと比べてボディ(床板)に食い込む突起が大きいんです。
なので、床板を突起の分だけ内側にカットするなどの小細工(突起そのものをカットして接着するという方法の方がポピュラーかも)をして、ようやく完了。
ここまで苦労するなら、と、ついでにアーノルドカプラーをナックルカプラーに交換しておきました。連結できるように20系側はKATOカプラーNに変更しておきます。
伸縮タイプではないので見た目の車間は変わらないんですけどね。
ナハフ20のバックサインは、これをもらったときから付けられていた「はやぶさ」を「急行」に貼り替えておきました。もっとも、かなりの年代物なので、テールランプもバックサインも点灯はしません。いずれも車体と一体成型のプラスチックですから青色です。それ以前に車内に電気を引き込む仕組みがないんですよね。なので、ポン付けでの車内照明もできません。そのあたりにこだわるなら、加工するよりも最近の20系車両を購入する方がトータルコストは安くなりそうです。
というわけで、「ぱっと見『ちくま』」の出来上がり。12系のブルーのボディに走る白いラインが「ちくま」に使用された車両と微妙に違うのですが、雰囲気は十分味わえます。
牽引機関車は、名古屋までを牽引したEF58あたりがいいですかね。関西人なので。EF65-1000番台があればそれでも。
テールランプもバックサインも点灯しないので、基本的には機関車の次に並べます。最後尾のオハフ12はテールランプが点灯しますし。
急行「さんべ」
同じ頃(昭和50年代半ば)、鳥取県の米子から山陰本線を走り、関門トンネルをくぐって博多までを走っていた急行「さんべ」。
こちらも、同じように20系寝台車と12系座席車の混結編成です。座席車の数が「ちくま」に比べて少ないのは需要に応じて、というところですね。
オハ12を3両減らして寝台車3両、座席車4両にしました(4両のうち電源設備のあるスハフ12が3両あるのは正しくなく、本当は1両がオハフ13だったのですが…)。
山陰本線内では牽引機がDD51ですので、こっちの方が好みかも。
というわけで、「ちくま」「さんべ」のような(「ちくま」「さんべ」に見えなくもない)列車を走らせた、というお話でした。