14系14形 寝台特急「北陸」

北陸新幹線開業の影で

北陸新幹線が福井県の敦賀まで延伸開業して2ヶ月。いまや首都圏から北陸3県(富山・金沢・福井)へは新幹線で最速2時間台。

福井・敦賀まで開業したのは2ヶ月前ですが、富山・金沢まで開通したのは9年前の2015年3月のこと。それまで、鉄路では首都圏からは上越新幹線の越後湯沢駅で特急「はくたか」に乗り換える行程でおよそ4時間かかっていたところが、北陸新幹線の開業で乗り換えなしの2時間半になったわけです。

2時間半と言えば、東海道新幹線「のぞみ」での東京-新大阪とほぼ同じ。

近郊電車、時間帯によっては通勤電車並みに「のぞみ」が走るようになっても、2008年3月まで寝台急行「銀河」が東京-大阪間を8時間ほどかけて走り続けていましたが、東京(上野)-金沢間を7時間半ほどで深夜を駆け抜けた寝台特急「北陸」と、急行「能登」(489系)は、北陸新幹線金沢開業の5年も前の2010年3月に、廃止されました。

同じく上越線を深夜に走っていた寝台特急「あけぼの」は2014年3月まで、北陸本線を走っていた寝台特急「日本海」は2012年3月まで定期列車と走っていましたので、随分と早く廃止になった印象はあります。

たまたま、寝台特急「北陸」の廃止前に乗車する機会に恵まれたので(無理やり作り出した、と言った方が正しいかも知れませんが…)、その思い出を書いたのが、こちら。

というわけで、思い出だけは強烈に残っている寝台特急「北陸」が、今回のテーマです。

寝台特急「北陸」

前身である急行「北陸」の歴史は、急行「能登」で触れたので割愛、としようかと思ったんですが、読み返したら、ほぼ書いてなかったですね。。

終戦直後の1947(昭和22)年6月に、上野-金沢・新潟間を上越線経由で走った急行605、606列車が、その起源となります。首都圏と北陸(金沢)を走る列車としては、古く大正時代から列車はあったんですが、こちらは信越本線経由。横川-軽井沢間の難関があって早々に新幹線に取って代わられた印象のある信越本線の方が、歴史的には古いんですよね。上越線の難関、清水トンネルが貫通して水上-越後湯沢間が開業したのが1931(昭和6)年9月のことでした。

話を戻すとその急行605、606列車は列車番号を601、602と変え、1949(昭和24)年9月には、金沢を通り越して、上野-金沢-大阪という列車となったようです。

1950(昭和25)年にようやく「北陸」という名称を与えられます。ということは、上野行上り急行「北陸」の始発が大阪駅だった、ということですよね。当時は夜行列車ながらオハ35などを連ねた座席車のみの編成だったようです。

1953(昭和28)年3月改正で、夜行運転となる上野-金沢間に二等寝台車とニ等座席車の合造車、マロネロ37が連結されるようになりました。三等寝台車(今でいうB寝台車)が連結されるようになったのは、運転区間が上野-福井に短縮された1956(昭和31)年11月のこと。金沢で増解結される車両は荷物車、座席車だけでしたが、福井まで走る編成の方も、荷物車1両の他は、ロネ×1、ハネ×1、ロ×2、ハ×3という編成だったようです。

1960(昭和35)年6月に運転区間が上野-金沢間に変更されても編成は大きく変わらず、寝台車の比率が半数となったのは1965(昭和40)年10月の改正。ロネ×2、ハネ×4、ロ×1、ハ×5となりました。

3年後のいわゆるヨンサントオ改正で、定期列車1往復と季節列車1往復との2往復体制(下り上りとも1号が季節列車、2号が定期列車)となり、2号がスロ62以外は全車寝台(ロネ×2、ハネ×9)という、寝台列車となっています。このあたりが寝台特急「北陸」の前身、という感じがしますね。季節列車の方はハネ2両以外は全て座席車でした。

ここでようやく急行「能登」との接点が出てくるのですが、1975(昭和50)年3月の改正で急行「北陸2号(上下)」は20系の寝台特急「北陸」へと格上げされました。その補完列車として座席車主体の1号、寝台車主体の2号の車両を転用して(…したと思われます)登場したのが、米原経由が廃止されてから7年ほど名前が使われていなかった急行「能登」になります。

寝台特急「北陸」の方は、3年半後の1978(昭和53)年10月に、20系から14系へとなります。

当時の牽引機は上野-長岡間がEF58、長岡-金沢がEF81で、水上-石打間はEF16が前補機として使用されていたようです。1980(昭和55)年10月からはEF58からEF64-1000へと変わったようですね。(1982年から、という話も…)

JRに移行し、1989(平成元)年3月改正からA寝台、B寝台ともに個室寝台が連結されるようになり、翌年からは個室の車両数も拡大。

上り調子だった歴史もここまでで、1999(平成11)年3月改正では、それまで12両で運転されていた編成が8両にまで減車。そしてついに2010(平成22)年3月の改正で廃止されました。

寝台特急「北陸」といえば、早朝の金沢駅到着後に乗客を乗せたまま隣の東金沢駅まで回送し、そこで朝9時まで滞在できるサービスがありましたね。当時の時刻表にもその旨記載があったように記憶しています。

14系「北陸」

ようやく本題。

昨年の春に購入したTOMIXの「国鉄 14系14形特急寝台客車(さくら)基本/増結セット」を使用して、これまでに「出雲/紀伊」や「ゆうづる」として走らせていました。

それと同じように、今回は「北陸」として走らせてみたいと思います。

国鉄時代の14系車両ですから、「ゆうづる」と同じようにトレインマークを変更するだけ、ですね。

1980(昭和60)年以降、順次2段化改造されていますので乗降ドア横の★マークの数とかベッドの段数が違ってくるのですが、ぱっと見なら、スハネフ14にJRマークが付くJR移行の1987(昭和62)年3月くらいまでの姿は再現できるんじゃないかと思います。ちなみに、時刻表1982年11月号では、まだB寝台は全て3段式で、1985年3月号では、3~5と8号車の4両だけが2段式となっていました。1987年4月号(JR移行)では、全車とも2段式になっていますね。

寝台特急「北陸」

1978(昭和53)年10月~1987(昭和62)年3月

←3002ㇾ 上野

3001ㇾ 金沢→

123456789101112
◀スハネフ14オロネ14オハネ14オハネ14オハネ14スハネフ14▶◀スハネフ14オハネ14オハネ14オハネ14オハネ14スハネフ14▶
B寝台A寝台B寝台B寝台B寝台B寝台B寝台B寝台B寝台B寝台B寝台B寝台
長岡-金沢間 逆編成
◀/▶は車掌室の向き

「ゆうづる」と全く同じ編成です。「ゆうづる」「北星」と「北陸」が北オク(尾久客車区)所属の異色14系トリオ、ということでしょうね。

ですので、「国鉄 14系14形特急寝台客車(さくら)基本/増結セット」の基本セットからオシ14とオハネ14のうち1両、計2両を抜いただけです。特に番台による違いもないので、気軽に組成できると思います。

「ゆうづる」でも書いたように、上野駅で乗降ドアは高崎側です。長岡側と書けば全区間で共通の表現になるでしょうかね。

トレインマークの交換

これまで、基本/増結セットで併せて4両あるスハネフ14の3両を「出雲」「紀伊」「ゆうづる」と交換してきましたので、残る前面窓ガラスは一つ。イラストの「銀河」も捨てがたいんですが、「銀河」といえば24系25形の印象が強いので、最後の1個は「北陸」で使用することにしました。


シールを大きめに切り出して、前面窓ガラスの内側から貼り付けます。

どう見ても歪んでいるように見えるんですが、切り出し方が悪かったんですかね。それとも、撮影時の角度が悪かったのか、これでまっすぐです。若干透けている「北陸」の海水面がまっすぐなのが、判るでしょうか。

正面から見るとこの通り。

ほんの少し、右側が上がってますかね。。

取り付けには、ここまで分解が必要です。

前面窓ガラスをぶれないように支えているのが側面窓ガラスなんで、側面を外さない限りは外れません。今後は、「さくら」として走らせるときには、このひと手間が必要になります。

寝台特急「北陸」らしい色合いですよね。

今回の作業はこれだけです。

牽引機関車は…

実は、この記事の文章を書きながら(実際に書いているのは、走らせた後、全てを片付け終わった後の翌日です)、大きな記憶違いをしていたことに気付いたんです。

それは、14系に置き換えと同時に、上野-長岡間の牽引機関車がEF64-1000に置き換わったと思い込んでいたということ。

「出雲/紀伊」だけじゃなくて、ここにもEF58+14系ブルートレインがあったんですよね。

EF58なら、上越仕様では無いですが手持ちであるので走らせたかったんですが、先に書いた通り、EF64-1000との思い込み。

EF64-1000は、無くは無いんですが、30年選手のTOMIX 2115「国鉄EF64 1000形電気機関車」。

単独で走行させると走行ムラというのかカクツキが発生するので、長岡以降のEF81での牽引にしたいと思います。

EF58+14系寝台特急「北陸」は、いずれ走らせてみたいですね。

ちなみに、寝台特急「北陸」のヘッドマークは、登場したのが1985(昭和60)年3月のこと。

ですので、ヘッドマーク無しで走らせることにしました。

EF81牽引 寝台特急「北陸」

まずは、駅の通過シーンから。

ちょっと走りにムラがあるのは、こちらも負けず劣らずの年代物だから。TOMIXの2131「JR EF81形電気機関車(一般カラー)」です(JRといいつつ、JRマークは付いていません)。

このときにユーズドで購入して、急行「きたぐに」で酷使してますからね。。

当時は走らせる車両も少なかったので、出番も多かったですし。

「北陸」のトレインマークのオレンジ色。独特で、小さく映っていても寝台特急「北陸」って感じがします。

写真を何枚か。

EF81にヘッドマークが無いので、誰だかよく判りませんが、関門トンネルを通過する300番台、400番台を除けば、EF81+14系ブルートレインは、「北陸」しかなかったかも。

急行「きたぐに」や「能登」など、北陸路を走る急行列車が14系寝台車+14系座席車の編成で走っていたことはありますが、全車寝台の14系ブルートレインでは「北陸」だけですかね。何かを忘れてたらすみません。。

晩年の個室寝台主体の「北陸」もいいですが、シンプルな(といっても立派にA寝台はあります)国鉄時代の「北陸」もいいですね。

最後の写真は、先頭のEF81を入れてみたものです。客車12両という首都圏と北陸とを結ぶ優等列車ぶりがわかる気がします。

EF64-1000牽引 寝台特急「北陸」

前述の通り、14系化された直後は上野から長岡までをEF58が牽引していたことに気付いておらず、古いEF64-1000を持ち出してみました。

機関車を含めて13両が走りすぎる時間ですら安定して走行しなかったので、とりあえず写真だけ。

同じような角度からもう1枚。

今度は、前面への照明をもっと強くしてみました。

白で飛んじゃいましたが、逆に板状の前面手すりも溶け込んで、リアリティが増したかも、と思います。「色の白いは七難隠す」ですかね。違うか。

EF64-1000と白帯ブルートレインといえば、「あけぼの」とか「出羽」「鳥海」などを思い出しますが、いずれも24系(国鉄時代に限定すれば「出羽」だけですかね)。

いずれは、まともに走るEF64-1000を手に入れたいところです。JRマークの有り無しでは悩みそうですが。。

EF64-0牽引 寝台特急「北陸」

最後は、ちょっとイレギュラーな組み合わせ。

「北陸」の上野-長岡間の牽引は、基本はEF64-1000が担っていたんですが、実際にも基本番台のEF64が牽引していたことがあります。

子供の頃に好きで何度も読んでいた「小学館入門百科シリーズ121 ブルートレイン入門」に、EF64-39が牽く寝台特急「北陸」の写真が掲載されていました。

「旧型式のEF64がけん引することもある」と添えられていたので、イレギュラーではあるんですが、そういう組み合わせもあったんですね。

というわけで。

いや、手持ちのEF64はKATOの3091-2「EF64 0 2次形」なので、電暖装置の無い貨物仕様ですので、実際に「北陸」を牽引したことは無いと思われるのですが、14系なら電暖装置が無くても牽引できるはず。もはや空想の世界に近いのですが、走らせてみました。

さすがは2021年の製品。走りが安定しています。

そういえば、急行「ちくま」も、このEF64-0 2次形で走らせましたが、14系15形の寝台車でしたね。全車寝台では無かったですけど。

うまくヘッドライト点灯状態での写真が撮れました。

照明の加減で、側面のエアフィルターに、いい感じで光が当たりました。

朝日を浴びて上野に向かう雄姿を…、と思ったんですが、高崎線内を南下するなら、西日になっちゃいますね。。

それはともかく、14系14形を使用した寝台特急「北陸」。いくつか宿題は残りましたが、いろいろと楽しめました。

付属パーツの前面窓ガラスを使い切ってしまったので、トレインマークのバリエーションは増やせないですが、楽しみはまだいくつもありそうですので、また、走らせてみたいと思います。