20系「あけぼの」 終着駅青森へ
鉄道模型の趣味を再開して、この9月で2年になります。
この2年間でいくつもの車両を購入してきましたが、その多くが私自身にとって身近なもの、です。まぁ、それはそうでしょうね。興味のないものなんて、お金を出して購入しようとは思わないですから。
20系客車への想い
子供の頃から好きだったブルートレインは、14系、14系15形、24系25形と、この2年間で販売(再生産含む)されたものを結構な比率で購入してきましたが、手を出さなかったのが KATO 10-1725/1726 20系寝台特急「あさかぜ」(初期編成)8両基本セット/7両増結セット です。
違うんですよね、世代が。
最後尾にナハフ20の座席車を従えて走る姿は1965(昭和40)年10月改正までのもの。鉄道に興味を持つどころか、産まれる前の話です。
なので、「身近なもの」ではないんですよね。
とはいえ、20系客車というグループで考えると、急行に転用された時代、「銀河」や「天の川」、12系座席車とで組成された「だいせん」や「ちくま」など、子供の頃に現役で走っていた列車もありますし、興味が無いわけではありません。
特に、「だいせん」は初めて乗った寝台車ですから思い入れが強いですね。「ちくま」も家族旅行で大阪から長野まで乗車してますから20系当時の編成には強い関心があります。
ですので、鉄道模型でも20系+12系「ちくま」を走らせています。
この記事の中でも書いていますが、丸みを帯びた20系らしい屋根を持つナハネフ22と、ナハネ20、切妻の緩急車ナハネフ23のために購入したのが、ユーズドの KATO 10-366 20系 寝台客車 7両基本セット です。
「ちくま」や「さんべ」で十分に楽しんだのですが、電源車のカニ21、A寝台車のナロネ21、食堂車のナシ20は未使用のまま。
目的は達成したとはいえ、せっかくの車両を走らせないのはもったいないですから、活用法を検討していました。
20系ブルートレイン
とはいえ、です。
この7両で走ったブルートレインはありません。あくまでも「基本セット」であって、ナハネ20を追加して編成を組むためのベースです。
過去の編成表などをいろいろと調べてみた結果、ナハネ20を2両追加で購入すれば、リアルな編成になる列車が見つかったんです。
「あかつき」
それが「あかつき」。20系で大阪-西鹿児島・長崎を走っていた時代の、鳥栖-西鹿児島間。長崎編成を切り離した後の姿です。
カニ21・ナロネ21・ナシ20・ナハネフ23が各1両に、ナハネ20が4両の計8両。
「これだ!」と思ったものの、衝撃の事実に目が点になりました。
初期のロットなので、「出雲」は含まれていません。
次いで、11-320 バックサイン 20系客車用セット。
え?どちらにも「あかつき」が無い…。
これは衝撃でした。20系を代表する列車のほぼ全てが網羅されていると思っていたんですが、「あかつき」が含まれていなかったなんて。。
わずか2年半の運転だった「安芸」があるのに、です。
基本セットに白幕があるのでそれを活用しようにも、貼るシールはありませんからね。
というわけで、関西人にとっては悔しいですが「あかつき」での運転はひとまず断念しました。
「出雲」
他にもナハネ20が4両未満の編成もあったんですが、その多くが ナハ20 や ナハフ20/21 などの座席車を含む、ちょっと昔(馴染みの薄い)のもの。そもそもナハ20を持っていない時点で諦めざるを得ません。
そんな中、「あかつき」同様、付属編成を切り離した後の姿なら、少数のナハネ20でリアルな編成が実現できる列車が見つかりました。
それが「出雲」です。
出雲市で付属編成を切り離した後、出雲市-浜田間をカニ21・ナロネ21・ナシ20・ナハネフ23が各1両に、ナハネ20が4両の計8両で走っていました。さらには、デビュー後の4ヶ月間はナハネ20が3両だったとのことなので、ナハネ20を1両追加するだけで、好きな「出雲」を走らせられる…
と、浮かれたのも束の間。
山陰線の出雲市-浜田間を当時牽引していたのはDD51ではなく、DD54。
これは持ってないです。。
箱型スタイルの液体式ディーゼル機関車です。子供の頃に、弁天町の交通科学館で展示されていたのを何度も見ていましたが、子供心に「過去のもの」という印象が強かったこともあって、鉄道模型の車両としても持ち合わせはありません。ユーズドでも販売されているのを見かけてはいましたが、食指が動かなかった、というのが現実です。
それが、こんなところで裏目に出るとは…。
※もう少し調べてみると、1974(昭和49)年度内から山陰本線内はDD51による牽引に変わったそうですから、1975(昭和50)年に24系に置き換わるまでの数ヶ月は、DD51+20系の組み合わせがあったようですね。
「富士」「彗星」
「出雲」を諦めて別の列車を探します。
1968(昭和43)年10月以降、「富士」が大分で付属編成を切り離した後の大分-西鹿児島間と、「彗星」の大分-宮崎(1970年から都城)間は、同じ編成でした。所属はそれぞれ品川と向日町と違うのですが、基本編成・付属編成ともに同じですね。
いずれの列車も、基本編成はカニ21・ナロネ21・ナシ20・ナハネフ23が各1両に、ナハネ20が4両の計8両です。
が、こちらも牽引機関車がネックとなりました。
非電化だった大分以南は、DF50での牽引だったんですね。
DF50。こちらは紀勢本線でも活躍していたこと、14系「紀伊」を牽引していたこともあって若干欲しい気持ちもあるんですが、手元にないのは同じこと。
というわけで、全敗です。
ちなみに。
「富士」の付属編成が下関で切り離されていた時代があって、そのうち1965(昭和40)年10月から1968(昭和43)年10月までは電源車もカニ21でしたので、基本セット+ナハネ20を追加で2両用意することで、電化区間の門司-大分をED76が牽引していた姿を再現できるかに思えたのですが、手持ちのED76は1000番台のみ。これは1970(昭和45)年に製造されたものですから、リアリティに欠ける、と断念しました。
あれ?ということは、「はやぶさ」の鳥栖-西鹿児島間(当時の「はやぶさ」は付属編成が長崎に行ってたんですよね)を、ED76-1000で牽引できる??
と期待したものの、基本編成の7号車がナハネフ23ではなく、ナハフ21改造のナハネフ21でした。
これ、単体では発売されていなので、さらにハードルが高いですよね。。
「あさかぜ」
燈台下暗し。下関「あさかぜ」が、広島で付属編成を切り離した後の編成が、カニ21・ナロネ21・ナシ20・ナハネフ23が各1両に、ナハネ20が4両の計8両でした。
が、またしても牽引機の問題が。
1972(昭和47)年3月改正から、下関「あさかぜ」が24系25形化される1977(昭和52)年10月までの間の牽引機は、EF65の500番台。
無くはないんですが、年代物ゆえ、スムーズに走らなくなってしまってます。なので、ちょっと諦めてます。
「あけぼの」
というわけで、ナハネ20を2両追加しての再現案は全滅(出雲のDD51に気付いていれば、と悔やまれます)。
ナハネ20を3両追加すると…。
大きく展開するのかと思いきや、増える候補は「あけぼの」だけ。
とはいえ、なんとか実現できそうです。
1970(昭和45)年10月~1973(昭和48)年10月
←1002ㇾ 上野
1001ㇾ 青森→
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | |
カニ21 | ナロネ21 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナシ20 | ナハネ20 | ナハネフ23 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネ20 | ナハネフ22 |
電源車 | A寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | 食堂車 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 | B寝台 |
このうち、付属編成の5両を秋田で切り離した後、秋田-青森間を、カニ21・ナロネ21・ナシ20・ナハネフ23が各1両に、ナハネ20が5両の計9両で走っていました。
この区間の牽引機関車は、登場時から1971(昭和46)年10月までがDD51、それ以降がED75の700番台です。
「出雲」ではないですが、DD51牽引がリアルに実現できるとあって、これに飛びつきました。
20系「あけぼの」
最後まで20系を使用した寝台特急列車として有名な「あけぼの」。1980(昭和55)年10月改正まで、幅52cmのベッドで寝台特急を名乗ってました。寝台急行「天の川」に20系が投入されて以降も、寝台特急として走っていたんですよね。
福島から奥羽本線を走る印象が根強いんですが、1990(平成2)年からは山形新幹線の工事に伴って、1/4号が上越線経由の「鳥海」に、3/2号が陸羽東線経由になったり、「あけぼの」そのものが上越線経由になったり、いろいろと歴史のある列車です。
2014(平成26)年3月に廃止になるわけですが、上越線経由だった時代が17年もあるわけですから、若い世代の方が持つ「あけぼの」像というと、EF64牽引の姿なのかもしれないですね。
で、寝台特急「あけぼの」としてデビューしてから10年間、20系で走り続けたわけですが、その誕生当時の姿(のうちの秋田-青森間)を再現したいと思います。
ナハネ20の増備
これが最も大事なところですね。もちろん、現状では新品での購入はほぼ無理な状態ですので、ユーズドになります。基本セットを購入したお店とは別になりますが、質の良さそうなナハネ20が3両、手に入りました。
手に入らなければ、この企画はここで終了、です。。
バックサインの交換
カニ21は、今回初めて使用するので、基本セットに付属のバックサインを取り付けるだけです。
ナハネフ23には「急行」を取り付けていましたので、それを「あけぼの」に取り替えます。
ナハネフ23は、左側がひらがなの「あけぼの」。右側が「AKEBONO」なんですが、「絶対」ではないのかもしれないですね。ネット上で過去の写真を見ると、「あけぼの」ではないんですが、右側がひらがな、左側がローマ字で走っている姿のものも、それなりに見られます。
今回、青森行の下り「あけぼの」として走らせたいので、ナハネフ23は先頭側になります。上野寄りの最後尾がカニ21ですね。
ヘッドマークの取り付け
DD51牽引というワクワク感が高まるものの、DD51用の「あけぼの」ヘッドマークはありません。
ですので、用意したのがED75-700用のヘッドマークです。
DD51用のヘッドマークは、先頭のチェーン部分に引っ掛けられるよう、カギが付けられています。
ED75に付属のヘッドマークは裏が平らですから、引っ掛けるのは無理です。
チェーン部分は、まさに「線」ですし、接着面積も限られていますので両面テープでも安定しません。
ですので、小さくカットしたマスキングテープで、裏からチェーンを挟んで貼り付けてみました。裏側からの写真はありませんが、なんとか安定しています。
ナハネフ23のTNカプラー対応
それと、もうひとつやっておかないといけないのが、ナハネフ23のカプラーへの加工です。
ナハネフ23は、標準でKATOカプラーが装着されていますが、TOMIXのTNカプラーに換装したDD51で牽引するために、穴を開けます。
最近、ピンバイスの扱いに、やや慣れてきたこともあってか、結構きれいに仕上がりました。
ただ、ちょっと(おそらくほんのちょっと)、穴が台車寄りになってしまったのか、カーブでの脱線が頻発。これについては、追加の調査をしておきたいところです。
ところで、秋田-青森電化前の1971(昭和46)年10月まで、山形-青森間をDD51が牽引していたという資料は見つかるのですが、秋田で機関車を交換した、というのが見つかりません。
秋田で切り離す付属編成は青森方に連結されていたので、秋田到着後、DD51がそのまま切り離した5両を移動させると思うのですが、留置線に運んだあと、もう一度本線に戻って「あけぼの」を牽引するの?という違和感です。
普通に考えると、切り離した機関車は付属編成とともに留置線に入り、別のDD51が「あけぼの」を牽引する、ということになるのではないか、と。DD51は秋田機関区でしたしね。運用上も、その方が都合が良さそうな気がします。
というわけで、最後のは余談として、準備が整いましたので、走らせてみたいと思います。
DD51と「あけぼの」
まずは、駅の通過シーンから。
5両のナハネ20を含み、電源車込みで客車が9両、DD51を合わせると10両ですから、付属編成を切り離した後とはいえ、見栄えのする編成に仕上がったと思います。
続いては、インカーブでの撮影。
インカーブなので、車間が縮まって、いい感じですね。
続いて、写真を何枚か。
DD51の次位にある切妻のナハネフ23が印象的です。
DD51のヘッドマークもいい感じで付いてます。マスキングテープが下側に少しはみ出してますが。。
続いては、最後尾カニ21。
バックサインが赤過ぎる、という思いがあったんですが、Wikipediaにも挙げられている写真を見る限り、そんなに違いが無いのかもしれないですね。
カニ21以外の車両を少し。
A寝台車のナロネ21と食堂車のナシ20です。
ナシ20と言えば、先述の交通科学館で、食堂車として営業していたのを思い出します。結局、中での食事は機会が無かったんですけどね。
ED75と「あけぼの」
せっかくなので、1971(昭和46)年10月に秋田-青森間が電化された後の姿でも走らせてみました。
この時に調達した機関車です。
ヘッドマークは、両面テープで装着しています。
続いては、駅停車中の写真。
最後は、S字カーブ走行中の写真です。
というわけで、「20系 寝台客車 7両基本セット」にナハネ20を3両追加して、1970~73年の寝台特急「あけぼの」の姿で走らせた、というお話でした。
秋田から青森の間、ということで、終着駅青森間近のラストスパートという意味を込めてタイトルを付けてみました。
20系車両を活用したい、ということで時代的にもエリア的にも「身近なもの」ではなかったんですが、走らせてみると興味が湧いてきたのも事実。
ナハネ20をもう少し増備したら、別の列車にも出来そうですね。次は、どの列車で走らせてみましょうか。