24系 寝台特急「日本海」

寝台特急「日本海」

寝台特急「日本海」。大阪から日本海沿岸を長駆青森まで走り続けた列車として強く記憶に残っています。

大阪に住んでいることもあって、九州方面のブルートレインよりもロングランの「日本海」に憧れを抱いたんだと思います。

記憶にあるのは1980年代以降なので、東京発のブルートレイン以外は食堂車もなく、A個室すらなかった時代。24系25形で2段式B寝台モノクラスの「日本海1・4号」も、24系24形で3段式B寝台モノクラスの「日本海3・2号」も、関西発九州方面行のブルートレインと編成としても見劣りしなかったからでしょうね。

特に青森行の「日本海1号」は、大阪駅を夕方の17時台に出発することもあって、見かける機会が多かったというのもあると思います。

とは言いつつ、なかなか実際に乗車する機会には恵まれず、乗車したのは1往復に削減されてからの上りと、定期運転が終了してからの上り臨時の2回のみ。

このあたりの話は、またいつか、記事にしてみたいと思っています。

「日本海」小史

古くは急行「きたぐに」の前身にまで遡ります。戦後すぐの1947(昭和22)年7月から大阪-青森の間を走り始めた(復活した)急行507レ、508レとなるようなのですが、大正時代から走っていた同区間を2夜行で走っていた503レ、504レにまで遡れるのではないかと思います。

翌1948(昭和23)年7月には、列車番号が501レ、502レとなります。これは、急行「きたぐに」まで引き継がれる列車番号ですね。急行「きたぐに」は列車番号501M、502Mとして幕を閉じました。

この501レ、502レは、1950(昭和25)年10月の改正で急行「日本海」と名前が付きました。このときはまだ、座席車のみの列車でした。1954(昭和29)年10月には、大阪-富山間限定でマロネロ38という二等寝台と二等座席の合造車が連結されます。大正時代にも寝台車の連結がありましたから、こちらも「復活」ですね。同時に大阪-青森の全区間でスハシ38という食堂車と三等座席の合造車が連結されています。

富山を越えて寝台車が連結されるのは1961(昭和36)年10月からになりますので、戦後復活からしばらくは大阪-富山間が夜行区間だったということでしょうね。時刻が不明なので機会があれば調べてみたいと思います。

この改正ではスハネ30の1両が大阪-青森間を走り、オロネ10の1両が大阪-新潟間のみの連結となっています。新潟での寝台車の切り離し・連結は後の急行「きたぐに」につながる運用ですね。

寝台特急「日本海」が生まれる直前のダイヤ改正は1967(昭和42)年10月。後の急行「きたぐに」に近い姿ですね。この辺りは、時刻表復刻版での記事に書いていました。

10系寝台車と旧客の急行「日本海」から一転して、1968(昭和43)年10月のヨンサントオ改正で20系寝台車による寝台特急「日本海」が誕生しました。カニ21を含む9両と短めの編成ですが、1号車はナロネ21、4号車はナシ20と、グレードは上々です。青森方の先頭8号車は、ナハネフ22ではなく、ナハフ20を改造したナハネフ20。座席車時代の狭い窓がたくさん並んでいるのが見た目の特徴ですかね。

翌1969(昭和44)年10月の改正ではナハネ20が4両増えて一気にカニ21を含む13両編成になっています。関西-北東北の所要時間が特急化で一気に短くなり、需要が拡大したということでしょうか。

1975(昭和50)年3月改正では、14系化。2号車にオロネ14を含む13両編成。面白いのが、車両の所属。大阪-青森を走る寝台特急なのに、九州・長崎県の早岐客貨車区(門ハイ)です。大阪-長崎・佐世保を走っていた「あかつき」と共通運用という、JRとなった今では到底考えられない運用ですね。長崎・佐世保を「あかつき」で出て、翌朝に大阪着。同日の「日本海」で青森が3日目の朝着。同日の上り「日本海」で大阪に4日目の朝着。同日の「あかつき」で長崎・佐世保に5日目の朝に着くというもので、東北地方の豪雪で九州のダイヤが乱れるということもあったのだとか。

この運用が話題になりますが、同時に誕生した季節列車の特急「日本海」もすごいですよね。オール14系座席車の12両編成(宮原)です。もちろん、走行区間は大阪-青森。さすがに不満があったのか、翌年には季節列車のまま、モノクラスの24系25形化(宮原)されています。これが、2年後に定期化されて「日本海1・4号」に、14系だった「3・2号」は青森区の24系24形(オロネ24+ハネ11両+カニ24の13両)に置き換わり、日本列島縦断運用は終了しました。

1980(昭和55)年10月には「日本海3・2号」からオロネ24が外され、「日本海」の全列車がモノクラスに。1982(昭和57)年11月からは、1~4号ともに宮原の24系25形になりますが、1986(昭和61)年11月からは3・2号が再び青森所属に。この状態でJRへと移行します。1・4号がJR西日本、3・2号がJR東日本、ということですね。

青函トンネルが開通した1988(昭和63)年3月改正で、「日本海1・4号」が青森でカニ24+ハネ6両の短編成に切り離されて函館へと直通するようになりました。同時に「日本海3・2号」は24系24形に戻されたもののオロネ24が復活しています。

車両の増車・減車という推移があって、次に大きく変わるのが1998(平成10)年12月の改正。1・4号にオロネ25-300(シングルDX)が連結されるようになりました。宮原区の「日本海」で初のA寝台です。サンライズとなった「瀬戸」からの転用ですね。

2006(平成18)年3月には1・4号の函館乗り入れが中止されて青森止まりに。

その2年後、2008(平成20)年3月には、1往復が廃止されます。残ったのは青森区の24系24形編成。24形とはいえ、白帯オハネフ24が金帯オハネフ25-100になったり、白帯オハネ24が金帯オハネ25-100になったりと、程度のよい車両の寄せ集めですよね。

24形も既に2段寝台化は完了しているのでどちらの形式でもグレードに差は無いのですが、白帯あり金帯ありの「統一感の無さ」が2012(平成24)年3月の寝台特急「日本海」の廃止まで続きました。

10-881 24系寝台特急「日本海」6両基本セット

この廃止直前の姿が製品化されたのが、KATOの 10-881 24系寝台特急「日本海」6両基本セット です。今回は再生産とのことですが、初回はいつの発売だったんでしょうか。少なくとも2021年秋以降なら飛び付いたでしょうから、それ以前ですね。

この写真ではちょっとわかりにくいですが、金帯と白帯が混ざってます。屋根のそばに3本目の帯があるのが金帯ですね。

内容確認

・1号車 オハネフ25-117(金帯)
・2号車 オハネ25-152(金帯)
・3号車 オハネ25-215(金帯)
・9号車 オハネフ24-21(白帯)
・10号車 オロネ24-5(白帯)
・電源車 カニ24-511(金帯)

の6両が基本セットです。

1号車 オハネフ25-117

JR東日本のオハネフ25-100番台で金帯なので「北斗星」の車両のように見えなくもないですが、こちらはちゃんと折戸なんですよね。

ようやく来たな、という感じです。「日本海」。好きですからね。

欲を言えば、国鉄期、2往復時代の24系25形0番台で統一された「1・4号」か、24系24形の白帯で統一された「3・2号」が欲しいんですが、晩年の「日本海」も嫌いではないです。乗車したのはまさにこの金帯・白帯の混ざった時代ですからね。思い出深い車両です。

電源車 カニ24-511(金帯)

カニ24-500番台。カニ24-0・100番台に「北斗星」用として耐寒・耐雪改造を施した車両です。

カニ24-511なので、種車はカニ24-115だそうですね。

ところで、この貫通扉の手すり。こんなに目立ってたっけ?と思ったんですが、過去の写真を見て納得です。

2010年8月 青森駅にて

白帯のカニ24ですが、結構目立ってますね。模型なので比率的にはちょっと太めですが、それは仕方ないでしょう。

9号車 オハネフ24-21(白帯)

右が1号車のオハネフ25-117、左が9号車のオハネフ24-21です。折妻で美しい車両だと思うのですが、編成の中に封じ込められるのでテールライトもトレインマークも点灯しません。カプラーも密自連形です。

これは、増結セットの4号車、オハネフ24-15も同じです。

10号車 オロネ24-5(白帯)

最後の開放A寝台、オロネ24。結局、一度も乗れなかったですね。

乗降ドア上の「A寝台」の文字が誇らしげです。

トレインマーク

トレインマークは、変換装置が付いていますので、付属のドライバーで変換が出来ます。

「あけぼの」です。

同じ青森区に所属しているとはいえ、金帯(25形車両)が入り始めた頃には既に「ゴロンとシート」や個室化が進んでいたと思うので、この編成を「あけぼの」で走らせるには無理があるような気がするんですが、いつか、役立つ時が来る、かもしれません。。

他に、「臨時」や「団体」の表示もできます。もちろん、カニ24、オハネフ25どちらも同じです。

付属品

付属品はシンプルで、これと、行先表示シールです。

左から、ヘッドマーク、交換用ナックルカプラー、オハネフ25用ジャンパ栓です。カニ24には、すでにジャンパ栓が取り付けられています。

行先表示シールは、「日本海 青森」「日本海 大阪」と「あけぼの 青森」「あけぼの 上野」に「団体」「臨時」があります。文字が小さいので写真の転載はやめておきます。

カプラー交換

床下からカプラーセットを取り外し、カプラーセットからカプラー押さえを外します。

真ん中のパーツが「カプラー押さえ」です。カプラー押さえの両側のフックを中寄りに押し込むと、簡単に外れます。が、板バネも、それ以上に簡単に外れますので紛失注意です。

アーノルドカプラーを外して、ナックルカプラーをはめ込み、ジャンパ栓の方に取り付けます。

最後に、ジャンパ栓を車両床下に取り付けて完了です。

カニ24も基本的には同じです。

違うのは、元からジャンパ栓付きだということ。

しかも、カプラーを遮るようにパーツが飛び出しているので、気を付けて装着してください。

ナックルカプラーへの交換と、ジャンパ栓の追加で、特にオハネフ25は顔が引き締まりますよね。

10-882 24系寝台特急「日本海」5両増結セット

・4号車 オハネフ24-15(白帯)
・5号車 オハネ24-51(白帯)
・6号車 オハネ25-210(金帯)
・7号車 オハネ24-7(白帯)
・8号車 オハネ24-20(白帯)

の5両が増結セットです。基本セットよりも白帯比率が高いですね。

こちらの方は、付属品は行先表示シールだけですね。先述のように、4号車オハネフ24はテールライトもトレインマークも点灯しません。

「日本海」の編成

2010(平成22)年8月に「日本海」に乗車した時は、12号車まで(オロネ24が12号車、それ以外はB寝台)で、7~10号車が減車というもの。8月11日というお盆時期だったんですけどね。

その年の12月、所定の編成が10両に減車となっています。この模型の編成ですね。

寝台特急「日本海」

2010(平成22)年12月~2012(平成24)年3月

←4002ㇾ 大阪

4001ㇾ 青森→

12345678910電源車
◀オハネフ25
-117
オハネ25
-152
オハネ25
-215
◀オハネフ24
-15
オハネ24
-51
オハネ25
-210
オハネ24
-7
オハネ24
-20
◀オハネフ24
-21
オロネ24
-5
カニ24▶
-511
B寝台(金帯)B寝台(金帯)B寝台(金帯)B寝台(白帯)B寝台(白帯)B寝台(金帯)B寝台(白帯)B寝台(白帯)B寝台(白帯)A寝台(白帯)(金帯)
7~8号車は季節により減車
◀/▶は車掌室の向き

客車の準備が整ったところで、次は機関車、EF81です。

3066-D EF81 一般色 敦賀運転派出

現在のところ我が家の機関車は、DD51が最多。重連前提で購入したのが2組ありますからね。EF81はDD51に次いで両数が多い形式となりますが、単独で購入してますから、ある意味最多とも言えます。

つい最近も「北斗星」用に購入したばかりなのですが、ローズピンクのEF81はTOMIXの旧商品(品番:2131)しかなく、JRロゴ付きの一般色が欲しいと、今回同時に購入です。

JR時代の「日本海」には、JRロゴ付きのEF81が欲しいですからね。メーカーは違いますが、時代が変わると細かな部分が別パーツになったりと精密になってきますよね。

付属品

左から、ナンバープレート(前面用)、同(側面用)、メーカーズプレート、ナックルカプラー、ヘッドマークです。

客車の方にも「日本海」のヘッドマークが付いてましたので、都合4つです。

左がEF81の付属品、右が24系基本セットの付属品。違いを探してはいけません。同じものです。(品番:3066-3E3)

通常、ヘッドマークは一つだけを使用するのですが、今回は2つ使用します。その理由は後ほど。

車番を決める

選べるナンバーは、次の4つ。

・EF81 101
・EF81 106
・EF81 107
・EF81 108

いずれも1973(昭和48)~1974(昭和49)年に製造された車両で、当初から湖西線開業を見据えての増備で、全機とも敦賀第二機関区への配属となります。もちろん、いずれも「日本海」牽引機としての実績があります。

ただ、残念ながら実車としては、101、107が2013(平成25)年度に、106、108が2016(平成28)年度に廃車となっています。

で、ナンバーですが、やはり、乗車した時の牽引機、ですね。

2010年8月 青森駅にて

青森から敦賀までを牽引したのがEF81 106でした。

いずれも、メーカーは「日立」。

ナンバーの前後2ヶ所、側面2ヶ所、メーカーの側面2ヶ所、取り付けが完了です。

カプラーの交換

次は、アーノルドカプラーからナックルカプラーへの交換です。

説明書にも記載されているので、やり方としては簡単なんですが、取り外しはともかく、取り付けは難しいという印象があります。いや、ありました。

先にスノープロウへナックルカプラーを取り付けてしまうと、スカートの下部がつながっているので車体への取り付けは出来ません。なので、先にナックルカプラーをスカートの穴に差し込んでから、スノープロウを取り付けるんですが、スノープロウの突起が板バネとほぼ接しているので、簡単にはナックルカプラーを取り付けられないんです。

なので今回も気合を入れたんですが。。

このように、裏を向けて先にナックルカプラーを差し込んで(写真撮影のために手を離してますが)、ナックルカプラーの穴を「ここだ」と思う場所に合わせれば、意外とすんなりと上下逆さにしたスノープロウが収まってくれました。カプラーと板バネが接するタイミングで、カプラーをちょっと左右に揺すると板バネとの干渉もあまり気にならなかったですね。

トワイライトエクスプレス用のEF81のカプラー交換をしてから1年半。その間、何度となく交換してきたので、位置の感覚が身についてきた、ということかもしれませんね。

ナックルカプラーへの交換が完了です。

ヘッドマークを付ける

以前から、KATOのマグネットタイプのヘッドマークを何度も使用してきたんですが、どのように切り出すのかよくわかってなかったんでね。プラスチックほど簡単には切り落とせませんので。

今回ようやく気付いたのが、最初はバリを残して切り取り、その後に切り落とす、と。基本ですね。。

これで機関車の準備も完了です。

走る「日本海」

走らせるのは、乗車経験のある上り「日本海」。結局、大阪発の下りには一度も乗車できませんでしたから。というわけで、せっかくジャンパ栓を取り付けたオハネフ25は機関車の次位となり、最後尾はカニ24-500となります。

停車駅からの出発と、駅通過の様子です。滑らかな加速、いいですね。

金帯25形と白帯24形が混ざった姿は、やはり晩年という感じがします。それでもEF81を含めて12両で走る姿は堂々としてます。

出発を待つ「日本海」。ヘッドライトが点灯して欲しいところですが、仕方ないですね。

少し横から。

ローズピンクのEF81とブルーの客車が懐かしいです。

少し後方から。

これが、ヘッドマークを2つ使用する理由です。

敦賀所属のEF81が、敦賀→大阪→青森→敦賀と運用されるので、下り側・上り側ともにヘッドマークが付けられています。

2010年8月 敦賀駅にて

金帯のカニ24-500番台。

最後の開放A寝台、オロネ24。

今さらですが、オロネ24の方向幕って、便洗面所の上ではなく、ドア横にあったんですね。

機関車交換時、オハネフ25が顔を見せた、という想定で。

ジャンパ栓がいい感じです。

ちょっと段差が気になりますが、カントのあるカーブを走る姿は、勢いを感じます。

こうしてみると、金帯の「日本海」もいいものですね。

下り急行「きたぐに」との協演

この「日本海」が走っていた同時期にすれ違ったであろう列車が急行「きたぐに」。晩年のJR西日本色です。

上り「日本海」とは、未明の富山県内ですれ違ったでしょうか。

最後に写真を少し。

好きな「日本海」だったので、一気に書いてしまった感はありますが、ここまでを一つの記事にしたかった理由が裏に一つ。

前回の記事が500タイトル目。

つまりは、今回が501タイトル目。

急行「日本海」から急行「きたぐに」に引き継がれた列車番号の501レ、501M。下り急行「きたぐに」501Mを登場させたかった、と。

次の502は、上り「きたぐに」を出すことはありませんよ。さすがに。。