時刻表復刻版 1982年6月号を購入

JTBパブリッシングが発行する『時刻表復刻版』に、第11弾となる 1982年6月号が発売されました。

時刻表復刻版 第11弾

第1弾「1964年10月号」(昭和39年)
第2弾「1964年9月号」
第3弾「1988年3月号」(昭和63年)
第4弾「1968年10月号」(昭和43年)
第5弾「1967年10月号」(昭和42年)
第6弾「1978年10月号」(昭和53年)
第7弾「1925年4月号」(大正14年)
第8弾「1982年11月号」(昭和57年)
第9弾「1985年3月号」(昭和60年)
第10弾「1972年3月号」(昭和47年)

と続いての、第11弾。(リンクは、それぞれの紹介ページです)

今回の第11弾は「1982年6月号」。昭和57年6月です。東北新幹線の大宮~盛岡間が開通したダイヤ改正号ですね。

第8弾の1982年11月号は、上越新幹線の開業と東北新幹線の本格稼働となった大改正号。この改正では東北・上越新幹線に接続する列車体系が全面見直しとなったのに対して、その5ヶ月前の6月23日改正は、東北新幹線開業という大きなトピックがあったにもかかわらず、大きな変更は無し。

関西人としては、その1週間後に実施された7月1日のダイヤ改正の方が身近に感じられるかもしれませんね。伯備線電化による特急「やくも」の381系化、です。

ある意味、この2つで1982年6月号の大部分を語ってしまった感はあるんですが、関西人の私が個人的に気になった部分について、見ていきたいと思います。

ポイント①:14系「金星」「あかつき」「彗星」

一つ目がそれ?という声が出そうですが、名古屋発「金星」、新大阪発「あかつき」「彗星」が、14系座席車で運転されていました。いずれも「51号/52号」の、臨時列車ですけどね。

他の復刻版では見られないので、貴重な資料かと思ったんですが、それもそのはず。6月号なのでお盆時期を含む夏の臨時列車が掲載されていたんですね。

10月改正、11月改正号は年末年始を含まない12月中旬までの秋の臨時列車のみ掲載ですし、3月改正号はゴールデンウイークの臨時列車を含むものの、1985年には既に座席での夜行列車需要が低下していたのか、設定されていませんでした。(1972年3月号には座席車のみの「あかつき51号」が春休み期間運転として掲載されていましたが、12系座席車が使用された、とのことのようですね。それはそれで気になる運用ですが…)

「あかつき51/52号」「彗星51/52号」は、新大阪-長崎・佐世保、新大阪-宮崎、と定期列車と同じ走行区間だったのに対して、「金星51/52号」は名古屋-西鹿児島間の運転。定期列車が名古屋-博多なのに、博多-西鹿児島を延長しての臨時列車でした。

名古屋を16:30に発車して新大阪が19:07発。そのわずか3分後に「あかつき51号」が発車するという雁行ダイヤ。博多にはそれぞれ4:41、5:01に到着し、「金星51号」の西鹿児島到着は10:28、「あかつき51号」は長崎7:55着、佐世保7:47着というダイヤだったようです。

実際のところ、名古屋-京都間での乗車がどれだけあったのかはわかりませんが、実質的には「明星51/52号」的な存在だったのかもしれませんね。

しかし、定期列車が583系の寝台電車なのに臨時が14系客車というのが面白いところです。ただ、残念ながら「金星」はこの年11月の改正で廃止となっています。

ポイント②:さらば青森行急行「きたぐに」

大阪を22:10に発車し、翌夕17:10に青森に到着する急行「きたぐに」。上りは青森を昼の12:55に出て、翌朝8:27に大阪に到着する長距離ランナーです。

1982年11月の改正で新潟-青森間は L特急「いなほ3号」という上越新幹線(朝7:05大宮発の「あさひ101号」)接続列車に置き換わり、新潟止めとなりますから、青森「きたぐに」の最後の姿になります。

大阪からの下りは「山陽本線・東海道本線[上り]」のページから始まりますので、そこでは気付かないんですが、米原からは「きたぐに」のすぐ前を急行「あおもり」が走ります。【名古屋発8月11・12日運転】の注釈が付いた臨時列車です。「きたぐに」と違って、全車座席車。指定席車はありますが、「新津から全車自由席」の注記付き。

名古屋を22:00に出て、米原は「きたぐに」の42分前、23:28の発車。新津は7:49着ですから「きたぐに」の40分前ですね。この区間は40分ほどの先行で走っていたようです。

「きたぐに」は新潟に寄って寝台車5両を切り離し、方向を変えて白新線を青森方面へと走りますが、「あおもり」は新津からそのまま羽越本線へ。新津で25分という長時間停車をするものの、遠回り+車両切り離し+機関車交換の「きたぐに」との時間差は当然のごとく開き、新発田発車の時点で50分差に。

ところが、酒田での12分停車が影響するのか羽後本荘発車時点で26分差。秋田までに運転停車をするんでしょうか、秋田到着は「あおもり」が13:36、「きたぐに」が13:46と10分差になっています。

なぜか弘前発車時点で23分差にまで広がるものの、終点青森は「あおもり」が17:01、「きたぐに」が17:10着と9分差にまで縮めてのゴールとなります。

名古屋から青森まで19時間1分をかけて走るこの臨時急行「あおもり」。2夜連続で走るのに、上りの設定が無いのが不思議なところ。12系車両を2編成も青森に送り込むのに、帰りは回送なんでしょうかね。

ポイント③:ディーゼル L特急「やくも」

子供の頃、L特急というと、関西圏では「雷鳥」や「くろしお」が有名でしたが異色のL特急が「やくも」でした。L特急というと183系や485系、381系の電車特急というイメージが強いんですが、「やくも」は唯一のディーゼル特急。キハ181系での運転でした。

伯備線も山陰本線も非電化でしたからね。

主に岡山-出雲市間を走るL特急で、定期列車で6往復。うち1往復が出雲市より先、益田まで足を延ばしていました。

全列車ともに食堂車を連結していましたから、同じ山陰本線の特急でも「はまかぜ」や「あさしお」「おき」よりも格上だった印象はあります。

それが、7月1日の改正で全列車、岡山-出雲市間になり、それまで岡山-米子間を走っていた急行「伯耆」2往復の格上げ分を含めて8往復(1往復は季節列車)が一気に381系の電車L特急となりました。

この改正ダイヤが時刻表前寄りの黄色いページに記載されています。本文は、6月30日までのダイヤになっています。

ポイント④:変わる山陰地方

「やくも」以外での劇的な変化は無いんですが、急行「だいせん5号」の米子-出雲市間快速化は、20分ほど前を先行する普通列車の廃止とを抱き合わせた合理化ですね。

京都口はほぼ変化なし。B寝台連結の普通「山陰」もそのままです。

やはり、この改正では、出雲市近辺での動きが大きいですね。鳥取発出雲市行の急行「美保」がひっそりと消えてます。同じような筋で鳥取発の快速列車に置き換わってますね。米子から出雲市ではなく境港へと直通しています(「美保」の名前が無くなってから終着駅が美保関に近付いているのも面白いところ)。米子からは知井宮(現・西出雲)行の普通電車が接続列車として追加に。京都よりも米子・松江・出雲市付近が先に電化したということなんですよね。

急行「石見1号」は普通列車区間の米子-出雲市を別列車(普通電車)に分割し、出雲市-長門市間の急行「ながと」に名前を変えています。大阪発の急行「だいせん1号」に併結される急行「ながと」の時間を繰り上げた形ですね。「だいせん1号」の終点浜田から同日中に長門市へと接続する列車が無くなっています。

L特急「やくも7号」益田行は当然ながら出雲市止まり(名前は「やくも11号」に)となりましたから、それまでの急行「石見3号」のダイヤを大幅に繰り上げて急行「石見」としたんでしょうが、出雲市で1時間近く待つのは接続列車として、どうなんでしょうね。そもそも岡山方面から出雲市以遠への直通需要は少なかった、ということなんでしょうか。

米子以東に目を向ければ、大阪12:30発の急行「みささ3号」倉吉行が、快速列車として米子まで延長されています。

でもこれ、急行「大社」廃止の救済なんですよね。

急行「大社」。面白い経路の列車でした。名古屋9:30発で米原から北陸本線へ。敦賀で福井からの車両を連結して、小浜線、宮津線(現・京都丹後鉄道宮舞線/宮豊線)で豊岡へ。そのまま山陰本線を走り出雲市から普通列車として名前の通り、大社駅(20:31着)へと走る列車です。

宮脇俊三氏の『最長片道切符の旅』(新潮文庫 昭和58年4月)で、宮脇氏が米原から豊岡までこの急行「大社」に乗車するんですが、そのくだりが忘れられない列車です。

その大社行(上りは出雲市発)の急行「大社」が、こともあろうか7月の改正で京都府内の天橋立で打ち切りに。もはや「大社」の名前が意味不明状態です。普通の発想なら「はしだて」あたりに改称しそうなところですが、それは見送り。

きっと、4ヶ月後の11月改正で急行「大社」が廃止されることが決まってたんでしょうね。11月改正では名古屋-天橋立間の急行「大社」が廃止され、付属編成(おまけ)だと思っていた福井編成だけが生き残って福井-天橋立間の急行「はしだて」として生まれ変わっています。7月改正で「はしだて」に改称していたら、名古屋編成を廃止しにくかった、という事情があるのかもしれませんね。

ポイント⑤:やっぱり東北新幹線・東北本線

なんだかんだと目立つのは東北新幹線の開業。とはいっても、開業日は、そんなに寂しかったの?という運転本数でした。

下りは、
大宮発7:15「やまびこ11号」10:32盛岡着
大宮発8:20「あおば201号」10:32仙台着
大宮発10:15「あおば203号」12:32仙台着
大宮発11:15「やまびこ15号」14:32盛岡着
大宮発13:15「あおば205号」15:32仙台着
大宮発15:15「やまびこ17号」18:32盛岡着
大宮発16:20「あおば207号」18:37仙台着
大宮発17:15「やまびこ19号」20:32盛岡着
大宮発17:45「あおば209号」20:02仙台着
大宮発19:23「やまびこ21号」22:42盛岡着
大宮発20:30「あおば211号」22:47仙台着
だけ。

上りも、「やまびこ」5本、「あおば」6本の11本だけ。いかにも暫定開業という感じです。

6月23日以降の東北本線は巻頭の黄色いページに、6月22日以前のダイヤが本文に記載されていて、両方を見ることができるんですが、東北新幹線開業後も、青森行「はつかり」や秋田行「つばさ」、山形行「やまばと」、会津若松行「あいづ」の各特急はもちろんのこと、秋田行「おが」、仙台行「まつしま」、黒磯行「なすの」、会津若松/喜多方行「ばんだい」、福島行「あづま」など、昼行の急行列車すら、削減されずに走り続けています。

要は、運転を始めた東北新幹線の数に相当する盛岡行特急「やまびこ」4往復、仙台行特急「ひばり」14往復中6往復が廃止になっただけのようですね。

それだけに、同年11月の本格開業による在来線特急網の再編は激震が走りましたね。新幹線が直通しない会津若松行の「あいづ」や秋田行「つばさ」の1往復、山形行「やまばと」や、新幹線が停車しない駅をフォローする急行列車は辛うじて残りましたが、伝統の「はつかり」は盛岡発の接続列車になりましたし、秋田へは田沢湖線経由の「たざわ」がメインルートになりました。

1982年6月改正は、そんな過渡期感が満載の改正でした。

というわけで、実は西日本の方がいろいろと変化があったんじゃないか、と思わせる1982年6/7月改正ダイヤ(時刻表復刻版 1982年6月号)を、関西人の目線から紹介してみました。