時刻表復刻版 1925年4月号を購入
JTBパブリッシングが発行する『時刻表復刻版』に、第7弾となる 1925年4月号が発売されました。
時刻表復刻版 第7弾
第1弾「1964年10月号」(昭和39年)
第2弾「1964年9月号」
第3弾「1988年3月号」(昭和63年)
第4弾「1968年10月号」(昭和43年)
第5弾「1967年10月号」(昭和42年)
第6弾「1978年10月号」(昭和53年)
と続いて、今回が第7弾。
その第7弾は「1925年4月号」。大正14年です。このシリーズで最も古かった1964年からでも、39年も前のもの。
なぜ1925年4月号なのか、というと、いまのJTB時刻表につながる「創刊号」だったんですね。記念すべき時刻表の復刻版、というわけです。
そろそろサンロクトオ(昭和36年10月の白紙ダイヤ改正)が来るかと思ったら、いきなり丹那トンネル開通よりも前の大正時代にタイムスリップ。
もはや「懐かしさ」は微塵も感じず、購入前はあまり興味も惹かれなかったんですが、手にしてみると資料として非常に面白い一冊であることが判りました。
では、さっそく眺めていきましょう。
今回も、復刻版の表紙カバーを外すと、当時の表紙が現れます。
当時の価格は50銭。もう、何と比べたらいいのか…という隔たりです。
価格よりも意外な気がしたのが、「鐡道省運輸局編纂 汽車時間表」という文字。時刻表ではなく時間表、という話ではなく、左から右への書き方なんですよね。戦前の横書き日本語は右から左が一般的なのかと思っていたんですが、表紙だけでなく、本文も、「ほぼ」左から右への記載。なので、抵抗なく読むことが出来ます。
※「ほぼ」=広告ページに、一部右から左へと記載されている箇所があります。「社會式株道鐡洲滿南」とか。
資料として楽しむ
というわけで、まだ戦争の足音が近付く前の大正末期、丹那トンネルや関門トンネル開通前の時刻表を関西の視点から楽しんででみたいと思います。
ポイント①:大阪環状線なんて無い
大阪環状線が「環状線」になったのは、1961(昭和36)年という、大正時代からするとずっと後のこと。西九条~天王寺間の開通で、環状になったわけです(環状の線路がつながって、環状運転が始まるのは、その3年後のこと)。
そんなわけで、当時はまだ桜島~西九条~大阪が「西成線」、大阪~京橋~天王寺が「城東線」と呼ばれていました。
城東線下りの初電・終電を記載すると、こんな感じ。
大正14年 | 4月 | 令和4年 | 3月 | |||
801 | 873 | 初電 | 終電 | |||
大阪 | 発 | 525 | 2300 | 455 | 002 | |
天満 | 発 | 529 | 2304 | 457 | 005 | |
桜ノ宮 | 発 | 532 | 2307 | 459 | 007 | |
京橋 | 発 | 537 | 2312 | 503 | 010 | |
玉造 | 発 | 542 | 2317 | 509 | 016 | |
桃谷 | 発 | 545 | 2320 | 513 | 021 | |
天王寺 | 着 | 549 | 2324 | 517 | 025 | |
湊町 2340 |
ぱっと見たとき、主要駅だけの記載かと思ってしまったんですが、これが当時の「全駅」です。
昭和58年に開業した大阪城公園はともかく、大阪電気軌道(今の近鉄奈良線)が既に上本町~奈良間で営業を始めた頃、まだ城東線に「鶴橋駅」が無かった、というのは興味深いところです。
ちなみに、現在のJR大阪環状線の初電・終電も当時の駅のみ掲載しました。
所要時間は22~24分といったところでしょうか。4駅増えても、電車の性能が上がって所要時間がほぼ同じ、というのが面白いですよね。
ポイント②:阪和線も無い
阪和線が前身の阪和電気鉄道として開業したのは、この4年後、1929(昭和4)年7月のこと。
では、和歌山まで電車で行けなかったのか、というとそんなことはありません。南海電鉄(南海鉄道)は、1903(明治36)年には、難波~和歌山市間が全通しています。
阪和線、意外と新しいんですね。
ポイント③:もっと南は陸の孤島
とはいえ、和歌山市~和歌山(現・紀和)~王寺の和歌山線は開通してましたし、和歌山~箕島間も紀勢西線として開通してました。が、鉄路はそこまで。
紀伊勝浦~新宮間は新宮鉄道として開業はしていましたが、箕島~紀伊勝浦は、鉄道で移動することはできませんでした。田辺までは、乗合バスが走っていたようですが、大阪から紀伊勝浦まで公共交通機関で移動しようとなると、「船」になります。
大阪(天保山)を14:30に出港する大阪商船の船(およそ730トン)が、田辺には23:30に、勝浦には翌朝5:00に着いていたようです。帰り便は、勝浦を朝8:30に出港して田辺には13:50着、大阪天保山に21:30。そんな時代でした。
ちなみに、箕島~田辺間の「乗合自動車」ですが、白浜温泉自動車という会社が、1日に5往復運行していて、所要時間は片道「4時間乃至4時間20分」。運賃は5円70銭。面白いのが「雨天ノ場合ハ運賃2割増」の記載。よっぽど道が悪かったんでしょうね。
5円70銭というのは、国鉄の3等だと325哩(マイル)を乗車できる金額。東京~京都が326.4哩ですので、路線バスとはいえ、結構高額ですよね。
ポイント④:後につながる長距離列車の存在
紀勢線や土讃線、上越線、石北線など、山間を走る鉄道は、現在の幹線クラスでも未開通のところは多いのですが(丹那トンネル・関門トンネルもそうですね)、日本の骨格を走る主要路線は、かなり形作られています。
中でも着目したいのが、神戸・青森の日本海縦貫線を走る503列車。
まずは、時刻表復刻版 1967年10月号で紹介した急行「日本海」「きたぐに」のダイヤと合わせてご覧ください。
大正14年4月 | 昭和42年10月 | 昭和43年10月 | ← 同左 | ||||
503 | 501 | 2001 | 501 | ||||
カッコ内は 大正時の名 | 急行日本海 | 特急日本海 | 急行きたぐに | ||||
神戸 | 発 | 2150 | … | … | … | ||
三ノ宮 | 発 | 2157 | … | … | … | ||
大阪 | 着 | 2235 | … | … | … | ||
発 | 2245 | 2040 | 1930 | 2045 | |||
京都 | 着 | 2333 | 2116 | 2004 | 2125 | ||
発 | 2340 | 2121 | 2005 | 2128 | |||
大津 | 発 | 001 | 2134 | レ | 2139 | ||
米原 | 着 | 105 | 2244 | 2054 | 2238 | ||
発 | 112 | 2254 | 2059 | 2252 | |||
田村 | 発 | レ | 2305 | レ | 2304 | ||
長浜 | 発 | レ | 2310 | レ | 2309 | ||
敦賀 | 着 | 246 | 2346 | 2145 | 2342 | ||
発 | 252 | 2352 | 2146 | 2346 | |||
武生 | 発 | 409 | 029 | レ | 022 | ||
福井 | 着 | 434 | 048 | 2228 | 040 | ||
発 | 437 | 052 | 2229 | 045 | |||
小松 | 発 | 550 | 142 | レ | 137 | ||
金沢 | 着 | 629 | 211 | 2327 | 206 | ||
発 | 634 | 216 | 2330 | 214 | |||
津幡 | 着 | 650 | 228 | レ | – | ||
発 | 652 | 229 | レ | 227 | |||
高岡 | 着 | – | 257 | 004 | 254 | ||
発 | 735 | 300 | 005 | 256 | |||
富山 | 着 | 800 | 317 | 021 | 314 | ||
発 | 807 | 324 | 024 | 324 | |||
魚津 | 発 | 846 | 350 | レ | 347 | ||
糸魚川 | 着 | – | 445 | レ | 443 | ||
発 | 1010 | 455 | レ | 457 | |||
直江津 | 着 | 1128 | 555 | 223 | 552 | ||
発 | 1138 | 602 | 225 | 602 | |||
柏崎 | 着 | – | 641 | レ | 641 | ||
発 | 1248 | 642 | レ | 642 | |||
長岡 | 着 | – | 725 | レ | 725 | ||
発 | 1405 | 735 | レ | 734 | |||
見附 | 発 | 1430 | 748 | レ | 747 | ||
東三条(三條) | 発 | 1447 | 802 | レ | 801 | ||
新津 | 着 | 1530 | 829 | 417 | 829 | ||
発 | 1544 | 832 | 422 | 832 | |||
新潟 | 着 | || | 848 | || | 848 | ||
発 | || | 906 | || | 907 | |||
新発田 | 着 | – | 937 | レ | 937 | ||
発 | 1627 | 938 | レ | 940 | |||
中条 | 発 | 1654 | 952 | レ | 956 | ||
坂町 | 着 | – | 1004 | レ | 1008 | ||
発 | 1712 | 1017 | レ | 1011 | |||
村上 | 着 | – | 1029 | レ | – | ||
発 | 1738 | 1037 | レ | 1027 | |||
温海 | 着 | – | 1131 | レ | – | ||
発 | 1910 | 1132 | レ | 1127 | |||
羽前大山 | 発 | 1954 | 1205 | レ | レ | ||
鶴岡 | 着 | 2004 | 1213 | – | – | ||
発 | 2010 | 1214 | 632 | 1201 | |||
酒田 | 着 | 2100 | 1241 | 656 | 1230 | ||
発 | 2108 | 1248 | 700 | 1240 | |||
羽後本荘 | 着 | – | 1351 | 757 | 1345 | ||
発 | 2302 | 1353 | 758 | 1346 | |||
秋田 | 着 | 016 | 1437 | 859 | 1429 | ||
発 | 025 | 1448 | 846 | 1439 | |||
東能代(機織) | 着 | 143 | – | 938 | 1544 | ||
発 | 149 | 1554 | 939 | 1546 | |||
鷹ノ巣 | 発 | レ | 1633 | レ | 1619 | ||
大館 | 着 | – | 1655 | 1025 | 1641 | ||
発 | 300 | 1705 | 1028 | 1646 | |||
碇ケ関 | 発 | 355 | レ | レ | 1728 | ||
大鰐 | 発 | 406 | 1748 | レ | レ | ||
弘前 | 着 | 422 | 1801 | 1113 | 1751 | ||
発 | 426 | 1804 | 1114 | 1753 | |||
青森 | 着 | 530 | 1844 | 1150 | 1832 |
503列車が急行料金を要するのは、神戸から富山の間。それ以降は停車駅も増えて、普通列車となるようです。それでも、寝台車は終点青森まで連結していて、2夜行の運転でした。
列車番号がその後の急行「日本海」→「きたぐに」につながる500番台というのが、いいですね。
この2夜行というのが面白いところで、寝台料金は、
○寝台料金
汽車ノ二等寝台 並型 一夜行二付一箇 上段三円・下段四円五十銭
「一夜行に付き」という注釈があります。
ということは、大阪から青森まで乗車すると、2倍かかる、ということですよね(きっと)。
きちんと、毎夜ベッドメイキング(シーツの取替)してもらっていたんでしょうかね。
急行「きたぐに」の前身がこの列車なら、急行「だいせん」の前身がこちら。
昭和53年の20系時代、平成10年の12系座席車+14系15形寝台車の時代と合わせてご覧ください。
大正14年4月 | 昭和53年10月 | 平成10年3月 | ||||||
709 | 705 | 125 | 705 | 3735 | ||||
カッコ内は 大正時の名 | 急行 だいせん5号 | 急行 だいせん | 快速 | |||||
大阪 | 発 | 2125 | 2132 | … | 2255 | … | ||
尼崎(神崎) | 発 | 2145 | レ | … | 2303 | … | ||
宝塚 | 着 | – | – | … | 2322 | … | ||
発 | 2220 | 2210 | … | 2323 | … | |||
三田 | 着 | 2258 | 2235 | … | 2341 | … | ||
発 | 2300 | 2236 | … | 2342 | … | |||
篠山口(篠山) | 着 | – | 2306 | … | 009 | … | ||
発 | 2343 | 2310 | … | 010 | … | |||
柏原 | 発 | 020 | 2340 | … | 035 | … | ||
福知山 | 着 | 055 | 012 | … | 101 | … | ||
発 | 101 | 039 | … | 125 | … | |||
和田山 | 着 | – | 114 | … | 200 | … | ||
発 | 157 | 115 | … | 200 | … | |||
豊岡 | 着 | – | 142 | … | 228 | … | ||
発 | 243 | 145 | … | 230 | … | |||
城崎 | 着 | – | 155 | … | 240 | … | ||
発 | 259 | 156 | … | 241 | … | |||
香住 | 発 | レ | 222 | … | 314 | … | ||
浜坂 | 着 | – | 244 | … | 335 | … | ||
発 | 406 | 244 | … | 335 | … | |||
鳥取 | 着 | 500 | 322 | … | 412 | … | ||
発 | 507 | 332 | … | 414 | … | |||
倉吉(上井) | 着 | – | 414 | … | 452 | … | ||
発 | 615 | 419 | … | ↳ | 453 | |||
由良 | 発 | 630 | レ | … | … | 503 | ||
浦安(八橋) | 発 | 640 | レ | … | … | 511 | ||
赤碕 | 発 | 650 | レ | … | … | 518 | ||
大山口(-) | 発 | レ | 456 | … | … | 535 | ||
淀江 | 発 | 725 | レ | … | … | 540 | ||
伯耆大山 | 発 | 734 | レ | … | … | 547 | ||
米子 | 着 | 741 | 512 | … | … | 553 | ||
発 | 747 | 519 | … | … | 608 | |||
安来 | 発 | 800 | 530 | … | … | 617 | ||
松江 | 着 | 830 | 557 | … | … | 636 | ||
発 | 832 | 605 | … | … | 637 | |||
乃木(-) | 発 | レ | レ | … | … | 641 | ||
玉造温泉(湯町) | 発 | 841 | 613 | … | … | 646 | ||
来待(-) | 発 | レ | レ | … | … | 653 | ||
宍道 | 発 | 855 | 632 | … | … | 659 | ||
荘原 | 発 | 902 | レ | … | … | 706 | ||
直江 | 発 | 912 | レ | … | … | 719 | ||
出雲市(出雲今市) | 着 | 920 | 650 | … | … | 726 | ||
発 | 926 | ↳ | 707 | … | ー | |||
出雲高松(朝山) | 発 | 938 | … | 713 | … | … | ||
荒茅(-) | 発 | レ | … | レ | … | … | ||
大社 | 着 | 939 | … | 720 | … | … |
709列車は、急行料金が不要の列車でしたが、鳥取まで(夜間)は、後の急行並みの停車駅でした。
大阪発の福知山線経由で大社行。完全に急行だいせんの前身ですね。
普通列車ながら、二等並型の寝台車を全区間で連結していました。
ポイント⑤:大日本帝国の時代を感じる
最初の方のページに、「鉄道線路略図」があり、時刻表の索引にもなっていますが、その地図には樺太・朝鮮・支那・臺灣(台湾)が小さく載っています。戦前の大日本帝国の時代ですから。
時刻表の最初にある連絡早見表(って、いつから無くなったんでしたっけ?)の元となる「東京以西連絡」「東京以北連絡」「青森、金沢、鳥取、下関間連絡(裏日本)」に次いで、「支那及満洲連絡」「西比利亞(シベリア)連絡」と続きます。
シベリア連絡は、東京や関西などから敦賀までの鉄道線と敦賀からウラジオストクまでの航路、そこから先のハルビンや満洲里(現・内モンゴル自治区)までの鉄路と続きます。
時刻表本体部も北海道の室蘭本線や池田・網走間の網走本線などに続いて沖縄県営鉄道、樺太鉄道、台湾総督府鉄道、満州鉄道と続きます。
そういう時代だった、ってことですね。
最後に
全般に旧字体が使われていて、若干の読みづらさはあるものの、時刻表の体裁などは今のものとほとんど変わらず、古文を解読しながら読むような厄介さは感じません。純粋に楽しめます。
が、ひとつだけ、どう頑張っても馴染めなかったのが「駅名索引」。
子供の頃から、英語(アルファベット)はともかく、日本語は五十音順が当たり前と思って過ごしてきたので、この「いろは順」は衝撃でした。
探せない…
例えば、大阪駅を探すとします。一文字目「お」って、何番目?から始まります。「いろはにほへとちりぬるを(お)」で、「お・を」欄を探して、二文字目「お」。
…。
え?二文字目は、五十音順??
「お・を」欄は、順番に、小川・小川郷・(略)・小木・(略)・小郡・(略)・小田原・・・と続きます。
なんだこりゃ、です。五十音順ですよね。
でも、小野田・(略)・小布施・(略)・小山・小山田となりますが、あれ?大阪は?そういえば、小川より、前のはず。。
で、小山田の次が、生保内(おぼない)・下石(おろし)・(略)・尾張一宮・(略)・尾道・阿幸(おこう)で、その次が追分。
あ、読みじゃなくて、漢字で並べてる?なるほどなるほど。それなら納得です。
一文字目が「小(お)」が並んだあと「生(お)」「下(お)」(略)「尾(お)」「阿(お)」と来て、次に「追(おい)」。そのあと「老(おい)」「置(おい)」(略)「岡(おか)」「沖(おき)」と続きます。
なるほどなるほど。で、大阪は?
「鬼(おに)」「自(おの)」の次に「大」が来ます。え?
謎の法則に、最後まで理解できませんでした。。
(「大阪」は「おほさか」なので「自(おの)」の後なのかと納得しかけたんですが、「乙供(おっとも)」・「乙女(おとめ)」や「姨捨(おばすて)」よりも前なので、やはり何か別ルールがあるようです)
そんな謎解きも楽しめる、大正14年の時刻表。まだまだ目を通せていない驚きポイントがありそうですので、興味のある方は、ぜひ、お試しください。